書院造のインテリア | 福岡のインテリアデザイン | アンティーク家具 GuildArts

福岡のインテリアデザイン | アンティーク家具 GuildArts

GuildArtsは福岡県の百道にあるインテリアショップです。メインはアンティークにこだわった内装工事でエイジングやモルタル造形などを得意としています。その道10年の技術であなたの家やお店を魔法のように変化させます。

では、書院造のインテリアはどうだったのでしょう…

寝殿造りとの大きな違いはひとつの建物になったことです。間仕切りができて、いくつもの部屋

にわかれました。まさに、今の一軒家のような感じですね。

 接客のための部屋は会所(かいしょ)と呼ばれ、書院(付書院)・床の間・棚(床脇)を基本と

する座敷飾りとなって定着しました。この部屋が書院と呼ばれるようになったそうです。



前回お話した慈照寺(銀閣寺)の東求堂同仁斎(とうぐうどうどうじんさい)には、日本最古の座

敷飾りを見ることができるそうですよ!


☆割木の手法とは?☆

 書院造の建築には「木割」という設計手法が使われました。字のとおり木を割る…

のではもちろんなく、柱の見つけ寸法(正面から見た幅)などを基準として、建物各部の比例

や、他の部材の寸法を決定していく手法(規格化)のことです。 

書院造で発達した設計手法なので覚えておきましょうね。



☆書院造の建具☆

書院造では構造上建具が使えるようになったので、種類も豊富になりました。

平安時代の後期から、遣戸(やりど)という板張りの引き戸が使われるようになり、

鎌倉時代以降になると、それが発達して、引違い戸舞良戸(まいらど)などができました。

          舞良戸

おばあちゃん家の廊下で使われてそうな扉ですね!

あくまでもイメージですよ(笑)


☆書院造で畳は今の畳になった☆


 平安時代には可動式の座具だったも、部屋の作りの進歩とともに常に敷き詰められるよう

になりました。書院造の初期では部屋の周囲に追い回しに敷かれていましたが、しだいに部屋

全体に敷き詰められるようになりました。「座敷」という言葉もこのころ発生したそうです。

日本家屋になくてはならない畳も、最初は座布団のように控えめな存在だったけれど、だんだ

んと回りからその勢力を増していったんですね(笑)




畳の追い回し