セックス・ピストルズと「広告」の意外な関係
1970年代後半、イギリスから登場したパンク・ロック。
その代表としてまず思い浮かぶのが、セックス・ピストルズだろう。
破れた服、安全ピン、短く逆立てた髪、挑発的な言葉。
それまでのロック・スターとは明らかに違う。
「こんなものは音楽じゃない」
「社会への反抗だ」
「資本主義へのアンチテーゼだ」
そんな説明をされることも多い。
でも、少し違う角度から初期パンクを見てみると、非常に面白いことに気づく。
パンクは、メディアを嫌っていたわけではない。
むしろ、メディアをものすごく意識していた。
そして、皮肉なことに、そのメディアを利用することで、パンクそのものが巨大な「商品」になっていったのである。
「目立つこと」は、パンクにとって武器だった
セックス・ピストルズの周辺で重要な人物が、マルコム・マクラーレンだ。
マクラーレンはヴィヴィアン・ウエストウッドとロンドンのキングス・ロードでショップ「SEX」を経営していた。
そこではラバーやPVC、ボンデージを思わせる服、挑発的なメッセージをプリントしたTシャツなど、それまで一般的なファッションとはかけ離れたものが売られていた。
つまり、パンクが登場する前から、
「人が振り向くものを作る」
という発想があった。
服そのものがメッセージであり、店そのものが話題を作る装置だったともいえる。
そこにセックス・ピストルズが登場する。
マクラーレンがこのバンドをショップの思想を広めるための存在として利用した、という見方もある。一方で、ジョニー・ロットンらは、バンドの成立を単純にマクラーレンの「商品」とする見方には反論している。
どちらが正しいのかという話より、ここで重要なのは、
音楽、ファッション、店、グラフィック、メディアが最初からかなり近い場所にあった
ということだ。
テレビに出たら、とんでもないことになった
そして1976年12月1日。
セックス・ピストルズはイギリスのテレビ番組「Today」に出演する。
司会者ビル・グランディとのやり取りは、最終的に放送禁止用語を含む騒動へ発展した。
翌日の新聞は、この出来事を大きく取り上げた。
結果として、セックス・ピストルズは一気に全国的な知名度を獲得することになる。
ここが面白い。
彼らがテレビで「いい演奏」をしたから有名になったわけではない。
テレビという巨大メディアの中で「問題を起こした」から有名になった。
そして新聞がそれを報じる。
新聞が報じることで、さらにテレビや世間が反応する。
「パンクは危険だ」
「こんな連中をテレビに出すな」
そんな批判まで含めて、すべてがパンクの名前を広めていく。
つまり、
メディアがパンクを攻撃すればするほど、パンクの広告になってしまう。
これは現在のSNSにも少し似ている。
「新聞に載る」こと自体が広告になった
さらに面白いのが、グラフィックだ。
セックス・ピストルズのイメージを決定づけたデザイナー、ジェイミー・リード。
彼の代表的な手法が、新聞などから文字を切り抜いたような「身代金要求書」のようなデザインだった。
「Anarchy in the U.K.」や「God Save the Queen」のアートワークでは、既存のイメージや英国の象徴を切り刻み、別の意味を与えている。
これは単なる「汚いデザイン」ではない。
新聞という既存メディアのイメージを使い、その新聞が持っている権威をひっくり返してしまう。
メディアを壊すために、メディアの表現方法を使う。
そんな構造になっている。
しかも皮肉なのは、そのデザイン自体が非常に強い広告になったことだ。
「バンドの写真」すら必要なくなった
ジェイミー・リードについて調べていくと、さらに興味深い話がある。
セックス・ピストルズが新聞に頻繁に登場するようになると、リードは「もうバンドの写真を使う必要はない」と考えるようになったという。
新聞の一面にセックス・ピストルズが載っている。
それなら、その新聞そのものを素材にしてしまえばいい。
実際、1976年のテレビ騒動の翌日には新聞記事を切り抜いたモンタージュが作られ、バンドのプレス資料にも使われた。
これは広告として考えてみても、ものすごく上手い。
普通なら、
「セックス・ピストルズの写真」
「ライブ写真」
「発売日」
「レコード会社のロゴ」
などを並べる。
ところがリードは、
「世間が騒いでいることそのもの」を広告素材にしてしまった。
話題そのものをクリエイティブに変えてしまったのである。
パンクは「反広告」だったのか?
ここで最初の疑問に戻る。
パンクは資本主義を嫌っていたのか。
もちろん、当時のパンクには既存社会や権威への強烈な反発があった。
でも、それだけでは説明できない。
なぜならパンクは、
-
服を売った
-
レコードを売った
-
ポスターを作った
-
雑誌に載った
-
テレビに出た
-
新聞に載った
-
店を宣伝した
-
バンドのイメージを作った
からだ。
そして、そのすべてが「パンク」という巨大なイメージを作っていった。
ヴィヴィアン・ウエストウッド自身も、後に当時の店がパンク・スタイルと結びつき、DIY的な美学を生み出したことを語っている。
パンクは、資本主義の外側にいたわけではない。
むしろ、
資本主義が作り出した商品、ファッション、広告、テレビ、新聞といった仕組みを利用しながら、その仕組み自体を攻撃した。
そこに初期パンクの面白さがある。
「反抗」さえ商品になる
そして、もっと皮肉なことが起こる。
パンクのファッションが流行する。
破れた服、安全ピン、鋲、Tシャツ。
最初は「普通ではない」ことが重要だったものが、いつの間にか「パンク・ファッション」というジャンルになる。
つまり、
反抗するためのスタイルが、商品になる。
これはパンクに限った話ではない。
ヒッピーも、グランジも、ストリートカルチャーも、最初は既存の価値観から距離を取ろうとしたものが、やがてファッションや広告に取り込まれていった。
資本主義は、反抗すら商品に変えてしまう。
だからパンクは資本主義に負けた、と考えることもできる。
でも、別の見方もできる。
商品になってしまうことまで含めて、パンクは社会の矛盾を露呈させた。
「お前たちは俺たちを嫌っているのに、俺たちの格好を売るんだろ?」
そんな皮肉すら成立してしまう。
パンクは「メディア」そのものになった
初期パンクを見ていると、もうひとつ重要なことに気づく。
彼らは単に音楽を作っていたのではない。
自分たち自身をメディア化していた。
服装。
髪型。
レコードジャケット。
ポスター。
ライブ。
インタビュー。
新聞記事。
テレビでの騒動。
全部が「パンクとは何なのか」を伝える情報になっていた。
今なら、YouTubeの動画、Instagramの写真、TikTokの短い動画、Xの投稿などに当たるのかもしれない。
1970年代のパンクには、今ほど簡単に自分で発信できる環境はなかった。
だからこそ、フライヤーやファンジンを自分たちで作り、新聞や雑誌、テレビといった既存メディアに入り込んでいった。
そして今は、誰もがメディアを持っている
ここまで考えると、1970年代のパンクと現在のSNSには意外な共通点がある。
昔は、
「どうすれば新聞に載るか?」
「どうすればテレビに出られるか?」
が重要だった。
今は、
「どうすればSNSで拡散されるか?」
「どうすればYouTubeで見てもらえるか?」
に変わった。
メディアの形は変わった。
でも、
「まず存在を知ってもらわなければ何も始まらない」
という部分は変わっていない。
そして、パンクが面白かったのは、単純に「広告を出した」ことではない。
既存のメディアが持っていたイメージを利用し、それを壊し、そこから新しいイメージを作ったことだ。
新聞を切り抜く。
テレビで騒ぎを起こす。
ファッションで目立つ。
レコードジャケットを一目で分かるものにする。
それら全部が、パンクを知らない人にまで「何だこれは?」と思わせる装置になった。
パンクと広告は、案外遠くない
広告というと、
「商品を買ってください」
というものを想像する。
でも、本質的には、
「ここにこんなものがあります。見てください」
という行為でもある。
そう考えると、パンクは非常に優秀な広告だったのかもしれない。
もちろん、本人たちが「広告を作っていた」と考えていたわけではない。
むしろ、
「俺たちは広告なんかじゃない」
と言うだろう。
それでも、誰かの目を止めさせ、記憶に残し、話題にさせ、名前を広める。
その仕組みだけを取り出してみれば、広告とそれほど遠くない。
だから僕は、初期パンクを見ていると、こんな疑問が浮かぶ。
パンクは資本主義に反抗していたのか。
それとも、資本主義が生み出したメディアを、誰よりも上手く利用したのか。
たぶん、その両方だったのだと思う。
そして、その矛盾こそが、1970年代のパンクを今でも面白いものにしているのではないだろうか。
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