不幸なのは自分だけなのだと嘆き、明日頑張ろうと毎日決意し、他人の苦労も知らず嫉妬する。

 コンビニのアルバイトをしながら自堕落な生活をしているカイジ。だが突然昔の友達の保証人になってしまった過去のつけを払わされる状況におちいる。
 ある船での「人生逆転ゲーム」。それは配られたカードでのじゃんけん勝負だった。誰もが知っていてそして最も簡単といえる「勝ち負け」の付け方。
 どうすればいいのか迷っているカイジだったが突然ある男に声をかけられる。彼の言う通りにすれば勝つことができる、そんな「あまえ」がカイジを絶望の淵へと誘う。
だがカイジはそこではじめて「生きだした」。自ら行動をとった。それにより勝利をおさめたが結局強制労働を余儀なくされる。
 地下での強制労働。そこで見る現実。少しずつカイジは目覚めていく。

 あのビルでのゲームは本当に辛かった。「お金は命よりも大事」。そんなことない、と言えないのが現実。

「負け犬」とはなんだろう、と思った。お金のない人のことか?出世できない人のことか?結婚できない人のことか?勝負に負けた人のことか?落ちるとこまで落ちた人のことか?
ある映画でこういう言葉がある。「負け犬とは挑戦しないやつのことだ」
ある人がこういった。「我々の最大の栄光は一度も倒れないことではなく、倒れるごとに起き上がることにある」
ある映画でこういう会話がある。「どうして落ちたか知っているか?はいあがるためさ」
「負け犬」とは常に誰かにあまえ一人で歩くこともできず、倒れたら誰かが声をかけてくれるのを、誰かが手を差し伸べるのを待っている人のこと。やろうと思えば立てるのに最初から立てないと思い込み立とうとしない人のこと。また倒れるのが嫌で恥ずかしくて立とうとしない人のこと。誰も自分を見てくれないと勝手に嘆き世界一不幸だと絶望し向かってくる恐怖にすぐに背を向け目をつむり楽な道はないかとあてもなくさまよう人のこと。

ブレイブメンロードを渡るとき誰もが躊躇するがそれでも歩きぬこうと決意する。
石田もその一人だった。限定じゃんけんではカイジに助けてもらいカイジに連れられながらここまできた石田。借金を背負い娘に苦労をかけてきた負け犬。だが彼は最後カイジに向かってほほ笑む。死ぬかもしれない状況でカイジに向かってほほ笑みかける。じゃんけんのときには泣き崩れ情けなくて臆病でそんな石田がカイジを動揺させまいと声どころか音一つたてずに落ちていく。彼はゲームには負けたかもしれない。だが彼は人生には勝った。ブレイブメンロードを渡り切ることはできなかったが彼は最期の最期で勇気を示し、他人を気遣い、窮地でも笑った。渡れない、と挑戦しない、なんてこともせず自分の意思で決めた道を歩き始めた。それがたとえ途中で終わる結果になったとしても、もう娘に会うことも謝ることも娘の笑顔を見ることももう叶わなくなったとしても彼は「生きた」のだ。
 佐原と共に道を渡り切ったカイジだったが気圧による突風で吹き飛ばされる。なんとか助かったカイジだが佐原はビルから落ちてしまう。
 それを見て笑う金持ち。彼らは狂っているか?いや違う。彼らはまともだ。そうじゃない。彼らは僕たちと同じだった。
 広島と長崎に原爆が落ちた。かわいそう、と同情する。
 夏休みの終わり旅行からの帰宅途中に事故にあい死亡。かわいそう。
 道の上で物乞いしてる。汚いな。
 テストであいつより自分のほうが点が良かった。あいつは悪かった。馬鹿だ。
 人は誰かと自分を比べ自分が優勢に立っていることに幸福を感じる。それがお金か、仕事か結婚か、命か。

 彼らは狂っているか?彼らは間違ってはいるが狂ってはいない。自分たちが狂っていないとはっきり言えるのが条件だが。
 たくさんの人が犠牲になった。カイジは最後の勝負に挑む。単純なカードゲーム。だが思いのほか緊迫し手に汗握りわきから汗が出てきた。こういう心理戦では心の声を入れるのはとても効果的でよかった。それにしても藤原と香川の演技合戦は見ものだった。
 勝負に勝ったカイジだったが借金のせいで残ったお金はほんのわずか。しかも石田の娘にお金を渡したためほとんど残っていなかっただろう。
でもこれはハッピーエンドなのだと思った。お金は残っていないがカイジはもう負け犬ではない。これから歩を止めることなく歩き続けることだろう。なにかあるたびに他の人の手を借りなければならない時もあるだろうがそれでもカイジは歩き続けられる。倒れたら立ち上がれる。

 最後のカイジの眼はそういう目をしていた。冒頭でのカイジとは別人のようだった。

 先のことを考えるのはもっといろんなものを背負ってからにしろ。なにもないなら迷わず走れ。未熟でも進め、迷わず進め。

みんなそうだった。小さい頃はみんな。信じたことをいつでも全力で追っかけていた。それが正しいのかなんて考えてもみなかった。
 泣きたいときに泣いた。笑いたいときに笑った。怒りたいときは怒った。そして思いっきり将来に夢を馳せていた。
 いつのころだったのだろうか。世間体を気になりだしたのは。正しいことを正しいと言えず、悪いことを悪いとも言えず。泣きたいときに無理やり笑い、怒りたいときは我慢し。夢を捨てることが現実を見ることだと勘違いしてしまう。そしてそれが大人になることだと思ってた。
 ケンヂもそうだった。小さい頃は自分の信じたことを必死で追っかけていた。仲間がいじめられていれば後先のことを考えず向かって行った。たとえそれが負け戦だと分かっていても逃げなかった。
 校内放送でロックを流せば何かが変わる。誰がそんなことを思うだろう。でもケンヂはそう信じていた。そして当たり前のようにロックの道を歩き出す。
 そんなケンヂもいつしか「大人」になってしまった。ロッカーはみんな27歳で死んでいる。だから自分はロッカーじゃない。ならやめよう。
 お得意先の失踪。ドンキーの死。かつて秘密基地で作った予言の実現。「ともだち」の出現。次々に起こる怪事件、分かってくる真相と一緒によみがえってくるあの時の気持ち。「世界を救う」のは自分たちしかいない。たとえそれが世界を敵にまわしても逃げることなく。
「あの旗をおれたちのもとへ取り返す。」それはあの時の自分たちを取り戻すということではないだろうか。
 第二章はそんなケンヂの信念を受け継いだカンナの物語だ。「テロリストケンヂ」。教科書にはそうある。だから本当だろう。先生が言う、それは正しいことだ。みんなが信じてる、だから自分も信じよう。そうやって洗脳されていく人たち。それは今の人たちでもある。テレビで放送されればそれがすべてだと思い込み信じる視聴者。北朝鮮は悪い国。でもそこで生きる人たちのことは何にも知らない。そう何も知らないのだ。本当のことなんて誰も何も知らない。「血のおおみそか」はケンヂたちのせい。みんながそう言うからきっとそうなのだろう。「それは違う」なんて言えるだろうか?そんなことを言えばきっと異常者扱いだ。だがカンナは違った。学校でも先生に逆らい全く先のことを考えず自分のことをはっきりというカンナ。今、最も必要なことであり今誰もが持っていないそんな当たり前のこと。だがそれがゆえに「ともだちランド」へと連れて行かれる。そこで知る「理科室」の真相。仮面の男のことの正体。「しんよげんの書」、きょうかいでのきゅうせいしゅのあんさつ。
 そして「ともだち」は神となる。
 一気にスピードアップした展開、謎が謎を呼ぶ真相、目を見張るアクション。こんなに面白い作品は久しぶりだ。前作でもやもやだったものがどんどん分かってくるのはかなり快感でさらに謎がでてくるのもまたいい。
 カンナのひたむきさとケンヂへと絶対の信頼。正義への欲求と決して後ろを振り返らないポジティブさ。見ててとても気持ちがいい。

 サダキヨの意外な過去。孤独。ケンヂたちの友情の影でかすむサダキヨの存在。光あるところに影がある。サダキヨはその容姿からきっと辛い日々を送り続けてきたのだろう。そこに手を差し伸べてくれた「ともだち」。モンちゃんの殺害。裏切り。自分はいい者なのか、悪者なのか。きっとサダキヨは光と影の境界線で苦しんできたのだろうと思う。決して明るくなれない影。自分のしたことをくやみつつ彼は火の中に消えていく。

 ケンヂの姉の真相には驚いた。いや驚きの連続である。そしてオッチョだけが気付いた「ともだち」の正体。あいつがともだちだ!!とか思っても次々と怪しい人物が出てきて前作含めて未だに確信が持てない・・・
 他にも小池栄子なんて最高に怖いし古田新太は面白いしたくさんのキャラクターがとてもいい。蝶野がちょうさんの孫とは驚きであった。そしてラスト、もっとも気になっていたある人物の消息。なんて気になる終わり方であろうか。最終章がまてないとはこのことをいう。いやむしろまだあと一作あるのだから喜ばしいことではないか。
 三部作だがひとつの長い物語を三つに分けたのであって「ロードオブザリング」のようにどれが一番面白い、ということはないと思うがやはり第二章は面白かった。
 
 ユキジがあるマンガを読むシーンがある。そして言う。「世界を救う男の物語が見たい」。
 これは滅亡の危機に瀕した世界を逃げることなく真っ向から立ち向かっていく人たちの物語。これは希望を捨てることなく信じた道をひたすら走り続けた人たちの物語。
 そしてこの第二章はそんな彼らに残された最後の希望の話。

 自分は医療に携わっている人間ではないので偉そうなことは言えない。それでも思う。 地獄だ。 
 思わず手に汗握る、気づけばまばたきをしていなくて、終わってみれば呼吸も忘れ息をきらす。あまりにも多忙極まる現場である。
 明白な医師不足、医療器具の不足、場所の不足、経営上の問題。
 それにより引き起こされるかもしれない最悪の状況、医療ミス。悪循環である。
 ドラマ「CHANGE」では小児科医師の不足、前作「チームバチスタの栄光」でも医者不足による過労が問題視された。「TOMORROW」では地方医療の危機。
 今、日本は想像を絶するほどの医療現場に直面している。

 バチスタ事件後倫理委員会の委員長に任命された田口のもとへある日告発文が送られてくる。「救命救急の速水センター長は医療メーカーと癒着している。」
 そこで今度もまた調査を依頼されけがのため運ばれてきた厚生労働省の白鳥と一緒に調査を開始する。だが二人を待っていたのは切れ者、冷徹、非情な男速水と目を覆いたくなるほどの医療現場の現状だった。

 だれが告発文を送ったのか。支店長は本当に自殺だったのか。速水は本当に癒着をしていたのか。速水は一体なにをしようとしているのか。
 これらの謎の伏線が全編にわたりさりげなく登場しているためリアルタイムでは気づかず最後に一気にわかるのが気持ちいい。

 なんとも田口と白鳥のやりとりは面白い。特に白鳥の「ガリバー」のくだりは最高である。いやいや白鳥がいるだけで思わず笑ってしまう、最悪な皮肉を言ったと思えばするどい指摘もする。憎めない役にきちんと阿部さんは仕上げた。竹内演じる田口ものほほんとしながらも芯がしっかりとしていて安心感がある。

 だが速水である。物語後半の倫理委員会での速水を見ればきっとだれもが目頭を熱くさせるはずだ。
 速水は癒着していた。だがそれは決して自己利益のためではない。その受け取ったお金をすべて「人を助ける」ために使用していた。そんな中で知る救命救急存続の危機。速水は自ら告発文を送り倫理委員会を開かせそこで救命救急を一から立ち直させようとしていた。
 センター長に任命されたときにしたある約束。それは救命救急医療現場の改善であった。にもかかわらずなにもなかったかのように扱われる始末。救命救急の人件費を削り最低限の人数で構成し、しかも彼らは一か月も家に帰っていない。速水の車もまた駐車場で汚くなっていた。
 けが人を片っぱしから「受ける」ため満床になり他の科に移したくても他の医者は協力しようとしなかった。
 速水は自ら「罪」を背負い医療現場を整えてから去るつもりだった。
 救命救急の現場ですべてのけが人を「受ける」ことは難しい。限界を知らず次から次から「受ける」ことは決して正しいことではないだろう。その限界をあえて超えようと速水は必死になっていたのだった。同じように苦しんでいるけが人を目の前にしながらはたして「選択」できるだろうか。速水にはできなかった。

 そこで突然知らされる大被害。たくさんのけが人。
 こういう現場では治療の優先順位を色で区別する。赤はすぐに治療が必要、黒はもう手遅れ。黒をつけられたけが人の家族が泣き叫ぶ中「黒は正しい判断」と山本太郎演じる医者が言う。これは確かに非情だが一番つらいのはほかでもない医者自身ではないだろうか。医者自らが優劣をつけなければならない。人を助けるはずの医者がけが人を見捨てる決断をくださなければならない現実。医者であろうと人間。助ける命をはたして選べるだろうか。
 それさえも余儀なくされるその現場。でもそれだけではなかった。
 救命救急の縮小など速水の失脚を考えていた人や他の非協力的な医者も一致団結する。「癒着」によって得たお金で買った医療器具。白鳥が手配したドクターヘリ。
 そこは速水がずっと願っていた医療だったに違いない。

 癒着は「悪」かもしれない。でも正義と悪をどう定義できるものか。
 包丁は料理をするための道具だが使い方次第で人を殺せる。
 車は移動手段には最適だが少しの油断で人を死に至らしめる。
 戦争は「平和」をかかげ人を殺すこと。人を笑顔にするための手段で人が死ぬのならはたしてそれは正義でありつづけるのだろうか。

 癒着事態は当然犯「悪」だ。だがそれは自己利益においてであってもしそれが「人を助ける」ためのものだったとしたら。それでも「悪」だろうか。
 きれいごどで人を助けることはできない。偽善なんて必要ない。

  最後田口達のはからいで速水は辞職せず北海道で三年間医療に携わることになる。
 
 「ジェネラル・ルージュ」とは「血まみれの将軍」ではない。
 それはただ「人を救いたい」と切に願ったある医者のことである。
 それは同じ志をもった医者と看護師が生んだ希望である。

 

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