虎ノ門から新橋へ | ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

団塊の世代のラストランナー。想い出深い海外駐在当時も振り返りながら「日本再発見」ということで国内あちこちのスケッチを織り交ぜて気ままに、「人生はFESTINA LENTE(ゆっくり急ごう)」

 

穏やかな小春日和の金曜日、ファンクラブにも入っているお気にりの社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」(TNP)の公演を初めて観るために、原宿から東京メトロ銀座線で銀座まで出かけてみた。

 

電車

 

 

地下鉄

 

昼飯探しを兼ねて、久しぶりに少しキレイになったが相変わらず狭い「東京メトロ虎ノ門駅」で下車して、日比谷通り(R1)を銀座とは反対の神谷町の方向へ散歩してみた。

 

走る人

 

冬の太陽を浴びたイチョウの向こうには巨大なビル(虎ノ門ヒルズ・ステーションビル)が建設中。

 

虎ノ門二丁目交差点一帯はビルラッシュ。

森ビルの開発だけに、まるで「森のようなビル」群。

 

ビルの隙間には虎ノ門・麻布台再開発ビルも見えた。

 

工事バリケードのある大きな変形五叉路の交差点を渡ったところで、安全第一注意で引き返す。

 

走る人

 

喉が渇いたのでコーヒーを探していたら、外堀通りの西新橋の手前に、スタバではなくあの有名な蕎麦屋のスナバがあった(笑)

 

外堀通りを右折して新橋仲通りを新橋駅方向へ歩く。

 

アジフライの幟にそそられて「うなり」の暖簾をくぐる。

 

他のお客さんも大体アジフライを食ていたので、選択は○だった、と「唸り」ました。

 

走る人

 

更に路地を進んだところでレトロ過ぎる建物を発見!

蔦の生い茂った外壁にはクラック、タイル落下防止ネットもあり放置建物のようだがちゃんと看板(丸松六号館)が残っているが、入り口(左)のドアは施錠されているし屋上は灌木状態。

すでに廃屋か?

 

ここで一枚スケッチと思ったが、どうも上手く描けなかったし、

描き直しするのも諦めたので、スケッチ写真(描撮)も無し。

 

走る人

 

そして、午後2時開場前には銀座八丁目の博品館劇場へ。

 

8階のベランダはコロナ対策換気のため開放されている。

ここにも安全第一注意網。今や、世の中ネット社会(笑)

 

開演5分前と開園時には学校のようなチャイム鳴って、

「コイケ知事の節電要請のため灯りは明明と点けています」

「コロナ感染対策で大声での笑いは控えめに」

のアナウンス。

 

舞台からは、「こんな平日のこんな時間に余程暇な人が多過ぎ」などと、終始、弄りまくられた満員の観客の平均年齢は65歳以上?

 

また、舞台の最後には、9月に亡くなられた、34年前の創立メンバー兼リーダーの故渡部又兵衛さんの追悼ビデオが流された。

 

私の、又兵衛さんとの思い出は、9月に行われた、大崎の美術展「文化人・芸能人の多才な美術展」では、 福本ヒデさん、松下アキラさんと共に私と同い年の渡部又兵衛さんの作品もあったが、渡部さんはこの展示会が始まった二日後に亡くなられたので、まだパンフレットには(故人)とはなっていなかっただけに、彼の書「人生いろいろだけど お笑い芸人も これ人生なり」や「笑いは生きる力」の言葉には強く心を打たれた。

 

 

 

そして、10月に新宿で行われた「渡部又兵衛お別れ会」(TNP流の「笑って送る会」)の会場では、弔辞を読まれた「とらんぷ前大統領」姿の松下アキラさんと「アベ元総理」姿の福本ヒデさんにお会いしたことも思い出された。

(2022年10月撮影)

 

内外の様々なタイムリーな時事ネタを交えた抱腹絶倒の演技だったが、撮影は禁止なのでスマホのスイッチはオフにして、笑いはお腹だけに収めるだけだったが、最後の思いがけぬ撮影タイムには慌ててスイッチを入れ何とか撮影成功。

 

世相が変わって新しいギャグ、人物を楽しみに次回の博品館公演にも来てみよう。

 

また、画家でもある同郷の福本ヒデさんには、今年7月、新宿での彼の個展で直接楽しくお話する機会もあった。

 

 

上演が終わった午後5時には、冬の新橋の街はすっかり夜。

 

帰りがけ、新橋駅の近くにある「とっとりおかやま新橋館」で、季節メニューのカニサラダと蟹の甲羅グラタンで軽く夕食。

 

岡山県の北隣りの鳥取県は、広島支店勤務時代などに訪れたので、砂丘(スナバ)、弓ヶ浜、米子、大山等の思い出も甲羅のように詰まってる。

 

また、岡山県は新入社員から6年間も過ごした思い出深いところ。海の幸、山の幸が豊富な中国地方、いいな。

 

まだ観光訪問していないのは、福井、鹿児島、山形、秋田の4県だが、まずは、銀座、日本橋周辺に集中しているアンテナショップを探して、目と舌で学習してからかな?

 

(あとがき)

「現場、現物、現物」のスケッチ(描撮)にこだわった三現主義ではなく、自宅での「写描」で何とか「繪ブログ」になりましたこと、ご勘弁を。