午前の伊代野貴照さんとのトークショーに続き、午後は濱中治さんとペナルティヒデ(以下∶ヒデさん)とのトークショー。

14:30開始の予定が、15:00からに変更。

MCは午前と変わらず、奈良住みます芸人のもっちさん。


濱中さんとヒデさんの入場後、椅子とテーブルがオープンカフェの様な雰囲気だったことから、ヒデさんが食べ物を要求するボケにもっちさんのツッコミからトークショー開始。


簡単な2人の紹介から。
濱中さんは元阪者タイガースの4番打者でホームランも数々打った、2度のリーグ優勝にも貢献したOBです。

ヒデさんは、大学までサッカーをやっていて、市立船橋で2度の全国優勝を経験、当時の横浜フリューゲルス入りの内定を蹴ってお笑い芸人になりました。


始めたキッカケ。
濱中さんは小学3年から野球を始め、高校3年まで父とともにティーバッティング400回毎日続けてました。

ヒデさんは、初めは兄と野球をしていたものの上手くいかず、同級生からサッカーの誘いを受けて初めると、「水を得た魚」で上手くいき高校まで努力をしたことがなかったのです。

市立船橋に入ると「自分より上手いヤツがいる」と初めて思い、努力するようになったとのことです。


奈良のスポーツ事情について。
ヒデさんは、「サッカーはさみしい」。
J3の奈良クラブ、かろうじて残留したけど危なかった…

濱中さんは「野球だと高校野球、智弁学園のイメージ」。

もっちさん「バスケが良いんですよ、天理大学も強い。あとバドミントン、和歌山との合同チームで実業団優勝」と奈良のスポーツを紹介しました。

このスポフェスには天理大学バスケ部も参加していて、後ろでニヤニヤしてました。


競技人口の話では。
濱中さん「野球人口はずっと減り続けてたけど、大谷効果で持ち直してきた。大谷は小学校にグローブを配ったりもしてるし」

ヒデさん「なでしこジャパンが世界制覇した頃はサッカー人気が有ったけど、今は減ってます」

さらに詳しく、「昔は『キャプテン翼』が連載された頃はサッカー人口増えたけど、コーチがいなかったし、日本にプロのサッカーが出来るとは思ってなかった」

日本代表が強くなったことについては「1998年にワールドカップ初出場、海外挑戦する選手もいるけど、良いコーチが出てきたのは大きい」


そして、「今はバスケやる人が増えてるんですよ!凄い人気」


生まれ変わったらどのスポーツをするか
濱中さん「やっぱり、野球」

ヒデさん「サッカーかな、ただ…(その後毒吐いたので以下略、現地で聴いた人の秘密)」

さらに芸人になったキッカケとして「このままサッカー選手になって…コーチになって………『サッカーしかないのか…』。そのとき吉本が東京に進出との話が出て、プータローしてた相方(市立船橋サッカー部の仲間)を捕まえてオーディション受けたら受かった。」


途中で、奈良で作られたグローブが濱中さん、靴がヒデさんのテーブルへ。

感触を確認し、2人とも「これ、凄く良いね。」

グローブは柔らかく、靴も軽い。奈良は革製品も上質とのこと。
お値段は、グローブが6万円、靴が2万円。

そこで濱中さん「道具は安物ではなく、良いのを使った方が良いです。長く使えるし、大事に使うから」


上達、続ける秘訣。
濱中さん「やっぱり、計画を立てることかな。大谷はマンダラチャートもやってて事細かく計画を立てていた」

そこで「大谷は特別ですよ!まずは、何かしてもらったら『ありがとう』と言う、ゴミを拾うなど、これは今からでも出来るよね?」

さらに「継続すること。毎日バットスイングするとか。調子など悪いときは2回3回でも構わないから、とにかく全力で。数だけ100回とかやるのはよくない」


ヒデさん「自分のためではなく、チームメイトのため、自分がダメだとチームメイトに迷惑がかかるとか考えてました。自分のためだけでは続けられなかった」


ステージ前の子供に「スポーツ何してる?」
子供「体操」

「体操は体幹を鍛えれていいですよ」のあと、濱中さんとヒデさんが野球とサッカーの誘い合いをして、

「お金稼げるのは野球(笑)」とヒデさんが言いました。


吉本芸人2人に濱中さんだと、芸人のしゃべりが強すぎてくだけた雰囲気になりそうな気がしてたけど、
高校サッカー2度の全国制覇、フリューゲルスからオファーが来たヒデさんは真面目に話をして説得力もありました。