スピリチュアリティについてー③

 


それはともかく、石牟礼がその仕事の糧としたのは明らかに霊的な体験であって、彼女がしばしば巫女=シャーマンに例えられるのは当然といえます。

 


それでは、シャーマンとは何者なのでしょうか?  実はシャーマンについても、『常世の樹』の中にうがった考察があります。

 


「空と海の間に島があり、島の上に人間が立つ。天地の理という言葉がある。

 


文字のない時代から五体五官に理の意味を体得していた人間がいなければ、そういう言葉は生まれまい。天と海と地から来る叡知を躰に具現する人間たちは、一見、文明から離れた場所に居るものだ。

 


じつはそのような者たちこそ文化の最基層たる存在で、その総体を見れる者であり、伝統というものの実質なのである」

「導きの桑」

 


ここにはシャーマンという言葉は出てこない。しかし、この「天地の理」を体現する「文化の最基層たる存在」という定義ほど、シャーマン=巫女にふさわしいものはないと思います。

 


私は、石牟礼道子が実際にシャーマン的な能力をそなえた人であったかどうかなどと論じたいわけではありません。というより、そんな事はそもそも検証できない問題ですし、ある意味ではどうでもいい。

 


重要な点は、石牟礼道子の仕事の際立って高い質のゆえんを探ってゆくと、どうしても上のような言葉に突き当たるし、この作家のアイディンティティがそういう場所にあるとするのが適切に思われてくるということです。

 


私はこのシャーマン的な能力と、今日スピリチュアティという言葉で名指されているある種の感受性が、かなりの程度まで重なると考えていいと思うのです。

 


しかしながら、今この時点にあって、今年90歳で亡くなった石牟礼道子の業績を振りかえってみると、私はある苦しいため息をつかざるえませんでした。

 


というのは、これはむろん自戒を込めて言うのですが、かつて石牟礼道子が到達した次元を考えると、今のネット上にあふれているスピリチュアルと銘打ったヒーリングやセラピーは、どうもあまりにも惨めなものとしか思われないからです。

 


いったいこの世界のどれだけの数の人が、「天地の理」を体現する「文化の最基層たる存在」、という厳しい自覚を持っていると言えるのでしょうか。

 


もし知識人になりたければ、勉強すれば誰でもなることができます。しかし、シャーマンは勉強してなるものではない。シャーマンになるのに資格がいるわけではありません。

 


これは本当はとても怖いことで、シャーマンには本物か贋物のどちらかしかないということです。

 


私は、二流のヒーラーが書いたわざとらしく浮きうきした、強引で押しつけがましい文章を読むとぞっとすると同時に、なんだか情けないような、こちらが恥ずかしくなるような気持になります。

 


そういう文章は化学調味料まみれの食品と同じことで、見た目はごくきれいでも、後味の悪さによってすぐにわかってしまうものなのです。

 


スピリチュアリティは詩の魂であって、そうであればこそ、その表現には本物と贋物の差が残酷なまでに表れてしまう。

 


石牟礼の言葉のすみずみに行き渡っている感覚の豊かさ、繊細な優美さ、知的な誠実さが彼女のスピリチュアリティをこの上なく高めているのであって、そのいずれが欠けても不十分なのです。

 


今回、石牟礼の著作をあらためて手にとってみて、私はそういう難しさを痛切に感じました。

 


もちろん、石牟礼道子は特別な存在で、もし真剣に願ったとしても彼女のようになれるわけではない。

 


しかし、すくなくとも理想だけは高く掲げて、たとえば彼女のような人のことを重石としておかないと、スピリチュアルな世界はそれを嫌う世間の人々が言うように、あやしげな詐欺が横行する商売の世界でしかなくなってしまう。

 


そうならないためには、やはり石牟礼の場合がそうであったように、一方の極に痛みに満ちた現実ー石牟礼にとっての水俣病ーを踏まえ、それを検討し、乗り越えるための他方の極としてのスピリチュアリティー「常世の樹」が象徴する世界ーを見すえ、その厳しい緊張のなかで仕事をしていかなければならない。

 


私はそのように考えたいと思います。

 


最後に、『常世の樹』のなかに無数にはめ込まれている美しい散文から、そのひとつを引用して終わりたいと思います。

 


これは完全な詩であり、今日日本語で書いているどのような作家も容易には及びえない、きわめて高い境地を示すものと思われます。

 


「阿蘇山系と地下水脈のことは、ご専門の先生方におたずねすれば教えても下さろうが、素人がたどる道しるべは、草や花や稲の分布や、樹々たちの姿である。

 


森林の生態学者のようにそれを見ることが出来れば、詩の力もゆたかになり、水の地図を九州脊梁山脈の下に広々と描けるものをと思いながら、初夏の木々の葉脈のようなものが躰の中にひろがるのをわたしは感じていた。

 


どのような小さな繁みの起伏にも、原野の芳香があふれていた。車はその芳香を割りながら進んでゆくのだった。水の営みが地上にあらわれて、形と香りと色をつくりつつあると思えた。

 


濃密で繊細な生命の勢いが、草の葉先の露にも蜜を持った小さな果実のまわりにもあり余っていて、わたしの皮膚にまつわりついた。野茨は白い花びらをふるわせ、野苺は熟れすぎた赤い実をつけて、香りのくずれていく陰翳の中からあらわれた。

 


地上にある生命、ことに草や木たちはこの日、水の国が地上にそよがせている影に見えた。そしてわたしたち自身は、しとどな水で出来た歴史の肉体とも感ぜられた」

「こちの谷」