達磨大師 4 【備忘録】 | 人間万事塞翁が馬

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福から禍へ、そして禍から福へ

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少林寺です

達磨大師 4になりました

そうやって農民の顔を見ることで、農民が集まってきて、達磨大師の話を聞いてくれる人が増えたら
その噂を聞いた多くの僧侶も集まって来ました
弟子にして欲しい人、教えを乞う人…

しかし、達磨大師は来る日も来る日も変わらず
昼間は農民の元へ、夜は座禅
集まっていた大勢の僧侶も、そのうち、一人減り、一人減り…
その中に、慧可という者が、達磨大師に強い決意を示した
自分の腕を切り落としたのです
これが、慧可断臂という言葉の由来です

慧可断臂は強い決意を示すこと
そして、慧可は達磨大師の弟子になりました

ただ、慧可は中国の人
ここで、インドの流れが止まってしまった

西天 28という言葉があり、西天とはインドのこと
インドからの流れは28代まで、達磨大師までということですね
インドのプライドだそうです

そして、達磨大師からの禅宗、観相術は東天 6というのがあるのですが、
東天は中国なんですが、達磨大師は本来インドの人なんですが、
東天 6には、達磨大師も入ってます

(この言い方ってどうも神 7とかと似てますね)

道信という者の時に、禅宗だけは次の弘忍に受け継がれた

そして、嘉祥大師吉蔵、牛頭法融には観相術として、禅と供に受け継がれたが、
この禅は「三論牛頭禅」と呼ばれる

そして、観相学は膨大な達磨大師からの資料のバトンタッチだけで、
三論宗 39代 中山法元まで受け継がれた

そして、後に藤木相元の手元に渡るのです
ここまで、2千年くらいはてなマーク長い道のりでしたね〜

さて、次回からはその達磨大師からの観相学の資料が
藤木相元の手元に渡るまでに入ります