こんばんわ。
このブログは、
シンガーソングライター高尾伶の趣味である
「インタビュー記事を読むこと」から
生きる希望を見出していく連載です!
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今回読んだ記事はこちら↓
https://news.mynavi.jp/article/20180903-686960:amp/?__twitter_impression=true
オードリーの若林さんが、
8/30に発売したエッセイ
『ナナメの夕暮れ』を記念しての
インタビュー記事です。
このタイトルには
「若手の頃にあった『何でもナナメから物事を見ようとする』という感情が、歳をとるごとに減ってきたということを日没に喩えた。」
というようなことをおっしゃっていました。
ということで今回は、
タイトル決め
について書きたいと思います。
曲でも漫画でも
テレビ番組でも週刊誌でも
小学生の図工の作品でも
タイトルは絶対ありますよね。
それはどのようにして
決めていくものなんでしょうか。
ギュッと簡単にまとめると
「ザックリと内容を表している」
と言えるんじゃないかと思います。
夢について歌えばタイトルは「夢」。
主人公が成長していく
PRG的な漫画なら「○○の大冒険」。
クイズ番組なら「クイズ!○○」みたいな。
たくさんの人と手が加わって
老若男女たくさんの人に一発で
表面だけでも伝えたい場合は
どうしても大味になっていくと思います。
そんな中、若林さんは
今回のエッセイのタイトル
を決めた経緯をこのように言っていました↓
僕はこの考え方は凄く正しいと思います。
正しい以上に好きですこういう視点。
僕は7~8年音楽作りをしてきて、
おんなじくらいのいろんなアーティストを見てきて
よく感じていたことなんですけど、
「なんで見たことあるタイトル付けるの?」
ってことで、
音楽の世界では特に「タイトルかぶり」が多い。
ライブのMCでも
「それでは聴いてください『君へ』」
「それでは聴いてください『ねぇ』」
「それでは聴いてください『存在証明』」
とかが多過ぎる!(泣)
いやわかるんですよ。
タイトルは全体(象徴)を表しているから
その方がまとまりがあることを。
でもさ、僕らは若手の表現者として
既に手垢のつきまくったタイトルをつける意味
とか価値ってなんだろう?って思うんです。
もちろん表現に嘘ついても虚しいんだけど、
音楽、特にJ-POPの文化を楽しませてもらって来て
それを今度は自分たちの世代が受け継いで
更新していこうとしているのに
10年前とおんなじ事は出来ないじゃないですか
やっぱり。
「こんなんだったら10年前に生まれたかった」
なんて思いたくないし、
思わせたくないじゃないですかやっぱり。
もちろん何年経っても変わらない美しさを
表現するのも素晴らしいですし、
僕もそれはいつかやりたいんですけど、
若手(世に出ていないという意味で)なら
文化を更新していこうとしましょうよ。
上手くいかないことの方が多いけど、
せめてその姿勢だけでも見てもらいましょうよ。
だから今後一切、
バンドマンはBUMP、RADっぽいこと、
男SSWは秦基博っぽいこと、
女SSWは大森靖子っぽいこと、
禁止です!!→うるせー(笑)
話戻りまして、
若林さんの本は、ひょっとしたら
「諦念」というタイトルが一番見合ってたのかもしれません。
ただ自分の近しい人(山里亮太)、のタイトルと似てるから、発売日も近いから、そこから更に目を凝らして考えて
「ナナメの夕暮れ」に辿り着いたわけですよね。
これこそ
表現者としてのマナー
なんじゃないかと思うんですよね。
歌って凄く誠実な部分が出るし、
自らそう表現したくもなるから、
どれだけ「愛」ってタイトルの曲が世に出てても
「愛」って付けたくなっちゃうんですよね。
でもやっぱり僕は、若林さんの意識みたいに
受け手の人に新鮮な表現を目指したいと思います!
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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