私は......51歳 男性
少々奇特な仲間からは インテリヤクザ等という大層な肩書(あだ名)を頂戴しております。
残念ながら、私には障害があり、
そして、おおいに自覚があり、そして少々自覚がない。
当初、友人数人からは、「人が羨む能力だ。」とも言われましたが
最近では、『貴方がおっしゃる通り、過ぎたるは及ばざるが如し』とも理解して頂き
無事にコミュニケーションが可能となった次第でございます。
私の障害は 人から見れば羨ましく、本人からすれば、疎ましく、そして厄介な代物でございます。
大学生時分に、私はギフトを持っていることに気づきました。
『大学生の時にギフトを持った』ではなく、『大学生時代に気づいた』という事です。
それまでは、自身にギフト等という特殊な能力があることすら自覚がなかった為、
親兄弟・親戚一同からも、『何やらおかしな子』という印象を持たれておりました。
私は、いくつかの特殊能力を少しずつ、平行して所有している複合ギフト持ちです。
自分のギフトが暴走しないように、幾つかの制約・友人の制限を行いました。
やや勿体つけましたが、私のギフトは
【軽度の映像記憶(特殊)】 【脳の使用速度超過】 【身体・脳などのリミッターが少々欠落】 【音声の…】
私の持つ映像記憶は少々特殊で、完全記憶ではなく、いわゆる『めくる能力』のようです。
事象や事柄・人・風景・文章・順番などを覚えている訳ではなく、必要なときに『めくる(見に行く)』能力です。
この能力は今、目で見ている視界の手前にもう複数のタブ(ウインドウ)を開いて見る感覚の能力です。
なので、人と会話している時に私は固まっているように見えたり、目が点になっていたり、ほうけて見えたりします。
人と話しているだけで勝手にこのウインドウは開きます。閉じることはできません。
話し手の会話や情景を勝手に映像表示して話を聞いてしまいます。
さて、私は先ほど申し上げた通り50代です。
50代にしてようやく、なんとか人とストレスなくコミュニケーションが取れるようになりました。
私はとても稀有なギフトを持った人間だという事を自覚しています。
さて、ねっとりした内容にもかかわらず、ここまで読んで頂いた方に問題定義です。
私は、大学入学までに一度も授業時間以外の勉強をしたことがございません。(授業をめくれば済むので)
【問題定義】
普通の人間がおこなってきた苦労や努力を経験したことがない人間に、他人の弱さを労わり、理解することが出来るでしょうか?
この問題定義をストレートに受け取った方は、さらなる間違いを犯します。
この問題定義の真意は
ギフト持ちの人間の問題は、ギフト持ちの人間にしか解決・理解できない、ということも含まれています。
ここまで長々とお読み頂いた皆様に感謝を申し上げます。
と、同時に
ギフトを持って50年、生きてきたおっさんからのアドバイスです。
ギフトを持って生まれてきたお子さんをお持ちの親御さんへ
残念ですが、ギフトは障害です。どのようなタイプのギフトでも例外はありません。
専門家~とか、飛び級を~とか、耳障りの良い言葉を鵜呑みにすると、
子供が壊れます。
ギフトという能力は伸ばすのではなく、制限するものです。
我が子可愛さに【伸ばす】を選択をした結果、学んでこなかった【何か】が欠落した子供の人生は破綻します。