先週の「東京ステーションギャラリー 佐伯祐三展」では、あと50点を残した時点で別件のため途中退出したので、あの感動が冷めないうちに再度訪問した。
今回は、市営地下鉄で日吉乗り換えの地下鉄三田線大手町駅から地上に出て行幸通りを抜けて東京駅へ。
平日の午後2時過ぎなので、皇居外苑にも人は少ない。
整備された広い行幸通りを東京駅へ向かう。
左側の気になる工事現場を覗いてみると、近代的なデザインだった前川國男設計の「東京海上ビルディング本館」(1974年)と隣接する新館の解体工事だ。入社前年の施工作品だ。
新・本社ビルは、2024年12月着工、2028年度完成の予定。
皇居のからの美観に配慮して階数は現在の建物より5階(8m)低い20階(100m)となるという。
新・本社の完成予想図(HPより)
設計は、「関西国際空港」も設計した世界的に有名なレンゾ・ピアゾ+三菱地所だが、利用期を迎えた戦後に植林された樹木の活用による国の森林・林業の再生、雇用の創出のため、柱や床などにはふんだんに木を使うようだ。
因みに、施工はゼネコン大手5社+戸田建設。
近づくにつれてますます迫力を増す正面からの東京駅。
左手奥に見えるビルは、この近辺では最初に建った高層ビルの「朝日東海ビル」(1971年)だ。入社2年前の施工作品だが、これも解体中かな? 50年が建て替えのサイクルなのかな?
コンクリートと赤煉瓦の駅舎の前にある緑の美しい芝生は、30年前にアリゾナのゴルフ場で見たのと同じような冬芝かな?
さまざまにポーズを決めて写真を撮っているインバウンド観光客の間を、時折ビジネスマンが話しながら横切って行くのが丸の内らしい。
縁石に腰掛けて描いていたら、駅の警備員に「文化財に座らないで!」と、注意されたので、寄りかかったのだが、それでもXなので、立ったままで、一枚。
今回から展覧会用に持参したクリップボードが役立った。
そして、丸の内北口ホール1階から入館。
今回は、JR東日本「ジパング大人の休日倶楽部」の会員証を持参したので、100円割引。少しお得した感じ。
郵便配達夫のおじさんと一緒に、前回の続きを鑑賞。
その前に、前回観た2-2 パリ:壁のパリのコーナーでユトリロらしい絵があったので記録に。
写真は展覧会画集から
パリの街角(082)
ここからが、前回描けなかったのセクション。
リュクサンブール公園(097)
広告(103)
工場(123)
街はずれの寺(130)
モラン風景(135)
そして、1928年、肺結核、自殺未遂を経た情緒不安定な頃に描いた彼の遺作と言われる最後のセクション。
実に見応えのある素晴らしい展覧会だった。
彼の作品は大阪中之島美術館に多く所蔵さてれいるらしいので、今度帰省の帰りに新大阪で途中下車して、天満の箕面ビールとセットで会いに行こうかな。
2階にある休憩室から先ほどの駅前広場を眺めるられるのは、JR関連のJR東日本鉄道文化財団経営のギャラリーなるが故だ。
北口ホールを周回する2階の回廊を回って、ショップ経由で地上へ。
まさに、「街に生きて、街に死んだ」佐伯祐三を実感した素晴らしい展示会だった。
丸の内北口から、ガードを潜って永代通り方向へ。
やはり、先ほど駅越しに見えた「朝日東海ビル」(1971年)も隣の日本ビルヂングと一緒に解体中だった。
「朝日東海ビル」が完成する前の学生時代に、日本ビルヂングにあった三越分室で歳暮・中元の小包の宛名貼りのバイトをしたことを思い出した。
ここには、麻布台に建設中の「麻布台ヒルズ」
を抜いて日本一の高さ(390m)のTOKYO TORCH TOWERが、2027年度に完成予定だ。
「常盤橋」を経由して、「一石橋」へ。
常盤橋はよく知っていたが、この橋はあまり記憶にない。
橋自体は架け変えられたらしいが、大正11年(1921年)建造の重厚で風格のある花崗岩で作られた親柱は歴史の証人として今も変貌するTOKYOを見守ってくれているようだ。
ここから「常盤橋」方向の黄昏の日本橋川の眺めは、異質な首都高と相俟って、TOKYOらしい。
そして、この橋の近くの地下鉄半蔵門線三越前駅から家路へ。
自宅に帰って、お土産に買った郵便配達夫の絵葉書と額付きマグネットを前回買った作品集に載せてみた。
いやー、街歩きって本当にいいですね。
2012年10月の東京駅の絵ブログ。
次は、どの街角へ?