名古屋に行ってまいりましたpart1 | ま、なんとかなるさ

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この時期、観光と営業を兼ねて1泊2日の予定で元上司のお宅へ行きます。今回で5回目になります。


早めに名古屋へ行って仮眠しようと思ったのですが、ダラダラしていたのと車内でDVDを観てたおかげで結局一睡もせずに名古屋へ。(このせいで後で大変なことに)


0730に元上司宅に到着。あいさつもそこそこに1日目の観光に出発。


元上司、いろいろ造形が深い方なのですが、特に歴史が好きなようで、歴史マニアの私と大変ウマが合います。てなわけで私がガイドを務めての歴史探訪となるわけなのであります。


元上司は滋賀県の佐和山城(彦根市)に行き、その後石山寺(大津市)、三井寺(同)、湖西から山を越えて京都の三千院(左京区)、寂光院(同)へ行くという案を出してきました。


・・・・・・・一日で全部行こうとしているのか?


連休で名神が大渋滞するであろうこの時期に。元上司は下調べをしていないようでしたが、佐和山城というのは山城。かつて石田三成の居城でした。関ヶ原の合戦後に東軍に攻められて落城して徳川家康の家臣、井伊直政に与えられるのですが2年後に亡くなってしまいます。合戦の時に受けた鉄砲傷が原因だったのですが、石田三成の祟りとの噂が流れ、石田色を一掃する意味と便利な平地に移す意味もあって今の場所に城を築き直し、その時に石垣等一切の資材を佐和山から持っていったのでした。

なので佐和山にはなんにもありません。一番上までの行き来だけで1時間もかかってしまいます。なので意見具申して佐和山案は却下してもらいました。



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その前に養老SAにて朝食。大好きなバイキングなのに食欲がわかない。おかわりはなし。体調不良はこの時から始まっていたのでした。ちなみに画像に写ってるTシャツの子は元上司のお孫さん、マナブくんです。


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1030石山寺着。


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創建は747年。聖武天皇の時代です。

真言宗のお寺であります。


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このお寺、紫式部に深く関わりのあるそうなのです。石山寺参拝がのちの「源氏物語」を執筆するヒントになったとか。さらに「枕草子」等、数々の有名な文学作品にも登場いたします。



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御影堂や毘沙門堂等、いろいろあるのですが、なぜかその画像はありませんでした。撮っていなかったのか?



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次は三井寺。園城寺とも言います。

天台宗総本山で平安末期には源平合戦の際には源氏方についた事もあり、鎌倉幕府には篤く保護されたそうです。豊臣秀吉の逆鱗に触れ(原因は不明)、本尊等は強制的に他所へ移されてしまいましたが、後に赦されて復活し、現在に至るわけなのです。


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一切経蔵。室町時代。


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中には一切経を納められている八角輪蔵があります。


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金堂

これは豊臣秀吉によって撤去された後、秀吉の正室北政所によって再建されました。



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唐院四脚門。


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三重塔。これも秀吉によって移動させられたものを徳川家康が再度この地へ移築したものであります。

ここにはいろいろな鐘があるのですが、割愛します。


お昼になったので御飯でも。お孫さんがいるので無難にファミレスへ。


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お孫さんは小学校4年生。しかも細い子なので食がかなり細い!女の子よりも少ない量しか食べないので元上司は嘆いていました。まあ進学して部活に入れば改善されるでしょう。

ちなみにここでも2/3は残していました。


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元上司のナビ。車はプリウスの新車なのにナビは前のカーナビから移植。なのでデータが古くてあまり役二立ちません。でも音声ガイドの女性の声は色気があっていいです(笑)



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大津市といえば例の事件。画像はあえてカットしたものを使ってますが、インターネット等で学校名や加害者、加害者の親の職業等は判明しています。

加害者はもちろんですが、学校長や教育長のふざけた態度にはホント、腹が立ちますな!適当に言葉で濁しやがって。

兵庫の件でもそうですが、何かありゃあ「他の生徒に配慮して」などとぬかしてますが、もうここまできたらそんなの無駄な事なんだよって。あった事をそのまま包み隠さず公表しなきゃならんのじゃ!!


だから教師はダメなんだよ。


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京都府左京区大原の三千院。この日もたくさんの人です。

天台宗の三門跡寺院のひとつに数えられる有名なところです。


「きょーとーおーはらさんぜんいん~♪」で有名な歌はじつは”女ひとり”という曲で作詞は永六輔、作曲はいずみたく、昭和41年にデュークエイセスが歌いました。

恋に疲れた女性が癒しを求めて京都を一人旅する、という内容です。ちなみに2番目は京都栂尾高山寺、3番目は京都嵐山大覚寺です。



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本堂は写真撮影禁止なので画像はありません。


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本堂を囲むように設置されている監視カメラ・・・・・・・なんだか怖い( ̄_ ̄ i)



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帰り道で頂いた抹茶。金粉入りです。

ひとつ買えばよかった、と思ったくらいすごくおいしかったです。



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近くにある「寂光院」。

聖徳太子が開基し、安徳帝の生母である建礼門院が壇ノ浦の合戦で平家が滅亡した後も生き残ってしまい、ここで付き人の阿波内侍とともに亡くなった人達の冥福を祈ったそうです。1186年、後白河法皇が建礼門院を訪ねた事が「平家物語」に書かれています。


ここも本堂は撮影禁止なので画像は門のみです。


寂光院といえば平成12年の放火事件が有名。5月9日の未明に本堂から出火、全焼してしまいました。遺留品から放火と断定し、操作を続けるも結局未解決のまま時効になってしまいました。

本堂は再建したもの、像の中には修復不可能なものもあったそうです。

この時の新聞記事が境内に貼られていました。


ったく、なんて事するんだ(◎`ε´◎ )



時刻はすでに16時をまわっていました。これから元上司のお宅へ向かいます。帰りの車中では3人で楽しくしりとりをしていました。”食べ物”に限定して。これだと「ラ行」はほとんど出てきません。だんだんこじつけみたいなものしか思い浮かばなくなり、お孫さんはすぐ「ん」で終わるものしかいえず、私は下ネタに走り、もはやしりとりではありません。



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案の定、帰りの名神や国道はかなり混んでおり、晩御飯が待っていて急いでいるせいもあって元上司の運転は急ブレーキや急発進が多くなりました。

私は助手席でうたた寝していたのですが、寝不足と荒い運転のせいで一気に気持ち悪なってしまったのです。ひたすら出てくる脂汗。そしてこみあげてくいる酸っぱい味。吐きそう(°д°;)


なんとかこらえながら名古屋市へ着いたのであります。