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ドガのエトワール(踊りの花形)


芸術は芸術家が創りだすものだろうか?それとも鑑賞する観客が創るものなのだろうか?

これは芸術に関してよく言われる疑問の一つであると思う。そして、この問いに関する最近のハヤリ的な答えとしては「芸術とは芸術家と観客の相互作用によって作られるものだ」というものだろう。

これは「相互作用」という現代のキーワードを使いたいだけなのではないかなと長い間僕は思ってきた。「一方向から双方向へ」というのが現代思想の潮流なのでこのような言説が出てくるのだと思うのだけど、芸術作品を楽しむ場合、僕らは常に解釈の追随者であって、僕らが意味を作り出すことは少ないのではないかなと思うのである。(もちろんピカソのゲルニカを見て牛肉のステーキを想起するのは自由だが、それは”意味”ではない。想起だ。)



そこで、ドガのエトワールを例にとって鑑賞者たる僕らは多くの場合芸術家の思考を追随することで芸術を楽しんでいるのだという事を示したいと思う。そして、ドガの作品を楽しむことが今回の文章の目的である。

華やかなバレリーナ。美しい舞いを見事に表現している。「踊りの画家」と言われたドガの本領発揮といったところか。淡い色合いのなかにバレリーナの優美さ華麗さが表現される、それはまさに光であり、一瞬における美の発露である。

ふと後ろに眼を向けると黒い影が見える。この影はなんだろう?

当時はバレリーナのパトロンになるのが広く広まっていた。今でいうタニマチだが、いつの時代もパトロンになることは一種のステータスである。また、バレリーナの側からしてもパトロンがいなかったら自分の舞を表現する場に立つことが出来なかったかもしれない。

そうすると、この絵の見え方はだいぶ変わってくる。

光たるバレリーナの華やかで優美な世界の裏にはパトロンが示す闇がある。

光は闇によって充足され、闇もまた光の美しさによって闇たりえるのだ。


この作品の素晴らしさはこの点に尽きると思う。矛盾をはらんだ世界に僕たちは生きていて、完全な正義もなければ、完全な悪もない。美もまた闇と共にあるのだということを華やかなタッチで描くことでこの作者ドガは何を伝えたかったのだろう。

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