卒業の季節に寄せて
春の気配が近づくこの季節。街のあちこちで「卒業」の言葉を耳にするようになりました。
新しい一歩を踏み出す人たちの背中に、そっと音楽が寄り添うこの時期。やっぱり“卒業ソング”って特別な存在ですよね。
最近の曲にはあまり明るくないのですが、私にとっての卒業ソングは、どうしても昭和の終わりから平成のはじまりにかけての作品たちになります。少し渋めかもしれませんが、こんなラインナップです。


第3位
卒業(A-JARI)
軽快なバンドサウンドのメロディが印象的で、ただ前を向くだけじゃない“揺らぎ”を感じさせてくれる一曲。



第2位
明日への卒業(石川よしひろ)
タイトルの通り、未来へ踏み出す強さと不安が同居する、静かに胸に響く楽曲。



第1位
卒業(斉藤由貴)
やはりこの曲。時代を超えて色褪せない、卒業ソングの金字塔。あの透明感と切なさは、今聴いても胸を締めつけます。



どの曲にも共通しているのは、「終わり」と「始まり」が同時に存在していること。
別れの寂しさを抱えながら、それでも一歩踏み出さなければならない――そんな瞬間を優しく、そして確かに描いています。
この混沌とした世界の中で、それぞれの道へ進んでいくすべての人へ。
強く、たくましく、そして時には立ち止まりながらでもいい。自分の歩幅で進んでいってほしいと思います。
卒業、おめでとうございます。



最近、また一つ「未来」がすぐそこまで来ていることを実感するニュースに出会った。
TDKとQDレーザが開発している「レーザー網膜投影技術」だ。


この技術の何が凄いか。それは、レンズを通さず、眼球の奥にある「網膜」に直接レーザーで映像を書き込むという点だ。
「レーザーを眼に当てる」という言葉には、一瞬の恐怖を覚える。
けれど、スカウター型のデモ機が見せる映像は、その恐怖を「驚き」と「エモさ」へと塗り替えてしまう力があるらしい。
​ここまで来ると、想像せずにはいられない。
スマホのチップが体に埋め込まれ、自分の神経系とネットワークが直結する未来を。
イーロン・マスクは、すでに脳にチップを埋め込んでデバイスの操作に成功したらしい(ウワサです)この先、どんな未来が待ってるのだろうか?
そう言えば、猿の惑星では、人間が便利になりすぎて脳の思考を停止した結果、猿たちに乗っ取られたとのエピソードがあるらしいです。



​本日2026年2月28日、地元を通る高速道路「日高道」の日高厚賀ICから新冠IC間が延伸、開通しました。
物流や馬の輸送がスムーズになるというニュースは、もちろん地域にとって前向きな一歩。でも、新しい道路が延びていく様子を眺めていると、どうしても心のどこかで「あの頃」の風景を思い出してしまいます。
​かつて、僕の日常には海岸線ぎりぎりを走るJR日高本線の姿がありました。
苫小牧から富川、静内、そして様似、浦河まで。
特急や急行が走り、海沿いを駆ける列車の窓からはキラキラした景色が広がっていました。子供心に、大きな駅に降り立つ瞬間は本当に特別なものでした。
​駅弁を売る威勢のいい声、売店に並ぶ見たこともない商品……。
駅ならではの独特の世界観、あの場所でしか味わえない独特の空気感に、胸が躍ったのを今でも鮮明に覚えています。駅は単なる通過点ではなく、その街の「体温」を感じる場所だった気がします。


しかし、時が流れるにつれ、列車の本数は減り、駅は無人化され、そしてついに廃線という日がやってきました。
​駅がなくなると同時に、街の灯が少しずつ小さくなり、どこか寂れていくような気がしてなりません。
もちろん、高速道路ができることで便利にはなります。けれど、それは駅に降り立つ人が感じていた、あのノスタルジーやセンチメンタルな旅情までを穴埋めしてくれるものではないと思うのです。
​目的地へ早く着くための道も大切ですが、あの駅の売店で感じた「何かが始まる」ようなワクワク感は、もうどこにも代えがたい宝物だったのだと痛感しています。
​新しい道が切り拓く未来と、消えていった鉄路の記憶。
今日という日に、改めてあの賑やかだった駅の風景に思いを馳せています。