まず遷都の経緯を考えたいと思います。
おそらくは、しばらくの間は諏訪エリアが首都機能を得たかのような状況下で、権力は集中していたと考えられます。単独の人物がリーダーとして君臨していたのか、それとも複数の人間が協議をしながら進めていたのかは定かではありませんが、単独のリーダーよりも専門家グループと霧ヶ峰の巫女と云う構成が、最もしっくりと感じる古代首都諏訪の政治ではないかと思います。
このブログを書き始めてから、一つ気付いた事。出雲という言葉が…「雲から出る」→「雲の中から出てくる」→「霧ヶ峰から降りてくる」霧ヶ峰の霧は、霧ヶ峰と云う所が霧の中に入ってしまいがちな山の尾根の事から戦国時代の武田信玄公に名付けられた場所です。前回、霧ヶ峰こそが、国主たる者の住む所で巫女が国主の代わりをしていた。としました。そして、古事記で高天原と称する天の神々が住む所として設定されていますが、天に近い高い場所(原)ですので、標高1650mを越える霧ヶ峰で正解でしょう。重要なのは、葦原の中つ国との標高差がしっかり有りながら、距離は近い事。古代の諏訪湖が現在の面積の数倍の広さが有ったに違いないことが古事記の記述に照らし合わせて無理がありません。
霧ヶ峰の巫女を輩出していた民が、出雲の民であったと考えるのが正しいのではないかと。出雲の民が諏訪を出る理由…それは何だったのか?
結果を先に紹介してしまうと、おそらくは西からの民が新しい貿易という選択肢をもたらしたのではないかと考えています。北アルプスよりも西はまだ未開の地同然。諏訪で何の不自由もなく、そこそこ幸せだった出雲の民に決断させたものは何なのか?
それこそ、いくつかの要因が有ったに違いありません。
そのうちの一つが、巫女の占いの結果であったことは否定出来ません。むしろ、霧ヶ峰の巫女が言ったから決定した位の存在だったと考えます。
僕が最も出雲の民を新天地に向かわす決断をさせたのが、新たな火山の活動です。中部エリアの火山でおそらく最後に活動を始めたと考察出来るのが、霧ヶ峰から北西の方向の焼山で、古事記の記述の中でも代表格の岩戸が飛んできて落ちた所とされる戸隠神社がある一帯の山々は、焼山を中心とした大規模な火山活動による隆起と地学研究の検証結果が出ています。この時の大噴火が、諏訪エリアから出る判断を決断に進ませた要因の一つと考えます。
ですが、まだまだ黒曜石の採掘は諏訪エリア以外から期待は出来ません。西からの民が黒曜石の情報ももたらしただろうと云うことも考えます。諏訪には出雲の民だけではなく諏訪の民も同様に存在していたと考えます。おそらく諏訪の民は、力仕事を主に担当している出雲の民の心強いパートナー。このパートナーシップは、かつてアフリカを出た辺りから永遠というかの様に一緒にここまでやって来たのです。もうDNAレベルのパートナー、家族同然でしょう。
諏訪の民も残る者と出雲の民と共に西へ向かう者と別れたと思います。出雲の民が大多数諏訪を出てしまった為でしょう、霧ヶ峰の地は歴史から忘れ去られる場所となります。諏訪の民が中心となった諏訪。出雲の巫女が遺した神のような存在を諏訪大社として残すようになったのでは?と考えます。諏訪の民としては、出雲の巫女がまさに国主であり、大王であり、神であり、天皇であったのではないかと思います。
そして諏訪の民のDNAレベルのかつての霧ヶ峰の巫女への信仰は、以後日本人の天皇陛下への信仰を越える存在に繋がっていくのではないかと考えます。
次回は出雲…ではなく、諏訪と鹿島の本当の関係とは?共に力自慢の神様ですが、本当は?