異文化との接し方 ~相対主義と同化主義~ | 国際交流パーティー東京のブログ

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「異文化コミュニケーションについてダラダラとーく」


 ☆異文化の人と仲良くなるということはどういうこと?
 ☆異文化間のギャップを乗り越えるには?
 ☆国際恋愛や結婚って?

国籍や文化の異なる人同士がコミュニケーションが関係を築く場合、それぞれの背景にある出身国の力関係がさまざまな場面で個人レベルの関係に影響を与えています。


ここではそのような国家レベルの力関係が個人レベルの関係に及ぼすネガティブな影響をできるだけ減らす試みである「第三の文化」についてお話したいと思います。でも第三の文化について直接触れる前に、次の前提から導入しましょう。


異文化コミュニケーションにおいて、しばしば問題として挙げられるのが、文化的同化主義かあるいは文化相対主義のどちらが好ましいのかというものです。


文化的同化の場合、国籍および文化間の上下関係などが暗黙のうちに想定されていて、一方の文化がもう一方に同化することを要請されます。当然ながら、好ましい関係のあり方を対称的な関係を結ぶことであるとした場合、文化的同化政策の下では長期におよぶ信頼関係を構築し、維持することは困難であると予想されます。当然ながら例外もあり、それは両者の間で文化ヘゲモニーが成立している場合です。ヘゲモニーとは、上下関係の認識を共有しているということです。

しかし、ヘゲモニーのような文化的上下関係を廃した関係の構築を目指す場合、選択肢としてあるのが文化相対主義です。相対主義はそれぞれの異質性を認め、互いの文化的特性に敬意をもって接することを標榜しています。そこでは国籍にもとづいた文化間の力関係はすくなくとも表面化しにくく、比較的に対称的関係(対等な関係)を築くことができます。文化相対主義の問題点はそれがしばしば、文化分離主義に変容してしまう可能性が高いことです。


言い換えると、文化的差異を必要以上に強調する結果を招きやすいため、本来あるはずの共通項が隠蔽されます。政治的・経済的な結合であれば文化相対主義でもこのような問題が決定的な障害となることは少ないのですが、関係が友人関係など個人的なつながりである場合、共通項の隠蔽は親密な関係を構築・維持する上で大きな問題となりえます。文化分離主義をとっている限り親密な友情は成立し得ません。

それではどうしたらよいのか?


異文化コミュニケーション理論では「共感」することの重要性が繰り返しいわれています。「共感」とはなにか。さまざまな定義があり、多義的な概念ですが、おおざっぱにいうと相手の心情を自らも疑似体験することです。異文化間の関係において「共感」がしばしば困難である理由の一つは相手の心理的経験の背景にある社会構造にたいする無知です。もうひとつは、相手の社会的・文化的背景について了解し、一定の理解はあっても、自分が内面化している価値観と共存し難い性質のものである場合です。後者の場合、全面的な解決の方法はなかなか見あたらないでしょう。しかし国際結婚でもしないかぎりそのような相容れない種類の異質性の受容を回避できない場面は少ないという想定のもと、前者の場合の解決法の一つと私が考えるものを示したいと思います。