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Internal auditor's tweets

「説明」と言われても何を説明すればいいのかわからない。
全角128文字で説明するのには制限があり過ぎるので気が向いたら、上手い説明文でも書きましょう。

意味深なタイトルですが、いやらしい記事ではありません。


描いた絵と本文は全く関係ありません。
こんな絵も描きます。

性別による差別は本当に根深く、非常に歴史のあるトピックでもある。

女性であることから仕事の割り振りで差別を受けたり、納得のできない評価を受けたりした経験のある方が、会場には多数いると思う。

万事、女性の側が正しいというわけではないという指摘もあると思うが、それを差し引いてもなお、女性の活躍を阻む要素はたくさんありそうだ。

実はこの「女性差別」、差別をしている側に必ずしも悪意があるわけでもないのが厄介なことである。

「女性は結婚したら辞めるもの」「女性は子どもができたら復職しない」ことが昭和の時代には極めて普通だった。

その価値観が今でも残っている職場は珍しくない。

この手の話は立場によって見え方が全く違うため、同じ職場にいたとしても「うちは昔に比べれば女性でも働きやすくなったはずだ」という人もいれば「まだまだおじさん社会で、女性の活用は進んでいない」と感じる人もいると思う。

今の時代、女性はあらゆる職業を選ぶことができる。

出世も起業もルール上ではハードルは基本ない。

しかしながら、なかなかそうした女性が増えないのは、ルールや構造の問題以外にも原因があるからである。

その1つとして、女性目線で言えば、女性が活躍したときの男性からの嫉妬が怖いというものがある。

嫉妬心は男女問わず持っているものだが、仕事の上で女性が活躍するとある一定数の男性は「女性のくせに目立ちやがって」というような感情を強く抱くはずである。

そして、その嫉妬にさらされた女性は、怒りではなく恐怖を感じることもあると思う。

「女のくせに」という発言や行動をする男性は、実際に数多く見るが、女性の活躍を阻む1つの原因は、こういった考え方の枠組みが旧態依然あることが、私には疑問に残る。

日本のビジネスシーンでは、高度経済成長の成功体験から、男性主導の社会が完成している。

社会を回すのは男、家庭を守るのは女という役割分担が出来上がり、うまく機能していた時代が長く続いてきたのはご存じの通り。

その時代にも存在感を放つ「仕事ができる女性」もいたかもしれませんが、今以上に圧倒的なマイノリティーだったでしょう。

そう考えると「男性よりも仕事ができる女性」に対する耐性や許容が、多くの男性の中で育ちにくかったのではないか。

その結果として「女性は男性のサポート役」「男性を差し置いて前に出るのはけしからん」という風潮が出来上がってしまった。

「24時間戦えますか」というフレーズが流れたCMでは、いかにもバリバリ働きそうな男性俳優が、胸をはってテーマソングを歌って。

その頃に新入社員として企業に入ってきた若者たちは、今まさに役員や管理職として、それ相応の権限を持って仕事をしている人ばかり。

若手社員の時代を「男性主導」の文化の中で過ごし、その延長線上でキャリアを積んできた人もたくさんいるはず。

そうなると「男性がビジネスを牽引すべきである」という考え方の枠組みが完成していて、おいそれと女性に主導権を渡すことは難しいのかもしれない。

結果として「頑張るのは男性、女性は男性を立てるべき」という言葉や態度が表面化するのも自然なのかもしれない。

因みにこうした男性主導の状況は、決して日本だけの話ではない。

世界最先端の技術が集結するシリコンバレーでも同じことが起きているらしいし。

だからといって日本はこのままでOKというわけではない。

少子高齢化、労働力減少などの問題はもはや待ったなしの状態。

そうなると、女性に活躍してもらうのは必要不可欠な要素になる。

とはいえ、女性が活躍できるようになるには、男女ともに大きな考え方の枠組みが必要だと思う。

とある大企業の男性役員は「これからうちの派遣の女の子に書類持たせてそちらに行かせるよ」という連絡を受けて愕然としたらしい。

社会人の女性を「女の子」と呼んでいる時点でおかしいし、「派遣」という契約形態をあえて口にするあたりにも、なんとなく差別的な思考を感じからだ。

「#MeToo」で女性の地位向上が一大ムーブメントになったが、途中から、本質から若干かけ離れていったように私は感じるがする。

男女ともにまだまだ意識改革が進んでいない証拠なのかもしれない


おしまい。

また来週。