1999年上海引っ越し騒動記 | ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

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団塊の世代のラストランナー。想い出深い海外駐在当時も振り返りながら「日本再発見」ということで国内あちこちのスケッチを織り交ぜて気ままに、「人生はFESTINA LENTE(ゆっくり急ごう)」

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5ヶ月の単身赴任の後、家族がアメリカから上海に引っ越してきてちょうど一年たった99年2月、再び我が家の引越し作戦の開始である。前回は太平洋を越えて1万キロだったが、今回は直線で2キロ弱だし大した問題ではあるまい。いわゆる”没問題了”の世界である、はずだった!

まず何故1年で引っ越すの?という単純な質問に答えねばならない。

97年9月に引越した時の住居は、転出者の契約残期間消化、徒歩通勤(7分)、買物至便ということで決めたのである、が…、急加速的文明でのアパート故、ガス湯沸器は気まぐれ、排水詰まり、華麗に凝りすぎた照明器具の電球は全部が灯っていたことは一度も無かった。子供部屋の天井照明ランプが丸ごと外れて落ちてきたのには言葉が出なかった。

文明に無理があってもさすが中国4千年の文化はしっかりと我々の外見では超近代的なアパートをも取り囲んでいた。毎朝夜明けと共に始まる下の広場での太極拳の音楽で目を覚ます…、なんと悠々たる大陸的気分であろう。最初のうちはこれぞ中国うー、て感激ものだが、時間とメンバーと音楽が一年中同じとしたらそれはもう???である。夜は(人民の人民による人民のための)屋外舞踏会の始まり始まり。ウオッチマンのお兄さん達の朝晩の笑顔と40元の散髪屋の愛想には懐かしいものがある。でも総合的決断は”引越しするぞ!”であった。

結局、隣に住んでいる台湾人の大家に家賃値下げを交渉するも”NO”で、こんなに設備の悪いのに値下げしない。周りは供給過剰で30%は下がっているらしい。アメリカからきた長男の運動不足解消のためにももう少し広い団地に引越そうということになった。

引越しは運搬会社に頼むのは極めて自然で順当な結論。とりあえず日系大手に見積を取った。1万元(約15万円)であった。2KMの移動距離。1km当り75,000円か。ロスからはいくらだったのか。1万kmを百万円、1km当り100円、こんな比較は意味ないか。でも経費節減の折、コストパフォーマンスが悪い、という結論になる。会社のマー小姐が不動産屋とネゴって引越しをサービスにしてくれた。引越しをサービス?無理だよ、と言っても、”可以、没問題”とのこと。どうして?ローカルの運送会社だから1万元はしなくても5千元(7万円)はするよな?車も使うし。この後のマー小姐の言葉に更に唖然。「所長、”600元”ですよ(言葉が太字になった)」「何-い、たった1万円?」不安を残し引越しは始まった。

梱包材、段ボール箱は引越の必需品です。不動産屋に聞くと「没有」。じゃ段ボール箱を買えばいいではないか、と思いマー小姐に聞くと、1個20元とのこと。50個は要るから1000元。引越代より高い!?注文を取り消すのに時間はかからなかった。アメリカからの日通の空箱を再利用。それと会社の段ボール箱を借りた。引越まであと2週間しかない。大方の箱詰めを終わったものの、最後の台所用品、食器、雑貨は引越屋が詰めてくれるわい、と安心していたのが甘かった。何せ600元なのだ。

4人の運び人がボスの指揮の下テキパキと運び出しているのに、箱詰めが間に合わないよー。4トン車なので一度に運べるらしい。7階から下までエレベーターで降ろすのだ。ここで予期せぬ事態が発生。何と、隣の大家も引越し。同じ時間に同じ階から1台のエレベーターで。2台あっても1台は無実の住人のために使えない。ウオッチマンも一度に2軒の引越が始まったものだから、不安になしきりに部屋を覗きに来る。隣の引越手配師と我方の手配師がエレベーターの優先権で盛んに上海語で争っている。7階のエレベーターホールは箱の山。使っている引越屋も同じ。作業員の制服もトラックの色も全く同じ。間違うなよー!こちとらの荷物は海外15年の年期ものだゾー!向こうも不安と見えて盛んに見張っている。アー、だから600元か。日通が神様のように思えてきた。隣はテキパキ、こちらに質問する余裕すら見えてきたのか、娘と思われる女性が意外にうまい英語で「We've
done already. Your stuff looks a lot.」こちらは(詰めるのが間に合わず一部残りそうで)今日一日では終わらないようだ。もう一日必要か?てな風に言ったら、「Tomorrow, too?」と目をパチクリ。説明しても無駄だ。こちらには色々訳ありでね。

手配師が「先生、箱に番号付けて」と言う。家内は箱詰めに忙しい。番号付けてチェックしろとは親切な事だ。これが難しい。日通アメリカでは、番号係、出荷チェック係と2名が引越でもっとも大切なこの仕事に従事していたほどの立派な仕事。それを引越主がやるのだ。案の定番号が途中で飛んでしまったり、ダブったりしてしまった。まあ、一応番号は付けた。160いくつまで。

雨が降ってきた。不安だ。トラックに積むため歩道に仮置きしてある荷物が濡れている。ステレオ、テレビも。それにあの大事なビュッフェのオリジナル絵も。待てエッー!とにかく積み込みは終了。4トン車が一杯。後は積み残し分だ。不動産屋のピーターに聞けばトラック引越屋は今日だけの手配で明日は駄目。じゃどうする?まさかリヤカーで引っ張るのか?そうです正解です。雨が降らなければ自転車付リヤカーを2台手配することになった。植木3本と蒲団その他諸々の箱が20個。翌日日曜日は雨。家内によると結局月曜日に2台やってきたそうな。2キロを一生懸命漕いだそうな。果たしてピーターは2人にいくら払ったのだろうか?一人20元(300円)位らしい。

トラックが出ると同時に家内と新居にタクシーを飛ばす。運び込む荷物をチェックするという為に番号を付けたのだが、これが全く機能しなかった。やはり日通さんは立派だった。あれよあれよという間に部屋は段ボール箱で一杯になった。思った通りだ。搬入が終わると引越屋の手配師が、「先生、トラックをチェックして下さい。」と言う。全て運んだよ何も残っていないよ、誤魔化していないよ、という意図だろう。トラックの荷台を見た。何も無い。「可以」と言ったら、旦那助手席も全部見てよ、てなことを言うものだから、隅から隅まで見て、再度「可以了、謝謝」とお礼を述べて別れた。全て受け取ったということにみなされ、以後クレームは受け付けないよ、てな趣旨であろうが、基本的に番号チェックを行っていないので全ては気休めではないか?

聞いたところによると引越をすると何かが無くなると言われており家内も不安を残しながら引越荷物の開封を開始した。一週間かかってやっと大方の荷物が出てきた。が、無い!トランスが1台無いぞ!と言う事態が発生。やはりやられたか?あの荷台の布の下に隠されたのか?風評とあの状況下においては引越屋には悪いが当然の推理であった。果たしてクレームすべきか?人を疑ってはいけないよ、200元のトランス位いいじゃないの、という家内の激励に諦めた翌日子供の机の脇に小さな箱を発見。ちゃんと77と数字が付けてある。トランスとの涙の再会であった。