書いてきましたように、中学受験にはメリット、デメリットの双方があります。今日は、メリットの活かし方、デメリットとの付き合い方を書いてみようと思います。私は、今、中学受験業界でわりと売り出し中の某社で正社員講師をしていますので、目線としては、塾の教務としての目線になります。共感できない部分も少なくないことかと思いますが、一つ、違う角度からのものの見方と割り切って、お付き合いいただければと思います。
なんだかうまくまとまらないもので、恐縮ではありますが…
メリットの活かし方
中学受験のメリットとしては、①大学入試に有利、②特色ある教育、③充実した課外活動、④落ち着いた環境、⑤受験自体から得られること、と書きました。今日は①と⑤について、書いてみようと思います。
まず、大学受験ということですが、昨今、受験全体が脱詰込み、思考力を問う、という形にシフトしてきました。これがどれだけうまくいくかはわかりませんし、そのうち対策も確立されてくるとは思いますが、とまれ、ある程度は考えるべきことが求められるようにはなるでしょう。
こうした傾向にシフトしていく理由としては、脱知識偏重への社会的要請があることに加え、日本の入試対策業界が、知識偏重型の入試に特化した対策を徹底してきた結果、思考力の萌芽として知識があるという受験生より、思考力を排して知識を詰め込んだ受験生が増えてきたことにあると思います。外山滋比古先生の言葉を借りれば、頭脳を工場でなく、倉庫とする生徒が増えてきたという現状があります。
確かに勉強には詰込みは大切です。しかし、度を過ぎた詰込みは弊害になってしまいます。
中学入試で勉強を詰め込みと覚えてしまえば、その後、思考力を鍛えるのはたやすいことではありません。ストレスなく大学受験に挑んでいくためには、詰込み一辺倒でなく、考える、ということを習慣づけたいところです。
そうすると、考える、ということを意識して勉強にとりこんでいくことが必要になります。考えるためには何が必要か、それは手助けしすぎないことです。手助けされないことで、短期的にはうまくいかないことが増えるでしょう。十分な手助けがあれば、もしかしたらワンランク上の学校に行けたかもしれない、ということもあるかもしれません。それでもやはり、考えることができることが生きる力につながっていく、ということを考えれば、あえて十分な手助けをする必要はないと思います。環境は整えて、勉強はやり方も含めてある程度子どもに任せる、ということは、先々を考えれば必要なことだと考えます。
私は、塾自体も同じ態度でいるべきだと考えていまして、補習だの十分な質問応対など、受験直前期の切羽詰まった時期以外は余計な、子どもにとっては迷惑になることだと考えていますし、授業も、一から十まで全部話すことはわかった気にさせるだけで百害あって一利なしのものであると考えています。国語の記述問題にしても、その記述を書くためだけのテクニックよりは、文章の背景は何か、そして文章をどう考えていくかを知り、実際に考えて、そのときは頓珍漢な記述を書いてバツをもらい、書き直してみることの方がよっぽど有益であると考えています。よっぽど勘がいいか、きちんと教え込んでいるかでもなければ、どの科目でも基本問題がほぼできる、ということはありえません。私自身、宿題で基本問題がほぼマルの子は要注意、応用問題まで含めてほぼマルの子は要警戒、として仕事をしています。ただ、勘のいい子のことであれば、その子の邪魔をしないようにやり方はほったらかしておき、退屈させないことだけを考えるようにしています。
自分で考えて取り組んだ勉強の経験は、思考力を謳うようになった大学入試に効くだけでなく、子ども本人にとって、成長の大きな起爆剤になります。成長の機会としても中学受験をとらえてみてください。