不可思議な時間 | 光の海で

光の海で

こころの中にある光の海としてのわたし

二学期が始まった9月の最初のころ、コロナ感染症が拡大していて

学校側もあれこれ対策を強化して、対応しようとした。

 

しかし、昨春の突然の休校からもう1年半以上過ぎているので、

すでにやれるだけの対策は行っている、というのが現場の実感だ。

 

また、教師なら誰もが感じていると思うが、子ども(私の相手は

高校生だが、これが小学生となればもっと大変だ)というものは

元来、話したり騒いだり動いたり走ったりと、じっとしていないもの、

うるさいのが元気印のような生き物だ。だからそういう彼らに

再三注意しても、どこからかほころびが生まれる。

 

ということで、今回、一番徹底しないといけない事項として、

食事中の会話、というのが浮上してきた。

そう、黙食厳守というのは、感染症対策として大切なことだ。

 

けれども、毎日、昼休みになると、普段は騒がしい彼らが、

前を向いて並び、物音ひとつせず、ただひたすら食事を

している姿を見て、何とも言えない気持ちになる。

 

一瞬、自分はどこにいるのだろう、ここはどこだったっけ、と

自分に問いただしたくなるような、不可思議な時間。

 

早くこのような時間から解放されて、彼らが笑顔で会話を楽しみながら

食事ができる環境になってほしいと、切に願っている。