奇しくも帰省中のこのタイミングで

大河ドラマ「天地人」では魚津城の戦い…でございます。

言うまでもなくこの魚津城があった魚津市は、
わたしの故郷でございますが、
この「魚津城の戦い」が起きる1582年から約30年前、
魚津城の城主であった板屋刑部政広はわたしの祖先です。

15世紀ごろ、松倉城の支城として築かれた魚津城、
16世紀半ばには一向一揆の拠点のひとつとして、また北陸の交通の要所となりました。
その際にこの城を守っていたのが郷士であった板屋一族です。

ちなみに板屋氏の祖は、平安時代の武将、藤原秀郷(通称「たわらのとうた」)とも伝えられています。


上杉氏との戦いに敗れ、わずかに生き延びた板屋一族は、
その後は織田(豊臣氏)の一向宗弾圧の下で息を潜め生きたといいます。
末裔の一人である板屋兵四郎は前田家に仕え、金沢城の辰巳用水に関わります。
(一向宗であること、武家であることを隠していたのか、小松の町人という伝承もあります)

兵四郎は辰巳用水が完成した後、
秘密漏洩を防ぐという名目のため城内の茶室で毒殺され、
板屋家に関する記録はほとんど葬られてしまいました。

我が先祖は戦国時代から江戸時代初めにかけてかなりミステリアスな運命を辿ったようです。

わたしの夢は、この「板屋氏のひとびと」の生き様を、
小説にすることです。


板屋刑部政広はもちろんのこと、
日本の土木建築史にその名を残す板屋兵四郎のことを、
是非とも描いてみたい。


ちなみに金沢には「板屋神社」と名の付く祠が3つあります。

誅殺説の翌年には、天候不順や疫病の流行、
はたまた金沢城内に雷が落ちるなどが起きたそうです。
その現象は兵四郎の祟りであるとの噂が流れ、
その魂を鎮めるために袋村の八幡社に彼の霊が合祀されたそうです。

以前、家族で兵四郎の足跡を訪ねたときの記事がこちら↓。

http://ameblo.jp/intimejours/archive33-200701.html#main


信長や秀吉といったメジャーな人物でなくとも、
この時代にはかなり劇的で面白い人物がたくさんいる。

誰かがそれを掘り起こし、スポットを当てれば、
歴史はまた違った見え方や面白みを持つのかも知れない。

今夜の大河を見て、改めて、執筆欲がかき立てられました。

何年かかっても、必ず成し遂げよう。。。

そう、時間ってあるようで、実はそうでもないのだから。