ネットを見ていると、「ドミノシステム」を「柱と梁によるラーメン構造」と書いている人をよく見かけるが、これは誤解である。というか、自分も今までそう思っていた。

ドミノシステムの模式図(ネットから適当に借用)
$空間デザイン・まちづくりのための1000のキーワード

この図をよく見てほしい。どこのも梁などはない!柱が、床スラブと直接つながり、構造をなしている。
梁と柱で構成されているなら、天井に梁が出てしまい、空間を分割するだろう。

しかし、ドミノシステムの代表例であるサヴォア邸の平面には一部梁が出ている。これは柱間に自由度を持たせるとともに、床厚を薄くするためらしい。サヴォア邸はこういった構造や空間構成に関する細かい工夫がたくさんあり、コルビジェの偉大さが感じられる名建築だなあと思う。

建築のしくみ 住吉の長屋/サヴォア邸/ファンズワース邸/白の家/安藤 直見

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AppleのCM





AppleのCMにはあまり言葉が出てこない。なのに伝えたい事がすぐ解る。
カラフルでシンプルなPC、超薄型なPC.そしてAppleの思想。
中では複雑な処理が行われていても、ユーザーが接するインターフェイスは極めてシンプルで分かりやすい
またアップルは販売店を独自にもっていて、
製品だけでなく販売、さらには製品発表の仕方にまで統一したデザイン、思想が貫かれている。

dysonも独自の「dysonらしさ」が明確で分かりやすいから、新興ながら他社の製品とは違うブランドイメージを作れた。物を作るということは、機能や見た目だけでなく設計思想までトータルにいかにシンプルに伝えるかということが大事らしい。

FlowerRobots松本龍哉の講演より
 60年代、黒川紀章らメタボリズムのメンバーは建築を社会と開いて、都市、外から建築にアプローチした。そこには高度経済成長期の光り輝く、明るい未来像があった。
 ところが安藤忠雄や伊東豊雄、藤森照信の世代になると、一転して「自閉症」を引き起こす。
 伊東豊雄の「中野本町の家」は何も無い中庭をぐるぐる回るような家で、外に向かって窓はなく外界と隔絶している。
 また安藤忠雄の「住吉の長屋」も、外側には玄関さえ引っ込んで、中庭から光を採っている。
社会に向かって開く建築が反転して社会に向かって閉ざされた建築の時代になった。
 社会からではなく、自分から生み出される建築を目指してた。

考えて見れば、「引きこもり」が社会問題化して、さらに晩婚化・非婚化している現代の日本は、まさに国全体規模で「自閉症」に陥っているのかもしれない。彼らはそんな日本社会を先取りして映し出していたのかもしれない。

そして再び、建築は社会に開き出す...
それは単純にガラス張りにしたりすることではなくて、どう外とコミュニケーションするか、時には受け流したり、自分の世界に篭るスキルも必要だと思う。

これからは社会と自分の交点に立つ建築の時代じゃないかな。

参考文献
住宅の射程/磯崎 新

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