今
世界の指導者たちの
資質(道徳観 人間性)が問われている時代
過去に遡り
一国のリーダー
とは
何を思い 何を大切にして
その職務についてきたのか???
そんなことが知りたくて
まず
過去の日本の指導者たちの
考動(思想 生き方)を
学び直そうと思った
日本の歴代総理大臣
第1代
伊藤博文氏
(総理在任 1885年12月〜1888年4月)
それから140年
現105代
高市早苗氏 まで
実に
66人の方々(重複除く)が
日本の指導者としての
重責を担ってきた
まさに
66人 66色
特に
我が生まれる前の
指導者のことが知りたくて
まず
手に取ったのが これ
第32代総理大臣
広田弘毅.氏
何に興味を持ったかと云うと太平洋戦争に負け
東京裁判で絞首刑を宣告された
A級戦犯七名の中で ただ一人
文官の身であった広田氏
何故?
軍人で無かった
氏が絞首刑になったのか??
また
東京裁判で一切自己弁護せず
『 自ら計らわず 』を貫いたのか??
そこが知りたくて
・
・
・
広田氏が総理大臣になったのは
1936年3月
我の自作年表てみると
日本が中国に軍を進めていた時代
太平洋戦争開戦(1940年12月)
の 4年前の時期 にあたる
広田氏は
東京帝大卒業後 外交官となり
中国 英国 米国などの勤務後
欧米局長 駐オランダ公使 駐ソ大使
1933年 斎藤実内閣
岡田内閣でも外相を歴任
戦前にあって
外交官から総理大臣に登りつめた
のは異例のことであった
書を読み終えて
改めて感じた
時代 生き方 運命
人としての
信念の貫き方
決して好戦的ではなく
むしろ
戦争防止に努め
世界各国との外交を重んじた
広田氏
が
戦争犯罪者として
捕らえられる
広田氏は
太平洋戦争での
直接的戦争責任ではなく
外務大臣時(1937年〜)
満州における
軍の暴走 (盧溝橋事件 南京大虐殺 )
を止められなかった
「侵略戦争の共同謀議」
「満州事変以降の侵略戦争」
「戦争法規遵守義務の無視」
の
責任を問われた
当時
統帥権の独立
を口実に暴走する軍部に対し
対立していた広田氏は
『 外交の相手は軍部だ 』
とまで 云っていた にも拘らず
氏に対する
責任追及は厳しかった
しかし
裁判における
罪状認否でも
一切 言い訳をせず
逆に
『 戦争について自分には責任がある
決して無罪とは云えぬ 』
と
判決を受容した
真の広田氏を知る人たちをはじめ
米国の首席検事でさえ
彼の絞首刑の判決には
『 なんと馬鹿げた判決か 』
と嘆いたほどだ
判決後
日本各地で起こった
減刑嘆願署名運動
7万2千の署名が集まり
再審の審議もされたが却下
1948年12月23日
絞首刑は執行された
時勢とは 実に残酷なものだ
嘗て
敵対した軍部
その軍人(陸軍大将)6名と
共に処刑された氏の心中を
察するに余りある
不条理な世
時世の機微
今の時代の
指導者たちの多くは
私欲 保身 権力欲
言い訳 仮病 虚言
自ら計る人 ばかり
歴史の表舞台に出てこなかった広田氏
しかし
今の平和の礎でもある
それを 我々は忘れてはならない
読後は
『 自ら計らわず 』
の
言葉が 頭から離れなかった



