第102回 「ノブレス・オブリージュ」 | インキュベーター社長日記 | インターウォーズ株式会社 吉井信隆のブログ

第102回 「ノブレス・オブリージュ」

 GWに、倉敷の大原美術館を訪ねた。


モネ・ピカソ・シャガール・ユトリロ・モジリアニ・ルソー・ゴーギャン・ミレー・ミロ・セガンティーニを始め、この紙面では挙げきれない世界の巨匠と云われる画家の代表作が揃い、その凄さに圧倒された。


日本にまだ美術館などない昭和初期に、地方の小さな町に一事業家によって創られたというのだから、驚く。


この美術館を創った人は、二十七歳の若さで、地方の小さな紡績会社を引き継ぎ、その後、クラレや、中国銀行や中国電力などを創設し、日本を代表する企業文化を持った企業グループに育てた経営者・大原孫三郎氏だ。


大原さんの経歴の足跡は、経営者教育どころか、学校教育も終えてないが、経営を社会的存在と捉え、正義感を追求し、「下駄と靴を同時に履こう」と試みた稀有な人間味溢れる実業家だ。


 「人」を徹底研究し、「人事」を経営戦略のコアに、人に任せて責任を自分が取るといった経営スタイルで、ビジョンを具現化し、関西以西においての大事業家となった。


その作り得た富を文化事業に投資育成して、自己の目標を達成した数少ない実業家だ。


 昨今、企業の社会貢献が叫ばれ、企業文化やメセナが話題になり、社会から求められているが、それを60年も前にやっていたことになる。


 大原美術館は、児島虎次郎という画学生と、大原さんとの出逢いから生まれた。


大原孫三郎氏が、資金を提供し、画家児島虎次郎が自らの目で、現地で、印象派やエコールド・パリと云われていた頃の作品をダイレクトに画家達から買い集め、世界を代表する画家達の名画が倉敷の街に集り、倉敷=大原美術館ブランドとなった。 


太平洋戦争中、真珠のような世界の絵画のコレクションが収集されている倉敷の大原美術館を失うわけにはいかないとのことで、爆撃目標から外されていたとの実話は、驚きだ。


倉敷の街の持つ文化が、こういった背景から創生されたというのだから、歴史は面白い。



 地方の志を持った若者達の手によって、明治維新が行われ、政治や経済も大きく変革を遂げた頃、


美術界でもこれまでにない画風が、新たな若い画家達の手によって創生された。


新たな文化が創生される背景には、「ノブレス・オブリージュ」(富を得た者の社会文化貢献)の思想を持ったリーダーと、それを支えるチームがいつも存在している。





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