元上司宅では奥様と娘さんがご馳走を作って待ってくださってました。
やっぱり名古屋といえば手羽先!!一度食べると止まりませんなあp(^-^)qおいしいと評判のお店(どこかかは知らんw)餃子もありました。さんまもうまい!(人んちで食べてる手前、丁寧に身を取って食べてると、おうちの方々から「さすがは北陸の人、魚の食べ方が上手」と褒められましたwww)
やはり車酔いの余波のせいでたいして食べられませんでしたが、それでもおいしくいただきました。
”ご当地キティちゃん”
土産店や高速のサービスエリアに行けば必ず売られているもの。娘さんが集めているので私は毎回訪れる時に各地を回って買ってきたものを差し上げているわけなのです。
なので元上司のガラスの棚の中にはそうとうな数のご当地キティちゃんが飾られています。
まあそれはいいけど、そろそろ買ってきた物と以前買ったものとがダブってくるような気がして。事前にこうやって写真を撮ってダブらないようにしていますが、チェックした事はありません(笑)
元上司のご家族との団欒もほどほどに体力回復の為に早めにおやすみしました。
さて翌17日、朝御飯を食べた我々は岐阜城へ向かいました。
じつは天守閣までは車では絶対に行けません。
大手門か。
岐阜城といえば険峻かつ難攻不落の山城というイメージがありますが、意外とあっさり落城しています。
斎藤氏が城主で稲葉山城という名前だった時、竹中半兵衛はたった16人で城を占領してしまいます。
(ただ、これは主君である斎藤龍興を諌める意味での行動だったのでしばらくして返還)
そして竹中半兵衛にもあいそをつかされた龍興は織田信長の攻撃を受けて城を捨てて落ち延びてしまいます。
その後は信長、信忠、信孝等織田一族の居城となり、本能寺の変後は池田元助、池田輝政、豊臣秀勝がおさめ、関ヶ原の戦いの時には信長の孫にあたる織田秀信が城主となります。
岐阜城は西軍方の前線基地となるわけなのですが、それゆえに東軍から真っ先に攻撃を受け、速攻で落城し、秀信は降伏してしまいました。
山城というのは攻める方だけでなく守る方も大変。水の手を断ち切られると長くは持ちません。あと、守る側の士気もあります。織田秀信の場合、前哨戦において東軍に敗れてしまってたので織田家中の士気は著しく低下していました。先遣隊を率いていた家臣が秀信の本陣のところまで退却するとすでに秀信は岐阜城内へ逃げてしまっており、そういった不統一なところが落城の原因となったのでしょう。
その後の岐阜城は明治時代に再建されるまで城の資材は麓の加納城の建築に利用され、事実上の廃城になってしまいました。
天守閣へ通じる道は険しいです。
じつは麓からいくつかの登山道があり、それを使って登り降りする人もおられます。なので登山の格好をしている人も何人も見かけました。
天守閣にはいろいろな刀剣や甲冑関係が展示されていましたが、岐阜城にはあまり関係なく、コレクターからかき集めてきただけのような・・・。
たぶん信長の像
ちなみに背中のは織田家の家紋である「五つ木瓜」。別名織田木瓜ともいいます。左右に入っている紋は「桐」。皇室や公家も使う高貴な紋として武家でも人気がありました。後に豊臣秀吉は五三の桐を抽象化した「太閤桐」を家紋にしました。
日本国を代表する家紋として桐は使われており、外務大臣が発表するマイクが置いてある台には桐の紋が入ってます。
織田信長もここからの景色を眺め、天下統一を夢見たのでしょう。感慨無量ですo(^▽^)o
目的は達成したのでさっさと下ります。
男性方が欲を満たす(笑)為の地区。不景気なのに昼間から何台もの車が停ってました。ご丁寧にナンバーを隠してあって。
だいぶ前に、やり手の県警本部長が着任してかなり厳しく取り締まったと聞きます。
下手なご当地のお店に入って慣れてない物を食べるより、こういうお店の方がいいです。お孫さんもいる事だし。私はそういう子です(笑)
時間がないので予定を変更して墨俣城へ。いかにもそれっぽい城ですが本当の墨俣城はこんな立派ではありません。どちらかといえば砦か陣地みたいな。
墨俣城といえば「豊臣秀吉の一夜城伝説」。前にも書きましたがこれには裏があり、資材はあらかじめ切り出しておいていたのです。かつての主人であった蜂須賀小六やその仲間の前野長康、稲田大炊等川並衆二千名の協力を得て一晩で完成させました。長良川の激流を利用して上流から資材を流し、木材の寸法・本数を細かく指示、どの隊がどこで受け取っているかもきちんと考えてある緻密なものでした。
情報を得た敵(これは信長がわざと流した)が墨俣城に殺到した時には鉄砲隊を並べて反撃体制が整っており、見事敵を撃退させる事に成功。稲葉山城攻略の足がかりとなったのでした。
この一件は秀吉の人生を大きく変えたものでした。西美濃と稲葉山を分断する位置にある墨俣に拠点を設けた意味は非常に大きく、すでに心が離れつつある西美濃三人衆である稲葉・氏家・安藤は織田側につき、勢力が激減した斎藤龍興は城を攻められると伊勢長島へ落ち延びていきました。
そして秀吉は信長に能力を認められ重用されて出世していったのでした。
1500には元上司宅へ戻り、お世話になった皆さんに見送っていただきながら名古屋を離れました。
・・・・(ΦωΦ)フフフ…、私の旅はオマケがあるのだwwwww
























