理由はなんだろう。
ホリエモンの新著「ゼロ」には、こういう一節があるそうです。
(カスタマーレビューから拝借)
・仕事でも勉強でも、あるいは趣味の分野でも、人が物事を好きになるプロセスはいつも同じだ。
「好きだから没頭する」のではない。「没頭したから、好きになる」のだ。
つまり仕事が嫌いだと思っている人はただの経験不足なのだ。(P127)
これは本当に同感で、よく「好きなことが見つからない」っていう人が居ますよね。
あれは、「好きなことが見つからない」じゃなくて「本気で努力したことが無い」って公言してるだけだと思います。
自分が今マジになれないのも一緒で、それって要は、頑張っていることがない表れなんです。
いや、なんだろうな。頑張ってるんだけど、マジじゃないんだよな~
マジでやってたことって、みんなあったと思うんです。
ドラクエでもFFでも良いし、部活とかサークルでもいいんですけど、親に「もうそんなことなんかしてないで、勉強しなさい!!!」って言われても負けずに、ずーと没頭してやっていたことって学生時分にはよくあったと思うんですよね。でもあれ、頑張ってやってた記憶あります?ないっすよね。「あれ?気付いてたらもうこんな時間?」みたいな。
自転車のタイヤホイールを棒でつついて転がす遊び(昭和か!!!)をずーとやっていて、朝から夜になったとか~
川に泳ぎに行ったとき、石投げて水面をバウンドさせる遊び(水切りというらしいです)で、気づいたら友達誰もいなくなってて横にいるのは河童だけとか。(河童の川流れか!!!)
庭にひたすら穴を掘って、地下室を作ろうとしたけど、もう掘ること自体がたのしいなり~。堀越のりなり~。(葱坊主か!!!)
とかとか、色々ありましたよね!?みなさん!?へい!everybody out there!?(欧米か!!!)
でも、あれって疲れたりしないですよね。
楽しいから没頭してしまう。
穴を掘るのが楽しくて、掘りまくってしまう。違う穴を掘ってしまって、サー大変。
墓穴を掘る!!!おけつを掘る!!!
でも考えても見てください、それが、工事現場で「穴掘れ」って言われて穴掘ってたら、きっと楽しくなかったし疲れたと思うんです。工事現場監督に「おれの
マジになれる要素って、没頭できるかどうか。ってのが大きいと思います。
ただ、実際没頭できるものが見つかっても、続ければ続けるほど、没頭し続けるには努力が必要になってくると思います。どこかで必ず壁にぶつかる。
それでもマジになって、それをやり続けるためには、どれだけ努力したかが重要になると思ってるんです。
(また長文書いちゃいました。しかも自分の話です。。。これテーマ「独り言」なんで、ここで切り上げる人は切り上げてください。ネットワーク、インフラの話は出てきません。)
自分の話であれなんですが、子供の頃から運動音痴でした。跳び箱飛べない、逆上がり出来たことない、かけっこいつも遅い、マラソン最下位層、ブランコ怖くて乗れない・・・みたいな人間でした。ジャンプ力ない、腕力ない。。。だから、体育はいっつも、どうやって休もうか考えているタイプの子でした(笑)。体育の授業になって張り切る友達が羨ましかった。皆の前で恥をかくのも大っ嫌いだったので、「失敗しながらも練習して上手くなる」という仮定も踏めませんでした。まぁ、完全なヘタレってやつです。
で、その後バスケにハマって、運動音痴な自分が、シュートが入るだけでちょっとしたヒーローになれた時がありました。小学校5年生くらいかな。で、中学からバスケ部に入ることにしました。でも、運動できないし、小学校卒業前に右の膝を亀裂骨折していたせいもあり、入部当時は本当についていけませんでした。また、練習量が半端ない学校だったので、毎日くたくたでした。夏休みって40日くらい休みあると思うんですが、部活の休みは5日しかなく、35日は練習で、毎日走りまくりました。
デブだった自分は夏休みが終わった後には痩せてしまい、2学期で付けられたあだ名が「笑うとおじいちゃん」でした。そうです。一気に痩せてしまったために、顔の皮が余ってしまったんです。そして、髪の毛を切りにいったら、いきつけの床屋さんに「あれ?髪が抜けちゃってるね。」と言われました。後頭部に一部、脱毛症の跡があったらしいです。その時は、もうある程度生えていた後だったそうですが。
そうなんです。
自分にとって、運動は楽しくもなんともなく、辛いだけのものでした。
また、夏休みの間に、一緒に部活に入った仲の良い友達は皆辞めてしまったために、一人で部活に行って一人で帰ってくる毎日でした。(辛かったんですよ、あの練習。。。)
だから、本当に楽しくなかった。
でも自分は辞めませんでした。
理由はただ一つ、先生が鬼怖かったから。です。
ヘタレでビビりの自分には、そもそも「辞めます」と言い出す勇気がありませんでした。
なので、超消極的な理由で続けていました。辞めたくても辞めれなかったんです。なので、夏休みの練習自体は35日くらいあったんですが、10日くらい休んだと思います。で、夏休みの合宿にも参加しませんでした。
上手くなりたいとか、バスケが楽しいとか一回も思ったことなかったです。(笑)
つーかまじ辞めたかった。でも怖くて言い出せなかった。。。
怖いからしょうがなく続けていました。
そして中学の3年生が引退し、2年生の代になりました。
その2年生達が半端なかった。最強で最悪の2年生たちでした(笑)
その先輩たちが、自分達の代になって最初の大会で、優勝しちゃったんです。
しかも準決勝も一点差、決勝戦も一点差です。
正に、実写版スラムダンクを見てるような感覚でした。
(備考:自分たちの上3つくらいの世代からもろスラムダンク世代で、スラムダンクを夢見て入部した人が多数で人数めっちゃ多かったんですよね)
(バスケの醍醐味ってこういった接戦の終盤にあるんですよね。回が分かれてる野球とか、なかなか点が入らないサッカーとか、一発取って逆転勝ちの無いバレー(同点→逆転というプロセスを踏まないといけない)とかと違って、本当のシーソーゲームがあるところだと思います。どっちが勝つか負けるか、一つのシュートで決まってしまう。そういう終盤のハラハラドキドキ感がたまらなかった。)
もうその時にハマっちゃいましたね~。
最強最悪の不良の集まりみたいな先輩たちでしたけど、団結力凄かった。
あと選手層厚かったので、みんな試合に出てたし、ベンチに”他人感”が漂って無かったですね。「どーせおれ試合にでねーし、関係ないし」って思ってる人は一人もいなかった。
スタメンがちょっとミスしたら「おれを出せ!」みたいな勢いのある人ばっかりだったので、それもすごい良い効能で、ベンチの後ろにいるだけだった自分も凄い臨場感を持って試合を応援できました。
「もっと声出せよ!声出して目立てば試合出れるかもしれねーぞ!」って言ってくれる先輩とかいて、ミニバスやってる人たちにとっては当たり前の事だったのかもしれないけど、運動音痴でそーゆー経験の無い自分には、まさに初めての
そして、優勝した時、ベンチにいた先輩たちも、チョーガッツポーズで、試合に出てない先輩でも泣いてる先輩もいました。(それゃ、あんな辛い練習してればそうだよな・・・)
今まで嫌々やっていた運動が「おれも試合に出たい!先輩と一緒にバスケがしたい!」と思うようになりました。
その先輩たちが強かったので、先輩達の代から、地区大会の、先の大会に行けるようになりました。
で、世の中にはこんなにバスケが上手い人がいるんだ~と、そういった経験もできました。
そして、ますますバスケが好きになりました。
それと同時に身長が伸びました。中二の時に177センチになって、でかくなるにつれて運動音痴の自分でも身体能力が向上していきました。
また、自分ちょー真面目でした(笑)
必ず練習の前に、学校の外周を5週走ってから部活開始。
と言われていたんですが、殆どの人がそれを守ってなかったんですね。みんな1週か2週走ったら、体育館に行ってシューティングしてた。でも自分は毎日5週走ってから練習に行きました。
下手くそな自分が、練習前に5週も走っちゃうから、練習中はうまい人についていけないんです。もう始まる前からヘトヘトなんです。でも相手は1週そこらしか走ってないので、元気バリバリなんです。だから、真面目に5週走ってる方が、なんか不利なんです。(笑)
でも自分は絶対に5週を走ってから練習にいきました。理由はただ一つ、先生にまだ鬼ビビってたんです。
たまに先生が5週走ってたかどうか、抜き打ちで見に来るんですね。その時、皆は平気で「走ってました~もう終わりました~」とか言えちゃうんですけど、自分はビビりなので言えなかった。
そのたまにの抜き打ちが怖くて、毎回走ってから行きました。
基本、怒られるのが怖くて続けていたバスケなんですが、それでも1年続けると愛着が湧くんです。好きになってくるんです。自分の代になる頃には、段々走ることも億劫じゃなくなってきました。ランナーズハイとかまでにはなりませんでしたが、運動音痴でもなくなってきました。
中学2年生の時には、棒高跳びでクラス3位くらいに入るようになってました。
跳び箱が飛べなくて、逆上がりが出来なかった自分がですよ!?もう本当に嬉しくて、怖がりながらもバスケやって良かった。と思いました。
余談ですが、だから子供にとって怖い大人が減ってる現代って、子供は不幸だなって思うんです。
子供は正しいことが何かとか、善悪とかの判断とかが完璧には出来ないです。でもその時に、色んな導き方があるとは思うんですが、「怒られるのが怖いからやる。」「怒られるのが怖いからやらない。」っていうのも立派に機能する面があると思うんです。最初はそれでコントロールしてあげて、続けさせているうちに、子供がその正しさに気付くこともあるのではと。
また、外周をちゃんと走っていた御蔭で、最強最悪の先輩たちに、外周のタイムで勝つようになりました。運動音痴の下手くそな自分しか皆知らなかったので、自分が短期間で先輩たちをごぼう抜きにしてやったので、皆マジびっくりしてました(笑)
自分は大学生の時に、U15全日本代表(エンデバー)とその候補の中学生たちとバスケしていたのですが、一番びっくりしたのは、その上達の速さです。14歳の頃の彼らとプレーした時は、「これが日本代表?」って感じでしたが、15歳になる頃には、もう勝てませんでした。大学生の自分でしたが、恥ずかしい限りです。でも身長190くらいでアップでかるーくバックダンクする中学生の集団ですからね。3Pシュート100本を5セットやって、平均95本以上決める中学生ですからね。まぁ、全国出てる高校生でも勝ててませんでした。怪物はいるんです。
っとそういうことが言いたいわけではなく、スポーツって言うのは、15歳くらいまでで、めちゃめちゃ伸びるんです。バスケだと国の代表で10代がスタメンなんて、全然おかしくないですからね。
その子たちに、マジになって何かをやらせる。変な方向にぶれさせない。競技者として伸びるためには、恐怖でのコントロールもある一面で必要だと思います。基本、アスリートに時間はないんです。アスリートのプライムタイムは短いんです。でもそのプライムタイムを有効に活用できれば、急成長も遂げることができるんです。
そんなこと、中学生真っ只中の本人たちは知り得ません。
それを教えてあげて、導くことが出来るのは大人だけだと思います。
競技者だけじゃないですね。いま、どんな子供にも怖い大人が必要だと思います。
いまの子供、大人なめきってますよね?そういう悩みを方々から結構聞きます。
それによって誰が一番ダメになるか。その子自身ですよね。
「嫌われ者になってもいいから、こいつはここで正してやらなければいけない!」
って気概のある大人が減ったのが本質的な原因だと思ってます。
体罰が禁止になったからとか、それは表面上の問題で、なぜ体罰が禁止になるほど問題になったのかといえば、正しい世の中、人間として成長していくために何が必要か、そういうこと考える大人、ちゃんと伝えて体現していくことの出来る大人が減ってきたのが一番の問題だと思います。自分は今、29歳ですが、30代、40代で頼りになる人少なすぎます!
勉強できる人、仕事できる人、それはそれで必要なんですが、そうじゃなくてですね、人間として尊敬できる人。倫理観があり、世の中をもっと良くできるような人、いなくないですか?
お年寄りに優しくて、子供にも優しいけど、厳しいことも言える、怖い一面も持ってるけど、みんなから好かれるような、そういう人間として器の大きい人。。。
60代、70代では沢山知ってます。でも最近の30代とか、しっかりしてほしいっす。
まぁ、こういうと30代40代に怒られそうですよね。
ていうか、いますからね!いま色んな事を相談させてもらっている人は正に30代とか40代の人たちで、本当に頼りにしてますが、全体の総数としてですね、なんか頼りない、利己中心的な人が多いっす。あ~自分の業界のせいかもしれないですね。他の業界の人が言ってましたが「IT業界ってやっぱ暗い奴多くね?」って営業の友達に言われました。
まぁこれから自分が、社会に頼られる30代 in IT業界になりますんで!がんばるぞ!
学校の先生も倫理観ない人多いよな。。。
自分が高校生の時、教育実習生がガム噛んでたんすよ。で、おれ言ったんです。
「ガム噛むなよ」って。そうしたら、他の先生が、「良いから、良いから」って言ったんです。
「なんで生徒がガム噛んでたら怒られるのに、それを注意する側になる人間がガム噛んでるのは容認されるんですか?」って。どうやらその先生は、ただ単に教育実習生と揉めるのが嫌だっただけらしいんですが。まぁその後、実習生本人にもきつく言いましたし、然るべき先生に話して、然るべき対応を取ってもらいました。が、なんかまぁ~それは細かい例え話でしたが、
分かってます。そこに冗長は必要ですし、”あそび”の部分は絶対必要なんですが、正しいことを行うには、厳しさが必要で、それが本当の優しさだと思うのですが、そういうの貫いてくれる先生が少なすぎます。。。
これは当時から思ってたことですが、生徒と一緒になって楽しくしてくれる先生も必要ですが、大人になってみて振り返った時、一番感謝する先生ってどんな先生ですか?
やっぱり本気で叱ってくれたり、怒ってくれた先生じゃないですか。
自分は学生の時は、今よりもっと、卑怯で弱い人間だったのですが、そういう弱さを根気よく正してくれたのが、中学の部活でお世話になっていた二人の先生でした。その先生がいなかったら、やっぱり辛い時に逃げて、自分の都合の良いように嘘を付く最低の大人になっていたように思います。二人の先生は、鬼怖かったけど、いま一番感謝する先生は、この二人です。
そしてその後、最大の恩師というか命の恩人の先生にも出会えるのですが、その先生もめちゃめちゃ怖い。いつもびびってます。びびってますけど、その先生のこと大好きです。
人間って、真っ直ぐ生きないといけないと思うんです。何も学歴とか、仕事とかの話をしてるんじゃなくて、人間としてまっすぐな生き方ってことです。でも、曲がって行ってしまう。真っ直ぐ生きるのが、一番辛い生き方なんだと思います。
その先生には、そこも正されました。そして、曲がっている自分を直すという作業は大変に辛いです。
だめな自分と向き合って、今自分がだめだめであると本当に認めないといけません。文章でなら簡単に書けますし、自分を蔑むこともポーズとして取るのは容易でしょう。でも本当に自分に反省して、自分を受け入れて、正していくことって、すごい根気がいることなんだと思います。
身体と魂で自分でぶつかって来てくれて、それに気付かしてくれた。
自分が変わるために一緒に戦ってくれた。
「赤の他人に、こんなことしてくれるやついるか?」って冗談半分に言うのが、最初に会った時の先生の口癖でしたが、前に電話で喋った時に「自分の肉親の様に思ってるよ」と言って頂いて、感動しました。だから、本当に怖い方なんですが、すきなんです。
誰も持っていなかった、本当の優しさを持っているんです。
親ですら、そこまで本気で止めてくれなかった。自分がどんがりまくってたってこともあります。
その自分をコテンパンにねじ伏せてくれて、正してくれた。そういった怖さと厳しさが、本当の優しさなんです。
自分の考えを相手に伝えて、行動してもらうには胆力がいるんです。
注意する側に回れば、今度は自分の行動はどうなんだと顧みられることにもなります。
相手から好かれることもないでしょうし、そう思った方がいいでしょう。
ですが、自分を律して、そして相手にも要求できる人。それになっていかないといけないですね。
何が正しさであるかという事は、まぁ難しい所なんですよね。
そこはやはり「正しさの強要」になってしまってはいけないと思うんです。
杓子定規ではないんです、人間の正しさというのは。
そこは分かってるつもりです。
なのでそこに倫理観とか道徳観とか、まぁお互い人間だからね。的な要素が入らないといけない。
それをうまく全体に浸透させてくれるのは「自然」だと思ってます。
自然と触れ合っている経験があるかどうか。。。(スピリチュアルか!!!)
とまぁですね。”愚痴”と”変な主張”と”バスケ”の事書き始めちゃうと、人間の毛細血管の総距離を足しても足りないくらいの文章を書いてしまう恐れがありますので、このへんで。。。
何が言いたかったか。。。
【マジになれない原因】
マジになれない → 没頭できることがない → 頑張っていることが無い
【マジになるには?】
1.とにかく何か続けてみる
2.続けると変わる(愛着が湧く、上達する、周りの環境の変化等)
3.一つ上の環境にいける
4.サイクルが回りだす。更に頑張る→ より結果が出る→ 環境が上がる
5.で、マジになる。
とまぁ、こんな感じかな。
夜に書くとこんな感じになっちゃいますね~
長い + 意味不明 = 夜の文章
でも夜勤やってるんで、この時間は、目がシャキなんです。
体内時計のコントロールの仕方。。。ないかな。
だれかすぐ寝れる技教えて~><
昼間寝不足過ぎて、一瞬パソコンの画面が全部緑色に見えました。(Blue screenじゃなくて良かったね☆)やばいと思って寝ましたけど、そのせいで、夜寝れない。。。
何か解決策あれば、教えてポコタ!!!
いけいけごーごーじゃーーーんぷ!!!