第105回  「時代を切り開いたインキュベーター渋沢栄一」 | インキュベーター社長日記 | インターウォーズ株式会社 吉井信隆のブログ

第105回  「時代を切り開いたインキュベーター渋沢栄一」

 明治維新の頃、金のない「強烈な想いや志を形にしたい起業家」が、資本家にその熱意を伝え、「いい考えじゃないか!」と、出資してもらうことから、株式会社というモデルが生まれたといわれている。


これが日本の社会を変える力になると考え、フランスからこの株式会社システムを導入し、今、話題になっている王子製紙をはじめ、東京海上火災保険、東京ガス、サッポロビールなど、業界を代表する企業を500社インキュベートした渋沢栄一は、日本の資本主義の土台を作った。

“明治のインキュベーター”で渋沢さんの旧宅が、王子の飛鳥山公園の隣にある。


その精神に触れたい想いで訪ねた。


渋沢さんは、大農家に生まれ、論語や剣術を学び、商売の才覚と武士としての気質をも持ちあわせていた。


尊皇攘夷思想に目覚め、倒幕計画を立てながらも、最後の将軍となった一橋慶喜に仕えた。


 1867年、慶喜の幕臣として、パリ万博に出向き、フランスの資本主義による産業化を一気に推し進めた思想家サン・シモンに出会った。この思想の影響を受け、「産業を興す、つまり会社をインキュベートすることを最優先として社会を建設する」ことが、徳川幕府終焉後の、リストラ武士達を生かすことにも繋がり、階級社会を変革できると考えた。


「富は、物が動くことで生まれる」と捉え、まず金を流通させることが必要だと、庶民からカネを集める第一国立銀行を真っ先に設立した。


当時の銀行は金持ちからカネを集めることが主流で、庶民を相手にしていなかったようだが、多くの人から少しずつカネを集め、集めた資本を株式会社に投資し、利息を人々に返すといった、今でいうベンチャー投資(銀行は担保を取らなかった)を行っていった。


会社に必要な・技師・商人・職工などの人を紹介し、起業を応援している。


渋沢さんは、自分が設立した会社でさえ、持ち株は5%を超えないようにしており、支援に徹していた。


 渋沢さんは、マネーゲームを嫌い、「儲けてもいいが、寡占は避けろ」と、口癖のように云っていたとのことだ。


寡占が進むと市場全体のパイが育たなくなり、市場のパワーが落ちてしまう。そうすると結局、企業は儲けられなくなり、社会は力を失う。


一人で利益を独占しようとすると結局は損をするということを示唆している。


ベンチャー企業とは、そもそも、志の実現にむけて、利益を独占しない「バランス感覚」と、起業という「チャレンジ精神」を持った人間集団だ!!





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