一昨日の続き
さて、先日の続きなんですが、経営書など読んでいると、真っ向から逆のことが正しいこととなっていたりする。
面白いもんだと思います。
さて、一昨日、「机の上が汚いほうが仕事ができるのか?きれいなほうが仕事ができるのか」に触れたら、いくつか問い合わせをもらいました。
鎌田はどっちだと思うのか?と…
私は、できる人は整理ができていると考えています。
また、仕事の基本動作として自分なりの整理術を見につけることは必須だと考えています。
話を戻します。
何ヶ月か前の(恐らく8月?)日経新聞の「私の履歴書」で茶道の家元の方(お名前失念!恐縮です)が執筆されていました。
その内容で「すごいなぁ」と思ったのが、シベリア抑留の経験を重厚に書き綴っていたことです。
私の履歴書というくらいですからバイオグラフィーですよね。そのバイオグラフィーにおいて最も重厚に書かれていたのがシベリア抑留についてでした。
全部で20数回の連載のうち、10回以上はシベリア抑留についてでした。
それほど、人生において、強烈に焼きついた経験だったのでしょう。
やはり、生死をさまよいながら、かろうじて生き残った経験というのは凄まじいものがあるのですね。
そうした修羅場の経験は、よく、ビジネスの世界で例え話に用いられます。
つまり、修羅場で生き残るのは、悲観論者か楽観論者かというもの。
「私の履歴書」を執筆していた茶道の家元の先生は、「常に希望を捨てずにいた」「日本に帰って、お茶をやりたい」という気持ちに支えられた。
ということで、どちらかというと、先行きに対して楽観的であろうとしたようです。そして、実際生き抜いた。
一方、「ハイ・コンセプト」(たぶん)では、悲観的に行動できる人間でなければ戦場では生き残れないのだと書かれています。
つまり、常に敵の存在に神経を尖らせて、慎重に動いているから撃たれないですむ。
ところが、先行きを甘く考え、安易に行動するから撃たれて死んでしまうのだということです。
そんなことで、戦場に出たことのない私としては、どっちなんだろうなぁと…
どちらの言い分も正しいなぁと常々思います。
そんな中、先日、『生かされて。』という本を読んだわけです。
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ルワンダの大虐殺(100日間で100万人が虐殺されたそうです)の中で生き残った女性の話です。
これを読んで思ったわけですが、この主人公は悲観的でもあり楽観的でもある。
主人公の父親は虐殺開始からほどなく殺されてしまうのですが、主人公は父親の先行きに対する甘い観測を何度も諌めます。
結局、政府を信じた父親は罠にはめられて命を落とします。
そうした先行きへの慎重姿勢を見せつつも、主人公は大変に大胆な行動にも出ます。
虐殺者たちが数多くうろつく道路を堂々と歩いて突破したりする。
時に極めて慎重に、時に極めて大胆に行動するわけです。
これだと、結局のところ、時に楽観的に、時に悲観的に行動すべきという結論になってしまいます。
が、ここはよく考えるべきで、もし、主人公の取った行動が全部裏目に出ていたら、彼女は生き残れなかったはず。
結果だけ見ると、慎重さと大胆さを兼ね合せていたから生き残ったということになりますが、それも全ては紙一重の話。
私なりの結論としては、修羅場で生き残れるかどうかは”運”ですね。