鳥の言葉を聴くー沈黙が解かれるー23
コースの11日目の午前中に、テープで聞くゴエンカ氏の指示の下に、10日間続いた沈黙の行は解かれます。
この頃になると、参加者は瞑想や沈黙、菜食といったここでの生活の原則が当たり前になってしまい、沈黙が解かれるといっても、さっそくそれに飛びつこうという気にはなれなくなっている。
それでも、瞑想ホールを出て、本館の玄関でなんとなく目の合った相手に、
「どうでしたか…?」
と、おずおずと尋ねた時に味わった、喜びと気恥ずかしさの混じった解放感のことはよく覚えています。
この日はコース中の唯一の「休日」と言ってよく、当日の瞑想はグループ瞑想と、3つ目の瞑想であるメッターが教えられるだけで、あとは自由時間です。
昼食には肉の代わりに高野豆腐を使ったカレーが出され、デザートも振るまわれたりして、ちょっとしたお祭りのような雰囲気になります。
なぜこのような1日が設けられているのかというと、それまでの10日間のような極度に集中した内面の凝視の後に、なんの準備もなく俗界に戻ると不要なショックを受けることがある。
そのため、沈黙の行とコースの終了の間にこうしたクッションを置く必要があるのだということです。
言うまでもなく、この最終日には参加者は猛烈に喋りまくります。大変だったコースがとにかく終わって、この特殊な体験を共有した仲間ーしかも10日間も会話を禁じられて意思疎通のできなかったーを相手にして話題の尽きるはずがない。
あいにく、私はこの時の会話の内容をほとんど忘れてしまいましたが、断片的に思い出せるのは同室のメンバーたちの話です。
同室で一番年かさだった中年の男性は、見た目はどこにでもいそうな親父さんで、私たちは夜彼のイビキに悩まされもしたのですが、この最終日に話してみると大学の先生だという。
また、この部屋で唯一の外国人だった大柄な白人はオーストラリア人の学生で、大学最後の年に半年ほど海外旅行をしている途中、日本でヴィパッサナー瞑想の話を聞いてここに立ち寄ったとのことでした。
大学の先生はさすがなもので、このオーストラリア人の学生と流暢な英語で話し、彼から旅の話を聞き出したりしていた。
ほかの、30歳前後の男性はヒッピーカルチャーに関心があるらしく、普段から家でも玄米菜食をしていると言い、先生を相手になぜ現代はブッダの時代から退化してしまったのか、などといった議論をしていました。
瞑想センターから出たらどうするか、あるいはどうなるだろうか、といった話も出ました。
コースへの参加は2回目だという人から、センターを出てバスに乗ったらそのスピードが速すぎて怖かったとか、京都駅のマックでハンバーガーを食べたら、粘土のような味がして食べられなかったとか、そんな話も聞きました。
最終日は終始こんな風で、瞑想の時間以外はえんえんとお喋りをして終わる。
12日目は朝のグループ瞑想が最後で、それからみんなでセンターの掃除を手伝い、昼前には解散になります。
園部から京都へ向かう列車で、私はまた大学の先生と一緒になりました。しかし、車内でどんな話をしたのかまったく記憶がありません。ひとつだけ、彼は京都に奥さんを待たせていて、彼らはこの後愛知万博を見に行く予定だという話を聞いたのを覚えています。
この話をすると、瞑想センターで酒や煙草、肉類を10日間以上も絶っていて、どうしても欲しくなったものはないか? とよく訊かれます。
私は酒も煙草もやらないのでこちらは関係ありませんが、コース中に何度かラーメンや餃子を食べたくなったのはたしかです。
しかし、いったん瞑想センターを出てしまうと、かえってそういう欲は起こらなかった。胃腸が菜食に慣らされてしまったからなのかもしれません。
ただ、暑かったのと、センター内で用意されている水は常温のものだけだったので、駅の自動販売機で冷たいミルクティーを買ってみました。
でも、その冷たさが新鮮だったのは最初の一口だけで、あとはたいして変わったこともない。
私は京都で会いたいと思っていた人がいたのですが、結局連絡が取れず、仕方なくそのまま東京に戻ることにしました。
そして、帰りの新幹線から品川のオフィス街を見た時、その殺伐とした雰囲気に驚いて、あそこを歩いているサラリーマンたちはなんてひどい場所で生活しているんだろう、などとショックを受けたりしました。
(続く)
スリランカ。ポロンナルワ遺跡。
