今日、地元紙を開いたら、こんな特集を発見。

「魚津高 しんきろう旋風50年」


魚津a


高校野球も大詰めを迎える中、
奇しくも50年前の8月16日に高校野球の球史に残る試合が行われました。

徳島商業 vs 魚津高校

延長18回0対0の死闘を繰り広げ
再試合は3ー1で徳島商業が勝利した名勝負。


お若い方はほとんどご存じないと思いますが、
夏の高校野球を振り返るとき、必ずと言っていいほど語られる試合です。


昭和33年(1958年)。

名も無き富山の高校が、一回戦に優勝候補・大阪の浪商に大金星を揚げるところから伝説は始まります。
(この時の浪商にはあの張本勲さんがいました)

二回戦もまた強豪、東京代表・明治高校。

三回戦はやはり優勝候補の一角、群馬の桐生高校。


そして準々決勝で対戦したのが、、、

魚津b

その年、屈指の豪腕投手との呼び声高い

「板東英二」率いる徳島商業!!!


あの板東さん、本当に凄いピッチャーだったんですよ。

この年(昭和15年組)は、張本勲さんや王貞治さんなどきら星の如き才能を輩出した年。
中でも板東さんは、翌年、最高額の契約金で中日に入団しました。
多分、今でもこの試合が語り継がれるのは、板東さんが活躍しておられるからだと思います(笑)。



さてさて、どうしてここまで、
わたしがこの話題を熱く語るかというと、、、


わたしの父が、この時の魚津高校のナインだったのです。


魚津c


左から二番目、ひときわのっぽさんなのが、
わたしの父です。

当時で身長が182cm。

わたしの体型は、紛れもなく遺伝です。



その後、野球の道に進んだわけでもなく、
家業を継ぎ地元で平凡に生きた一人の男にとって、
この数日の出来事が、人生の最も輝ける一瞬であったことは、
紛れもない事実なのでしょう。

その証拠に、わたしはこの試合と、そこに至る道のりを、
まるで我がことのように聞き知っている。

それこそ、晩酌をする父の口から、おとぎ話のように、
何度も何度も繰り返し聞いて育ちました。



この時、甲子園の土を踏んだ魚津高校野球部で、
宮武監督や父を含めた6人の方がすでにこの世を去っています。


わたしが魚津高校に在籍していた頃、
宮武監督は学食で働いていらっしゃたので、
毎日のように、おいオヤジは元気か?って、声を掛けてくださったっけ。

父も生きていれば今年で68歳…。



いやはや、今日、この新聞記事を目にするまで、
あの時から半世紀の時が流れたことさえ、
うかつにも気づかずにいました。


父にとって、宝のようなこの想い出は、
同じようにわたしにとっても掛け替えのない宝です。



今年はいろんな発見のあるお盆になりました。