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Chindiaなる新語


最近、英語圏では、Chindiaなる新語が使われるようになっているそうです。
ChinaとIndiaでChindia。




BRICsという新語は日本でもすっかり定着しましたが、そのBRICsの中でも特に人口が多く、高い成長率が期待できる2つの大国。
地球上で最も成長が期待できる(たぶん)二つの国を合わせてChindiaというわけです。



蝶々


Chindiaは活字で発見したので発音がわかりません。これがネイティブじゃない人間の苦しいところ。
まさかチンディア?おそらくはシンディア。あるいは、チャインディア…
どなたかわかる方に教えていただきたい。





いずれ、日本もChindiaに抜かれるわけで(決め付けていますが、長期的には間違いないですよね)、国際比較で「世界第2位の経済大国」というくらいしか胸を張れない国の住人としては、もっと自信を持てる要素を増やしていかないとなぁ…などと思います。
更に言えば、そうした比較の世界から解放された「国としての”軸”」を持たないといけない気がします。





いつぞや、少子化の問題で会合に出ましたら、ある先生が「少子化の何が悪いのか」ということを仰っていました。
その通り。
実は私たちの個人生活において少子化がもたらす問題はあまりクリアーになっていない。
これも”軸”の持ち方だと思うわけですが、少子化がもたらす問題として「国の活力が失われる」という話や、あるいは、「長期的に見た社会保障の仕組み自体が崩壊してしまう」などというわけですが、煎じ詰めれば、結局、経済的に問題だというだけで、一人ひとりの個人生活の本質には影響は無いはず。





生活者は経済のために生きているわけではなくて、経済が生活者のために機能しなくてはいけないわけで、経済力が(あるいはGDPが)低下するから、少子化がまずいというのは主格逆転してしまっています。
Chindiaのように人口が増え続け、成長著しい国と同じような思考方法で国の”軸”を定めてはならないのに、いまだに、高度経済成長時代を引きずったような思考方法になってしまっている気がします。
過去の”軸”で日本を比較すれば、もう絶対Chindiaには勝てないわけで、全然違う”軸”を見出さないといけないんだろうと思います。





少なくとも、これからの日本は投資される側にはいないわけで、Chindiaのようなこれからの地域に投資する側に回らないといけないはずです。
しかも、それは国という単位での行動ではなくて、たくさん溜め込まれている個人資産をどんどんとこれからの地域に投資していくべきと思うわけです。
まるで、証券会社の回し者のようですが…
Chindiaには投資すべきです。


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