甲田先生 朝礼講話⑥ 足くびの故障は万病の元 | Yokoi Hideaki

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連続投稿六日目です。今回がこのシリーズ最後、年内最後の投稿になります。今日も以下の朝礼講話集より抜粋します。

 

 

以下同著よりの転載です。

 

慢性腎炎という病気になりますと、どこへ行ってもなかなか治らない。やがてはだんだん進行して、ついに人工透析という状態になってくるわけです。今では、人工透析をする病院が非常に増えましてね。早々と人工透析してしまうというところもあるのですが、あれはなかなか悲惨なものです。人工透析に入ってからここに来られる方もありますけれども、一旦あれをやりますと腎臓の機能が急速に低下してくるという人が多いです。本当にかわいそうです。

 

宮崎県のSさんは人工透析に入って12年になります。本当は、もうとっくに死んでいる体でしょうが、12年間も生きてこられたということは、この健康法をやっておられるからでしょう。そのお蔭と本人も喜んでおられます。

 

それにしても、おしっこが一日に10㏄しか出ないのです。一合コップ一杯のおしっこを出すのに半月かかるのです。15日でやっと一合コップ一杯のおしっこです。ですから、水を飲んだら飲んだだけ、全部体重が増えてしまうのです。例えば、五合の水を飲んだら約1キロ体重が増えてしまうのです。それは大変ですよ。また、果物や野菜が食べられないのです。カリウムが多いからそんなもの食べたら、食べている間にも心臓の脈がおかしくなっていくのです。

 

だからうっかりカリウムの多いものを食べたら、心臓が止まってしまうのです。そのため生野菜も食べられない。青汁が飲めないのです。それから肉、卵を食べると尿素チッソが増えてきますから、これも食べられない。貧血で、たん白質をとらないといけないのに、それが食べられない。あんな状態では本当に哀れなもんですよ。

 

ですからSさんがいっています、「私は時々、早く死んだ方がええと思いますね。好きな果物も食べられない。肉も食べられない。水を飲んでも具合が悪い、だからお茶も飲まれない。これでは早よ死にたいと思うのも、よくわかっていただけるでしょう。ところが、子どもの顔みると死なれないんです」 とね。子どもの顔見ながら12年間やってきたわけです。

 

そこで、腎臓病になったらなるべく早くこの健康法で治さないといけません。Mさんのようにこの健康法で治ってくるんですから。4年間続いていた尿たん白も潜血反応も治ってきたではないですか。一般には不治の病といわれているけれども、このように治るのです。

 

腎臓の悪い人も世間にはたくさんおりますよ。だから私は腎臓病がこんな方法で治るということを一人でも多くの方にお知らせしてあげたいと思いますね。

 

問題は、結局、足の故障から腎臓に来ているということです。これが現代医学では盲点になっております。しかし、足の故障から腎臓にきていることがいつになったらわかるのかということですな。まだまだ十年も、二十年もかかるのではないかと思いますよ。そう簡単に気がつかないと思います。

 

例えば左の足くびが悪いとしますと、同じ左側の腎臓が完全に働いていないということになります。甘い物の過食などで足くびを悪くするのですけれども、それは左右の足脚が対称的に揃っていないからです。

 

Iさんちょっとこっちへ来て下さい。Iさんの足は、仰臥して寝たら、右側の足くびが外側に倒れます。倒れてますね。左側の足は倒れない。本当は両方の足くびの角度が、平面から60度にならないといかんわけです。これがそうならない。これは股関節が悪いのです。こんな方は毛管運動を行う場合に、左側の足脚がうまく動かない。左側の神経がマヒしていますから。

 

ですから、Iさんは左の大腿部外側がシビレているわけです。(Iさんに)「どうです。こうやって自分でさすってみたら、その違いがよくわかるでしょう」。左側の大腿部外側がシビレていますから、左側の足がうまく前に出ない。だから歩く時左側足の足はひきずって歩いているでしょ。 靴の裏をみたら、左側ばっかり減るのがよくわかります。

 

毛管運動を行ったら左の足はうまく振れません。片ちんぼになります。これを揃えるには左の足を右下肢の上にのせて一、二、三、四と左膝を上下に運動させて亜脱臼をおこしている大腿骨骨頭を整復します。これで入ったわけです。こうして股関節の亜脱臼を治します。これを揃えておかないと、骨盤が水平にならない。

 

さて左側の足くびを悪くしている人は、同側のアキレス腱が炎症をおこしとるわけです。

これをアルバート (Albert) 氏病といいます。(左のアキレス腱をつかむと痛みがります)。右側はそう痛くないはずです。左の足くびが悪いと左側の腎臓が悪くなります。そうすると喉が悪くなる。 喉に溶連菌が増殖してきます。そのため溶連菌から出る毒素が腎臓へくる。

 

ですから、足くびを治さないかぎりは喉が治らんというわけです。喉が治らんかったら腎臓は治りません。この辺のところは、現代医学の盲点です。足くびの故障に気がつかないから、いつまでたっても治らんのです。

 

足首の故障は万病の元

この股関節の亜脱臼を治すのには、合掌合蹠をやればいい。毎日欠かさず三年間やればいいのです。

こういう風に、合蹠運動で左右の足脚を揃えておくと、骨盤が正しく水平になります。そうすると脊柱がまっすぐになります。「それじゃ、カイロプラクチックなどで背骨の調整などやりますが、あれはどうですか?」

 

それはいくらやってもだめです。順序が違うのです。背骨を押して"ヤーッ"と入れてもろうて、お金払うて「ありがとうございました」というて十歩も歩いたら、またもとに戻ります。

だから「明日またいらっしゃい」ということになります。片ちんばの足で歩くからいくら調整しても、無駄です。また次の日”ヤーツ"と調整してもらい、「はい、ありがとうございました」、こんなこと、いくらくり返していてもダメです。金もうけにはよろしいよ。

 

だから、この健康法を教えてしまうと背骨を調整する必要がなくなって、金もうからんのです。

さて、この足の故障を治すのに大事な運動が合掌合蹠と毛管運動です。足首の故障を治すために、毛管運動する時に足くびを外側へ二十ぺんくらいまわします。それから内側にも二十回、ついで縦に二十回屈曲し、それから毛管運動やると、効果は一段とあがります。

 

以上の話でわかるように、足くびの故障が腎臓病に関係してくることをよく知って、それを治すのに少食にして、合掌合蹠と毛管運動をしっかりやればよろしい。

 

ところで、大腿部の「しびれ」はいくら訴えても、なかなかわかってもらえません。私が診たら、足くびの故障のある人はその側の大腿部がシピレているのがすぐわかります。私自身がこの足のシビレを治すのに7年かかったんです。私の場合は随分とひどかったからです。毎朝どんな寒い時でも裸で合掌合蹠をやっておりました。家内が、あの気違いがまたやっとるのかというようなもんですね。 昭和三十年ごろです。いまから三十年も前です。

 

合蹠もいっしょうけんめいやりますと、足のウラが熱くなって痛んできます。そうすると具合が悪いから、古い毛糸のシャツなどを足の下に敷いて合蹠をやると熱くならない。

ところが半年もやると、このシャツも穴があきます。また新しいものととりかえてやる。

そのようにして7年間やりました。いかに熱心にやったかわかるでしょう。そうしたら板の木目が彫れてくるのです。合掌合蹠でもそこまでやらないかんわけです。合掌合蹠をやったら体調がどのように変わってくるか、手にとるようにわかってきますよ。

 

だから、あなた方がやっている合蹠がどんなものかちょっとみたらわかりますよ。それは三十年前に七年間やった経験があるからです。

 

赤ちゃんが生まれた時に見て下さい 赤ちゃんでも、生まれた時から癖があります。小さい子どもさんでも、足を振っているのをみますと左側の足の振れていない子がいます。ということは、もうすでに左右の股関節が片ちんばになっているということです。

 

股関節に大腿骨がはまっていますね、その骨頭がちょっと前にずれると前方転位、これが後にずれたら後方転位です。これはレントゲンではわからないのです。微妙なずれですから。レントゲンでわかるような先天性股関節脱臼でなく、骨頭のちょっとしたズレが馬鹿にならないのです。


右側が前方転位やったら、大体左側は後方転位です。バットを振ったり、ゴルフしたりしてもたいていの方は同じ方向ばかり振るでしょ。反対にも振らないといけないのに、一方にばかり振るから、ついには片ちんばになってしまうのです。赤ちゃんがつかまって食卓のまわりをぐるぐるまわる時は、短い方の足を軸にしてまわっているのです。赤ちゃんに反対にまわらせようとしてもまわらんです。もう既に癖になってしまっているからです。

 

座っている時もそうです。正座した時、足の親趾(母指)がどちらが上になっていますか。長い方の足脚の親趾です。前方転位の方の脚が長いのです。大体私達が座る時には、長い方の足脚の親趾を上にして座っています。あぐらかく時はどうか? これもみな癖があります。ズボンをはく時でも癖があります。長い方の足を上げて先にズボンをはきます。脱ぐ時は逆に短い方の足から脱ぎます。靴ベラを使う時、足脚の短い側の靴は外側から使いますが、長い方の場合は内側から使っています。これがおもしろい、みんな癖がある。

 

「甲田さん」と呼ばれて後へ振り向く時はどうするかというと、短い方の側に「ハーイ」と振り向くのです。反対はやらんのです。便所へ行って座る時どうするかというと、長い方の側をちょっと半歩前に出して座っとるわけです。ですから、今日から便所へ行って座る時に「ちょっと待てよ、短い方の足を前に出して座ろう」と思ってやらないといけません。ほうきで掃く時も長い方から短い方へ掃く。今日から「よし」と、右側の脚の長い人は左から右へ掃くようにすることです。

 

みんな自分の癖を持っている

みんな自分の癖を持っており、長年続いた癖で骨盤がずれるわけですから、その癖を変えていく必要があるのです。少食だけでは治りません。この癖を直して骨をもとに入れておかねばなりません。しかし赤ちゃんの時から少食で育てておいたら、そんな癖はあまりおこらないわけです。大飯食らいを続けていると、その狂いもひどくなりますから、一度狂った骨はいっぺん矯正してやらないといけません。

 

二重まぶたでも、一方が二重で一方が一重まぶたの場合どうしたらよいか? 整形外科でよく手術を受けたりしますが、そんなことせんでもよろしい。骨盤揃えたら両方とも二重まぶた、または一重まぶたに揃うのです。こんなことをいえば整形外科の先生に悪いですが・・・・・・。案外簡単に変わるのです。

 

斜頸(けいしゃ)でもそうですね。これも骨盤を整えたらいいのです。 皆さんが肩がこってくる。右ばっかりこってくる人は右の骨盤が上がっているのです。右の骨盤が上がっとるから背骨が曲ってくる。そのため首が右に傾く、だからいくらマッサージをしてもだめです。それは結局骨盤が狂っとるからです。この骨盤を整えない限りは治らない。ついには頸が傾いてきますね。「頸の曲ったものは長生きできない」、夭折といいますね、こんな場合は骨盤を整えないといけない。

 

以上いろいろなことを言っておったらややこしくなるけれども、原則としては合蹠をしっかりやっておればいいのです。一回二百ペンを三回、一日に六百ペンくらいやって下さい。そうするとだんだん骨盤が整ってきます。

 

現代人は百人が百人ともこの骨盤が狂っているとみて間違いないです。左右が正しく整った者はほとんどいませんね。そのため足の相も千差万別、顔の違うのと同じくらいです。

 

足くびの傾き方のひどい者ほど性格もまた偏っていますね。仰臥して足くびが60度左右に傾いている者は人格も円満です。円満な人格は、したがって足首を整えることにも関係があるのです。そこで見合いする時に、顔ばっかり見ないで、足の相も見ておかないといけません。「ちょっとそこへ寝てちょうだい」なんていってみますと、性格までみんなわかります。(転載おわり)

 

私の補足・解説

私が原因不明の極度の疲労感に悩まされたのは四十歳少しの頃でした。過去のブログでも書いたように、病院にも行き、検査もしましたが原因がサッパリ判りません。困り果てた私はオートバックス健康センターの合宿に潜り込むことにしました。甲田先生に合わせる顔がなく、直接診察をお願いするには気が引けたからです。

 

その時、甲田先生は私の顔を見、さらに手のひらを見て、「ハッハーん」という表情をなさり、「背中を見せなさい」と言われ、私の背骨を触診なさいました。そこで「腎臓がいかれている」の一言。さらにベッドに横になった私の右足首を触りながら「ここが痛かったやろ」とおっしゃいました。その通りで右足首の痛みがずっとあったのですが、歩けないほどの痛みでなかったので、さほど気にしていなかったのです。

 

机に向かわれた先生は笑顔で「心配いらん。一月で日本晴れや」とサラサラと処方を書いてくださりました。そしてそれを行った一月後、甲田先生のおっしゃったようにこれまで経験したことがない日本晴れのような健康を取り戻しました。

思い返せば、この日を出張先の五月の札幌で迎えたのですが、文字通りその日の札幌は五月晴れでした。

 

ちなみに私の病は世に言う「慢性疲労症候群(CFS)」で、甲田先生はこれを「鈍重腎臓」と命名されていました。その後、甲田先生の著作を拝読し「足首と腎臓」の関係を知ることになりました。それが下の「腎臓病治療の秘訣」で、ここにそれが詳しく解説されていました。この書籍は現在手に入らないようなので、同じような内容の書籍を以下に紹介しておきます。

 

 

 

 

なおこの講話で甲田先生がお話になっていることは「足首」ですが、同時に骨盤の狂い、さらに背骨のゆがみについても触れられています。今回の講話でも「病の原因は何か?」(下スライド)を解説しましたが、西式健康法は真にホリスティック(全体、全身)な療法で、実に科学的でもあります。

 

 

 

心身一者

さらに西式健康法はその上に「心身一者」という考え方で「心」の問題にも病気直しの範囲を広げました。中村天風師は心の状態が血液の状態に影響を与えることを具体例を上げて解説なさっています。(以下の著作より転載)

 

 

 

 

 

何の病でも血液が汚いんだ。風邪ひとつだってそうよ。血液がきれいだったら、風邪ひかないのよ。あなた方は寒さに当たると風邪ひくと思ってるが、違うんだもの。

寒さに当たって体力が弱ると、体の中のばい菌が猛威をたくましくするんだが、そのときに血液がきれいだと、ばい菌先生、暴れようにも暴れられなくなっちまう。(中略)

 

怒ったり、悲しんだり、恐れたりすると、血液とリンパがみるみるその生命を完全に支えきれなくなるんです。怒れば血が黒褐色になって味わいが苦くなる、悲しむと茶褐色になって味わいが渋くなる、「ああ、おっかないな」と思うと丹青色になって味わいが酸っぱくなる。こうなると血液本来の姿が消えてしまうんです。

 

血液本来の姿とは弱アルカリ性でないといけない。弱アルカリ性の血液である限りは、ばい菌が入ったからって、決してその人間は病に冒されないんですよ。

心に煩悶が出てくると、人間の心が複雑にこんがらがった状態になる。そうなると循環器障害と臓器障害が起こる。これはゆるがせに出来ないだぜ。チョイト煩悶したり、チョイと心の中に満たされない不平が起きたりすりゃ、どうしても心が晴れわたるというようにはならない。

 

そうなると第一番に血液の酸性化が強くなってしまう。これは煩悶によって肝臓の中のグリコーゲンの分量が規定より以上になってくるからだ。一定の状態は命を保つに必要だけれど、それ以上の分量になるんだな。そうするとグリコーゼと言うものが増えてくる。グリコーゼとは何かというとブドウ糖だ。

 

するとどんなにアルカリ性のものを食っていても、血液はアシドーシスという血液になる。アシドーシスというのは酸が増えるという意味なんだ。酸が増えてアシドーシス状態になると。血液の一番大事な食菌作用と言うのが働かなくなる。

 

血液と言うのは我等の肉体を構成している細胞の食い物を運んでいるんだよ。つまり一粒、一粒の細胞が生きるのに必要な栄養を血液が運搬しているんだよ。血液の中にいわば食べ物が入っている。そして細胞の食べるものはアルカリ性でないといけないんだ。アシドージス(酸)のものであってはいけない。酸があると丁度パンにバターの代わりに猫イラズを塗って食わせているのと同じ結果が来てしまう。

 

そしてもう一つは食菌作用だ。ばい菌を食べてくれているんだ。顕微鏡で見ないからあなた方は安心して色々なものを食べているけれど、これはもう顕微鏡で見たら、どんなものにもちょっと口の中に入れるには、はばかられるようなものがくっついているんだよ。

それを口に入れても害がなく、命にさわりがないのは血液の中になるそれらを溶解せしめる食菌作用があるからなんだ。しかし、よろしいか、それは酸が入っている血液じゃダメなんだ。

 

酸性化した血液だと、すぐ風邪を引いたり、腹を下したり、そこまでいかなくとも、しょっちゅう頭が痛かったり、肩が張ったり、腰が痛かったりだ。そしてそれでも気づかずに放っておくと、段々進行して、しまいはガンだとか心筋梗塞だとかいうのに罹るんだ。(転載おわり)

 

霊性の開発

ここで天風師がおっしゃっていることは、まさに西式健康法の二大原理の一つ「心身一者」そのものです。天風師は糖尿病の患者に「甘いものを控えるより、クヨクヨするのをやめよ」とおしゃっていたのはこのためです。

 

同様に、西先生が「背と腹をともに動かし 水飲みて よくなると思う人はすこやか」と読まれたのは、背腹運動中に「良くなる、善くなる、能くなる」と念ずることで心を健康にすることをおっしゃったのでしょう。

 

また、西先生は、さらに踏み込んで「1=0」を説き「霊性開発」までも治療の範囲を広げています。先生はこのようにおっしゃいました。

 

西式とは医学に限らない。現象の世界は1であり、信仰の世界はゼロである。科学の場は1であり、宗教の場はゼロである。そして1とゼロを統一融合するところにわたくしの生活哲学がある。これが1=0の理論であり、あるいは、1とゼロの間に虚数を入れて、1=√-1=0 の理論である。

 

この後、西先生はゼロとは零であり、「霊」に通づるとし、「霊性開発が西式健康法の真の目的である」とおっしゃっています。

同じことを甲田先生が敬愛、師事された五井昌久先生も下のご著書の中で以下のようにお述べです。

 

 

 

 

 

今日は霊性の開発についてお話致しましょう。人間が真実に救われる為には、どうしても自己の霊性というものを開発しなければなりません。何故かと申しますと、人間の本性は霊性であって、物質体(肉体)ではないので、霊性の開発されていない人間、すなわち肉体として存在しているだけの者である、という考え方の人々の生き方では、真実の道を歩いて行くことはとても出来ないのであります。

 

それでは人間の本性は何故霊性であって、肉体ではないのか、といいますと、霊とは「0」であって「1」として表面に現われる前の姿であります。1、2、3として表面に現われた姿を、この現象の世界、つまり人間の肉体を含めた物質の姿と致しますれば、そうした眼に見え耳に聞える、五感に感ぜられるもの以外を霊 「0」として考えて頂いてよいのではないかと思います。

 

肉体、心、さらに霊性にまで人間存在の全体像を広げて考える。そうでなければこの世から病気や不幸をなくすことはできません。その意味で西式健康法、甲田療法は人間存在の「全体」を俯瞰した健康法なのです。

(下、西先生が書かれた人間存在全体図=肉体は氷山の水面上の部分でしかないことを示しています)

 

 

世界人類が平和でありますように