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Internal auditor's tweets

「説明」と言われても何を説明すればいいのかわからない。
全角128文字で説明するのには制限があり過ぎるので気が向いたら、上手い説明文でも書きましょう。

仕事で話をしていて、相手が質問をしてくれたら、それについて答える前に、まず「ありがとう」とお礼を言うことに最近は私はしている。


描いた絵と本文は全く関係ありません。
こんな絵も描きます。

理由は簡単で、相手から、わざわざ質問をしてくれたお礼だからそのようにしている。

「ところで○○さんは、何が好物なんですか?」
「ありがとうございます。炙りチャーシュー入り味噌ラーメンです

というように。返答の枕詞は「ありがとうございます」を言う。

そもそも、質問をすること自体、勇気が要ることだと思う。

小学校の低学年の頃は、先生が「質問のある人」と言うと、みんなが「はーい!」と手を上げていたけれど、小学4年生以降になると「下手に質問すると、バカにされるんじゃないか?」なんて、余計なことを考えるようになって質問しなくなる。

実際、私が新入社員教育をやり「質問のある方、いますか?」と聞いても、あまり手が上がらない。

お店で商品について質問して、店員さんから「鋭いご質問ですね、実は……」なんて言われたら、ちょっといい気分になる。

あらためて言うが、人は「自分の話を聞いてくれる人」に好感を抱く。

「大変なことがあってさ」
「えっ、大変なことがあったんですか!」

と、それこそ、相手の言った言葉をオウム返しにするだけでも、喜ばれる。

話を聞いてくれるということは、自分のことを認めてくれているということ。

だからその人を好きになるのだが、男性と女性では若干違う。

それはまたの機会にでも、気が向いら書くかもしれない。

相手を認めるとは、「承認」に近いことである。

・結果の承認
・変化の承認
・存在の承認

いわゆる人の心をつかんで離さない人というのは、相手に対してこの3つすべてを承認できる人。

たとえば、仕事でヒット企画を飛ばした部下に対して、上司が「すごいな!売上がこんな数字になったぞ!」と言うのは「結果の承認」。

しかしこれだけだと、部下は、「この人は数字しか見てくれていない」と考えるかもしれない。

ところが、その上司が続けて「ホント、素晴らしい。何度も何度もお客さんのところに足を運んで、企画を練り直していたもんな。その努力で、○○さんが成長したことがうれしいよ」

と言ってくれたら、どうなるか?

部下は「あっ、この人は、自分のプロセスまでちゃんと見てくれていたんだ」と思うはず。

これが「変化の承認」。

更に、もし上司が続けて、こう言ったらどうか?

「そんな○○さんと、一緒に仕事ができることがうれしいよ。これからも、ウチのエースとして頼むぞ」

こんなことを言われたら、部下はちょっと泣けてしまうかもしれない。

これが、3つの承認のなかでもっとも強力な「存在の承認」。

これはもう、母親の子どもに対する「無条件の愛」に匹敵する承認かもしれない。

ある思想家は、「先生にとって、一番大切な人は誰ですか?」と質問されたとき、こう答えたらしい。

「今、目の前にいるあなたです」

質問した相手が「えっ?」と思っていると、続けてこういったとか

「今、私が自分の大切な『命の時間』を差し出しているのは、あなたです。だから、今この瞬間、私にとって一番大切な人は、あなたなんです。」

これこそ、究極の「存在の承認」でしょう。

もし、誰かと会って会話しているときに、こんな思いを持って相手と向き合っていたら、話を聞く姿勢が変わるはず。

「部下が目を合わせてこない」とか、「あの人は感じが悪い」なんていう考えは浮かんでこないのではないはず。

ナポレオン・ヒルの考え方の一つに「人間関係においては、気づいたほうが先にやれ」という鉄則がある。

あいさつが大事だと気がついているなら、そう気づいている側である自分から、先にあいさつすればいい。

相手の存在に感謝していたら、なんの躊躇もなくできるはず。

部下が少しくらい仕事の覚えが悪くても「この子は、この会社に入って、自分の部下として『命の時間』を差し出してくれているんだ」と思ったら、もう、それは当たり前のことではなくなる。

「ありがとう」の語源は「有り難し」。

あり得ないことに対する感謝です。

そして、「有り難い」の反対は「当たり前」。

相手との出会いを「当たり前」ではなく「有り難い」ことと思えるようになれば「人との接し方」は変わるはず。


といつも通り、一介のサラリーマンがぼやいてみたが、世の中、簡単に、上手くはいかないのです。



おしまい。また来週かもしれません。