『けものみち』を読みまして… | 丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ

『けものみち』を読みまして…

思いのほか、そば屋の話が盛り上がり、
ちょっと収拾がつけにくいですね。

ということで、全然関係のないネタを一席。





最近、ある人の薦めで松本清張さんの
『けものみち』を読みました。


松本 清張けものみち

薦められた理由を話すとややこしいので割愛しますが、
いわゆるサスペンスであり推理小説というんでしょうか、
それを純粋に楽しむことを目的に読んだわけではありません。





ところが、この小説読み始めるとなかなかストーリーも面白く、
700ページを超える文庫本なのに、実にスラスラと読めてしまいました。
先週はじめから読み始めまして、週末に出張があったということもあり、
週末までに読破しました。





読書





何が面白いか?
この本、時代としては昭和37年、38年くらいに書かれた作品です。
この書かれた時代そのものが大変に新鮮で面白い。





現在を起点にして、約40年前の昭和37年ころを描くのとは違って、
松本清張さんが生きている時代をライブに描いているので、
その時代が生々しく伝わってきます。






書中で、鬼頭洪介なる大物人物が登場するのですが、
この人物がよぼよぼの病床に臥した老人として描かれています。
歯が無くて、体がぶよぶよになっているというので、90歳近い
老人なのかな?と思いきや…







その年齢が60歳ちょっと。






つまり、今から40年前の60歳というのは、ここに描かれているように
本当に老人だったわけです。
考えれば、昭和37、38年ごろの60歳であればほぼ19世紀末の生まれ。
食事情から何から、まるっきり現代とは違う環境であったことは
間違いありません。







ドラッカーさんが何かで書いていましたが、現代人が長生きになった最大の理由は
医療の進化ではなく、体を使わず知能労働中心になったからとありました。
鬼頭老人が生きた時代は現代とは比べ物にならないくらい不便だったわけで、
また、あらゆる生産物が機械化程度の低い非効率的な生産活動によって
生み出されていたわけですから、体の使い方が違ったのでしょう。






一方、現代に生きる私たちは過去とは比較にならないくらい若い。
現代の60歳を今から40年前にタイムスリップさせたら、とても60歳には
見られないはずです。






こうして考えると、人が生まれ、大人として成熟して、
やがて年老いるという人生の節目節目に変化はないものの、
その節目の一つ一つが昔に比べて長くなっているように思います。







つまり、現代人は昔の人に比べて”人としての成熟”が遅い。
それだけ人生を楽しむ時間をたくさん授けられているのが現代人と
いえます。







ところが、時代の動き、環境の変化ということになると
これまた過去と比較にならないくらいスピーディーです。

私たち一人ひとりに与えられた時間は長く、人としての成熟に
向けた時計の針はゆっくり動いているのに、私たちを取り巻く
環境の変化は非常に早い。




この状況が現代人に色々なストレスを与えているように思います。
また、様々な錯誤を与えているように思います。





結果、たくさんの時間を与えられているにもかかわらず、
先を急ぐ人生を送ることになったりする。
周辺の変化の速さに惑わされず、自分の人生の針をしっかり
刻んでいくことが大切だと思うわけです。