寝殿造りとの大きな違いはひとつの建物になったことです。間仕切りができて、いくつもの部屋
にわかれました。まさに、今の一軒家のような感じですね。
接客のための部屋は会所(かいしょ)と呼ばれ、書院(付書院)・床の間・棚(床脇)を基本と
する座敷飾りとなって定着しました。この部屋が書院と呼ばれるようになったそうです。
前回お話した慈照寺(銀閣寺)の東求堂同仁斎(とうぐうどうどうじんさい)には、日本最古の座
敷飾りを見ることができるそうですよ!
☆割木の手法とは?☆
書院造の建築には「木割」という設計手法が使われました。字のとおり木を割る…
のではもちろんなく、柱の見つけ寸法(正面から見た幅)などを基準として、建物各部の比例
や、他の部材の寸法を決定していく手法(規格化)のことです。
書院造で発達した設計手法なので覚えておきましょうね。
☆書院造の建具☆
書院造では構造上建具が使えるようになったので、種類も豊富になりました。
平安時代の後期から、遣戸(やりど)という板張りの引き戸が使われるようになり、
鎌倉時代以降になると、それが発達して、引違い戸、舞良戸(まいらど)などができました。
おばあちゃん家の廊下で使われてそうな扉ですね!
あくまでもイメージですよ(笑)
☆書院造で畳は今の畳になった☆
平安時代には可動式の座具だった畳も、部屋の作りの進歩とともに常に敷き詰められるよう
になりました。書院造の初期では部屋の周囲に追い回しに敷かれていましたが、しだいに部屋
全体に敷き詰められるようになりました。「座敷」という言葉もこのころ発生したそうです。
日本家屋になくてはならない畳も、最初は座布団のように控えめな存在だったけれど、だんだ
んと回りからその勢力を増していったんですね(笑)
畳の追い回し