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Internal auditor's tweets

「説明」と言われても何を説明すればいいのかわからない。
全角128文字で説明するのには制限があり過ぎるので気が向いたら、上手い説明文でも書きましょう。

自己啓発書やSNSなどで「愚痴」も「弱音」も言わずに自分でうまく処理できる人が「良い人」や「大人」だという考えが人気を集めることがある。

描いた絵と本文は全く関係ありません。
こんな絵も描きます。
あーっアセアセ

確かに、ネガティブなことを一切言われなければ、自分が嫌な気持ちになることもない。

相手の相談に上手いアドバイスができずに落ち込むこともない。

しかし、本当にそれが「良い人」「大人」の態度であるか考えると疑問にも感じる。

そもそも「愚痴」と「弱音」の意味は違う。

愚痴は言っても仕方のないことを言って嘆くこと。

弱音は力のない物言い。また、意気地のない言葉。

愚痴を聞いていて嫌な気持ちになるのは、解決する気のない問題を延々と聞かされるからかもしれない。

それでも、なんとなく愚痴と弱音は違いを理解されず同じ箱に入れられてしまっている感がある。

また「男らしさ」「女らしさ」というキーワードも、弱音を言うことに対するネガティブな偏見につながっている。

男性の場合「男のくせにメソメソするな」「男なら泣き言を言うな」というような親や教師、上司からの叱責を受けたことがある人もいるだろう

女性の場合は、弱音を言うと「女はすぐ感情的になる」「女は悪口ばかりで怖い」などと、言いたいことの意味を偏見で歪められてしまうことがある

私達は、様々な「抑圧」を受けて弱音を言う機会を失っている

それが更にストレスとなり、自分を追い詰めてしまうこともあるだろう。

もっと楽に、罪悪感なく弱音を言うための考え方はある。

愚痴と弱音には他責か自責かの違いがある。

自責が過ぎると他人の責任までも自分で背負ってしまうようになり その重さにいずれ潰されてしまう。

他責が過ぎると自分の責任までも他人に擦りつけるようになりその環境にとってのただの害虫になってしまう。

多くの人が嫌がっているのは、解決策を示しても行動しなかったり、いつも周りのせいにして自分では何も動かなかったする他責志向の「愚痴」だ

「弱音」の場合は、自分はこれからどうしたらいいのか?という質問につなげていけば、それは「相談」になり発展性のある話題になる。

愚痴と比べれば、弱音からの相談は嫌がられることは少ないはずだ

そうは言っても、先に述べたように「男のくせに」などの偏見にさらされるのが怖いと感じてしまう人もいる。

そんな人には「弱音は役に立つもの」と認識を改めてみてほしい。

一般的な組織は、自分の弱さと向き合わず、弱さをもっている人と付き合おうとしない人間のようなものだ。

そのような組織で働く人達も、不完全さと弱さと恥と自信の無さは、仕事の世界から遠ざけておくべきだという思い込みをいだいている。

自分の弱さや経験不足を認めることが個人と組織にとっての成長のカギを握る。

自責の念を帯びた弱音を人に話すことは、まさに自分の弱さを認めることだ。

弱音を人に話すことで、自覚と周知をおこない、解決策やフォローの手立てにつなげていく。

それが、自分の人生にとっても組織の成長にとっても役に立つ。

そう考えると、周りに弱音を言うハードルが少し下がったように感じられるのではないだろうか。

自分の弱さを周知することで、逆にそれが長所として受け入れてもらえる例もある。

「対人関係に問題を抱えてしまう」「衝動的な行動や、不注意が多い」「ちょっとの刺激でもすぐに気が散ってしまう」などの特性を持つ人は、まだまだ一般的にはそれを弱点だと思われることが多く、自立して働きづらい環境に置かれている。

そのため、特性をなんとか隠して社会生活を送ろうとし、失敗してしまったり思い詰めてしまったりする人もいるという。

実際に「男らしさ」にとらわれて弱音を言うことができず、自分だけで処理しようとしたためにうつ病と診断されるまでになってしまった男性もいる。

弱音は悪いものではない。

弱音も人に話しているうちに、誇張してしまったり自分可愛さに被害者の立場にすることがある。

誰が何をしたかではなく、自分が何をして、何に落ち込んだり困ったりしているのか、自分を軸にして話すことを忘れないようにしたい。

よく「男は解決脳、女は共感脳」といわれることがあるが、男性でも共感してほしいだけの場合もあるし、女性でも問題を解決したいと考える人は少なくない。

人に話すときには、自分が何を求めて弱音を言おうとしているのか、ザックリとでも把握しておいたほうがいい。

それは「本当は共感してほしかっただけなのに、上から目線の面倒なアドバイスをされてしまった」というようなミスコミュニケーションを防ぐことにもつながる。

話した相手のコンディションや考え方によっては「話さなければよかった……」という結果になってしまう場合もある。

ただでさえ落ち込んでいるのに、さらにトラブルを抱える必要はない。

すべてを真に受けず、聞いてくれたことにだけ端的に感謝してその場を去る。

そういう自分の守り方を知っておくと、抱え込みすぎることが少なくて良いそうだ。

弱音は取り扱いに注意は必要だが、開示することで周りの環境を改善させたり人の役に立ったりすることができるものでもある。

愚痴や悪口と混同して嫌がることなく、まずは自分や他者の弱さを弱さのまま受け止めることで、前向きな次の一歩の方向が見えてくる。

この時期、進学や就職、昇進に慣れたお陰で、環境の変化に戸惑い、弱音を言う機会がなくため込んでしまう人も増える。

自分が何か抱え込みすぎていないかチェックするとともに、周りに「最近、あの人の弱音や相談を聞いていないな」と思う人がいたら助け船を出すことも必要だ。

「弱音は悪いものではない」という意識が広まり、自分のために、周りのために、弱音を上手に話せる人が増えることを願う。


こう見えても、私も弱い。

だが、持って生まれた顔付きのせいで、弱さが顔に出ないらしい。

愚痴のひとつでも言いたい。

私の場合、この場所が愚痴の吐け口なのかもしれない。

と言いたいところだか、本当にコテンパンにやられた時は、家の近くの海に夜中、車を走らせて行き地平線を眺める。

当然、アメンバーさんのことも考える。

息と心を整え、頭の中を整理しているうちに、朝方になり、朝日を浴びて、ヒロイズムに酔って家路に向かう時だけ、身体のチカラが抜け、何もかも、その瞬間だけ忘れることができる。

いつもは頭の中はグチャグチャであり、取り留めが無いサラリーマン生活を送っている
笑い泣き




おしまい。また来週。