本日は、明治政府の意図した近代国家体制を記す記述問題を扱います。
藩閥などの複雑な要素があるために、詳しければ詳しいほど難しい問題ではありますが、そうしたものを端的に切り取ることも、求められる学力のうちです。50字という厳しい字数ですが取り組んでみてください。
問題
1880年代、政府は紙幣をつくるにあたり、その肖像を当初、明治天皇としようとしました。しかし、この案は明治天皇がよしとしなかったため、中臣鎌足、和気清麻呂、武内宿禰、菅原道真といった、古代、天皇に忠実に使えた人物を肖像とすることとなりました。
このころ、政府はどのような社会情勢の下で、どのような国家体制を目指したのか、50字以内で記述しなさい。
解説
1880年代といえば、西南戦争が終わり、藩閥政府に対抗するために自由民権運動が広まり、国会の開設や憲法の制定が求められるようになりました。一方で政府も不平等条約の改正のためにも、近代国家の特徴ともいえる憲法と国会の必要性を感じていました。
自由民権運動では、君主の力が弱いイギリス、そもそも君主がいないフランスの様式での政治体制の確立が主張されましたが、政府は君主やその側近が大きな力を持つドイツ、プロイセン風の政治体制の確立を目指しました。
解答例
自由民権運動が盛んな中、憲法の制定、国会の開設を通して、天皇を中心とする近代国家の確立を目指した。(49字)