何かについて自分で考える。

カフェで空を眺めながらでもいいし、昼下がりのレストランで白ワインと前菜だけを頼んで時間を潰しながらでもいい。

でも僕が何かものごとを考えるとき、自分の思考を紙とペンによって文字にすることが必要だった。

文章を書いては消し、また文章を書いては消し。

あるいは文章を書いては他の文章との関係性を見出していく。

関係性はより大きな関係性を持ちそれは、主張になる。

僕にとっては”自分の意見”というものはこういった面倒なプロセスを踏むことによって得られるものである。

だから僕は自分の意見を持った人を好む。

多くの人が借り物の他人の意見を言う中で、ある人は自分の言葉(それは多くの場合洗練されずごつごつしている)をしゃべることが出来る。それは簡単なようで難しいことなのだ。

では僕はどうなんだろう?ちゃんと自分の意見を持つことが出来ているだろうか?そんなことをふと自問した。

このブログは僕の思考が出来上がるプロセスである。

時に真面目に語り、ある時は不真面目に語る。

けれど、それは全てありのままの僕だ。

今のところ、僕が自由にそして気軽に文章を書くとしたらどうすればいいだろうと考えた結果たどり着いたのがブログだった。

もし人生が思考の結晶で、僕が思考することから逃れられないのだとしたら、僕はそれに立ち向かわなくてはならない。タフになるために思考することが求められるなら思考するしかない。

そしてそれは僕の場合、文章を書くことと同値なのだ。

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