疎遠になっていた父が

2010年4月  病と余命の宣告をされた

2012年1月  に出直し(逝去)するまで

 

わたしは 【たすかってもらいたい】との思いが湧いてこなかった

 

親神様にも おやさまにも おねがいしなかった

父に  おさづけ も取り次がなかった

 

家族と 父と何度も話し合いもしたし

父の支えになれたら…と 

何度も寄り添おうと

考え 行動し 心を配ってみた 

 

病院の談話室で

父と 大喧嘩をして 

再び 距離をとった

 

『ホスピスに入ったよ』と

聞かされて 病院に足を運んだ

 

父はやはり弱っていて

会話は出来たけど

久しぶりの娘との再会を喜んでいてくれた 記憶はかすかにある

 

それよりも

父の傍らで 寄り添っている人物の存在を

その時に 初めて知った

 

今でも この衝撃は

わたしの心に 苦くて暗い雷雲を 立ち昇らせる

 

この人物の話を 妹と共有した時に

『わたしたちの 不徳の致すところなんだよ』と

言葉をかけられて

目が醒めるような感覚だった

父とのこれまでの 様々な思いが こみ上げてきて

もがいてもがいてもがいて…打ちひしがれた

降参したというか 観念したというか…

もうお手上げ という 心境になって

 

 

わたしが今できること…

 

『たすかってもらいたい』との心になれなかったことを

『たすかってもらえるように』と行動していなかったことを

 

親神様 おやさまに 父に ごめんなさい と ひたすらに謝った

父には 山ほど 言いたいことがある

ぶつけたい 思いも 山ほどある

育ててもらった恩もある

こんな 悲しい距離感になり 言い尽くせない もつれの数々…

苦しくて やるせなくて せつなくて

   (あのつらさは 何だったのだろうかと 今は 幾分は理解できます)

 

 

 

ようやく

「父をたすけてください たすかる道がありましたら おねがいします」と

天にまかせる 

もたれる 

ゆだねる 

気持ちになって

 

やっと 布団に入りました 

 

 

 

 

 

翌日の午前中に

父は 息をひきとりました

 

死に目には あえませんでした

 

 

 

父が出直す 前日に わたしの心の向きが 変わりました

 

【父 危篤】の連絡が入った時から

途方もない 嵐の中を 何度も さまよいます

  

わたしの 運命や生き様が 大きく大きく舵を切った瞬間でした


 

 

あれから十数年を経て

一年一年 ごとに わたしも 心の成人が 心磨きが

進んでいるのだな…と しみじみ感じることができるようになりました

 

父の思い出話は たっぷり あります笑い泣き笑い

 

このブログで 少しづつ伝えてみようと 考えています

 

 

 

このタイミングで 心に 響いたので

再掲します

 

父も 喜ぶと思いますニコニコ   ご一読くださいますと わたしも嬉しいです

 

いろんな事を ひっくるめて

 

父は

 

 

愛しき人 になりました

 

 

お父さん ありがとう いつもどうもありがとう

 

 

今日も ありがとうございます