竹島問題!冷静に日本と韓国の主張を検証!! | 国際法と国際政治から読み解く現在

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アメリカ在住。国際法が専門分野。話題の政治ニュースを分かりやすく解説。国際政治、憲法、哲学、地域、国際関係学幅広く対応。

竹島問題について、日本政府と韓国政府の主張を検証していきたいとおもいます。

両国のナショナリズムの高まりは、おさまることがなりませんし、
竹島における両国の主権の根拠となる資料のすれ違いがあり、外交上では、お互いが異論を主張しあうだけでなかなか合意に向かうことはありません。




日本外務省は“変更することができない”立場を立て通しています。

今回、両政府が現在行なっている竹島領有権の主張を中立な立場でリストアップしてみました。

誰が最初に発見し、実効支配をしたか???

韓国側
独島(竹島)は、古来より韓国の領土であり、古代には于山国の于山島の名で知られていた。


日本側
資料を探しても、于山島=竹島は成り立たない。



島の同定(于山島、鬱陵島,竹嶼、竹島、松島、石島、観音島ほか)

韓国側
1900年には大韓帝国勅令第41号が官報に掲載され、独島は石島という名で鬱島郡(ウルルン島=現、鬱陵郡)の管轄となった。また、日本側は明治政府ができた時に、日本領を当時の都道府県ごとに配分した際、竹島を島根県に入れなかった。


日本側
鬱陵島が韓国の管轄である事実はあるが、竹島は石島ではないため、その管轄外に入っていない。17世紀半ば、日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定し、鳥取藩に指示するとともに,朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じた。(竹島一件)その一方で,竹島への渡海は禁止されず、漁業をするために、鬱陵島に行くための免許を与えていた。このことからも,当時から,我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかである。



1905年の日本による竹島編入の有効性

日本側
竹島は江戸時代には既に日本人に利用されており(当時の呼称は「松島」)、無主地の竹島は1905年(明治38年)1月の閣議決定で島根県 隠岐島司の所管となっている。


韓国側
日本は1904年日韓議定書第4条で、日本は韓国のすべての施設と土地を無条件に使用できるとし、この条文を根拠に日本は1905年、独島に望楼や海底ケーブルを設置した。

1905年1月、日本政府は無名であり無主地であるという名目で、独島を昔の鬱陵島の名称である竹島と名付け、島根県隠岐に編入する措置を取った。しかし、韓国ではすでに1904年の時点から独島をいう名称をもって、独島を実効支配していたため、日本の無主 地先占論理は成り立たない。


戦後の GHQ による竹島処分の解釈

韓国側
関連の連合国総司令部覚書SCAPIN第677号第3項には,「この指令において,日本とは,日本四大島(北海道,本州,九州及び四国)及び約一千の隣接諸小島を含むものと規定される。右隣接諸小島は,対馬及び北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口ノ島を除く)を含み,また次の諸島を含まない」とし,日本が政治上・行政上の権力を行使しうる地域に「含まない」地域として鬱陵島や済州島,伊豆諸島,小笠原群島等のほか,竹島も列挙した。


日本側
しかし,同第6項には,「この指令中のいかなる規定も,ポツダム宣言の第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」と明記されている。(ポツダム宣言第8項:「日本国ノ主権ハ本州,北海道,九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」)。



日本側
SCAPIN第1033号(1946(昭和21)年6月)で,連合国総司令部は,SCAPIN第1033号をもって,日本の漁業及び捕鯨許可区域(いわゆるマッカーサー・ライン)を拡大しました。
その第3項には,「日本船舶又はその乗組員は竹島から12マイル以内に近づいてはならず,またこの島との一切の接触は許されない。」と記された。


韓国側
SCAPIN第1033号(ハ)しかし,同第5項には,「この許可は,当該区域又はその他のいかなる区域に関しても,国家統治権,国境線又は漁業権についての最終的決定に関する連合国の政策の表明ではない。」と明記され、「マッカーサー・ライン」は,1952(昭和27)年4月25日に廃止が指令された。



サンフランシスコ平和条約における竹島の取扱い

日本側
1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は,日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに,日本が放棄すべき地域として「済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。
竹島の領土放棄は規定されていない。


サンフランシスコに参加できなかった韓国の意見書が『(日本国が)朝鮮並びに済州島,巨文島,鬱陵島,独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利,権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する。に置き換えることを要望したことに対し,米国は,同年8月,ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって次のとおり回答し,韓国側の主張を明確に否定しました。

韓国側
日本領となったというサンフランシスコ条約の正式規定はない。
米国などは、独島が日本領土であると一時ラスク書簡という秘密文書で言及したことはあるが、それは連合国の承認のない米国だけの見解であった。


1952年の韓国による軍事占拠(李承晩ライン問題も含む)

日本側
第二次世界大戦後の1952年に、韓国の李承晩大統領によって竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言し、武力によりに日本から奪い取っている。李承 晩の通告した李承晩ラインは、後の日韓基本条約によって廃止されたにも拘わらず、韓国はその後も不法に軍事占領を続けている。


韓国側
「李承晩ライン」の設定は,公海上における合法な線引きである。




米軍爆撃訓練区域としての竹島


日本側
我が国がいまだ占領下にあった1951(昭和26)年7月,連合国総司令部は,連合国総司令部覚書(SCAPIN)第2160号をもって,竹島を米軍の爆撃訓練区域として指定した。



韓国側
韓国の地元漁民からの反対があったため、1952年10月、米国は韓国の要請を受け入れて独島を爆撃演習区域から除外している。1953(昭和28)年3月の合同委員会において,同島を爆撃訓練区域から削除することが決定されました。




国際司法裁判所への付託の提案

日本側
我が国は,竹島問題の平和的手段による解決を図るため,1954(昭和29)年9月,口上書をもって竹島の領有権に関する紛争を国際司法裁判所(ICJ)に付託することを韓国に提案したが,同年10月,韓国はこの提案を拒否した。1962(昭和37)年3月の日韓外相会談の際にも,小坂善太郎外務大臣(当時)から崔徳新韓国外務部長官(当時)に対し,本件をICJに付託することを提案した。しかし,韓国はこれを受け入れなかった。
さらに,2012(平成24)年8月,我が国は,李明博韓国大統領(当時)が,歴代大統領として初めて竹島に上陸したことを受け,改めて,口上書をもって竹島の領有権に関する紛争をICJに付託することを韓国に提案したが,同月,韓国は我が国の提案を拒否しました。1954年当時,米国も韓国に対して勧めた。


韓国側
現在において、韓国の実質的な実効支配が行われている。国際司法裁判所に提訴することは領土紛争がおこっている→実効支配を行なっている韓国にとって、自国の領土でないと認めるような行為である。



アメリカなどの第三国

日本側も韓国側も自国の領土であるという帰結になる資料集めしか行わないな、お互いに、学問的な議論ができない状態であります。第三国は、この冷静でない議論に、つまり学問から離れた議論に関わりたくないといもっているようです。もし、国際司法裁判所に付託するなら、公文書は日本にしか持っていないため、提訴すると韓国には文書証拠主義の観点からは不利かもしれないとも耳にしますが、実際のところ、韓国が実効支配を行なっていることもあり(日本人は竹島にはいれない)、裁判に付託するために両国が合意できるとは思いません。

アメリカの見解は、日本側にあると、よく日本人の学者が言及しておりますが、正直なところ、アメリカの竹島における見解は、自国の極東戦略を優先しているため、時と場所によってバラバラです。また、中国に対抗していくためにも、日韓の対立は避けたいというのが本音です。


日本と韓国両国の主張を再確認してみて、皆さんはどのように感じましたか。

お互いが、双方から意見を主張しあっても、竹島問題はいつまでたっても決着はつきません。(実際、両政府はどちらかに決着をつけようとしているとは思いますが)
EU、ASEANやAU(African Union)のように、地域協力を重視しはじめている国家が増えてきている中、
近隣国同士で、しかも特殊な形でいがみあっている先進国はまれにみません。

両国が、一歩前進するための、解決策を考えていきたいです。