前回の投稿の最後に書いたように、今日から甲田医院での朝礼での講話を講話集からピックアップし、毎日一話づつ連続投稿します。投稿するのは「あわあわ」での30日からの健康合宿の参加者の為にピックアップした6つの講話です。出典は以下の書籍です。
書籍名は「マイナス栄養学のすすめ」ですが、この中には22の様々なテーマの講話が収録されており、甲田療法を知るには必須の一冊と言っても良いと思います。
初日の講話テーマは、この講話集の中でも特に重要だと思うブログタイトルの「『してはいけない』より『・・・になりたい』 の念を強くもつ」です。以下同著よりの転載です。
当院へ入院してこられた患者さん達は、皆、玄米五分粥とか三分粥のような厳しい少食を実行、また断食にも挑んでゆく中で、いままでどうしても治らなかった難病、例えば気管支喘息とか、関節リューマチ、あるいは慢性肝炎なども治ってくるのを知って、大きな希望が前に開けてきて大変喜ばれるわけですが、それには常に「希望」が原動力になっております。
いままで希望をもって療法にとりくんできた。それはどのような希望かというと、「治ったら何でも食べられる」という希望であります。しかし、そういう希望では駄目なんです。そういう希望でなく、「これからは少食になっていく。そして本当に簡素な生活で満足できる人間になっていく」ことを目標においた方がよかったのです。
治ったら何でも食べられるというのを目標におくと、断食後の少食に不足の念が出てきます。この道に入られる時には、少食にならないかんということですけれども、少食にならねばならない、甘いものを食べてはいけない、アルコールを飲みすぎてはいけないとか、そういうような「いけない」では辛抱することになります。しかし、辛抱することは決して長く続かないわけです。
このように、大飯を食べては「ならぬ」とか「してはいけない」というのは、自分を抑えていることになるから成功しないのです。それよりも、「少食になりたい」「簡素な食生活で満足できるような人間になりたい」と思う方が成功するのです。
「何にも食べられない体になってしまった」ではなしに、「こんな少い食事でやっていける体になってきた。なんと嬉しいことではないか」と思う方が成功する。「してはいけない」は辛抱することになり、辛抱することは必ずストレスがたまるのです。
断食でもそうですね。断食を歯をくいしばってがんばっているとストレスがたまる。がんばったらダメ、そうではなく、喜んで自分としては望んでやっている。そういう人間になりたい。少食でやっていける人間になりたい、なりたい、なりたい、なりたい。と朝から晩まで考えていたら、そういう人間になっていくわけです。そうして、そういう状態になったことに少しも不満がない。
一方「してはいけない」では、しまいに、こんな窮屈な生活はたまらん、と爆発してしまう。長続きしないわけです。
「なりたい」の方は希望をもって少食に近づいていけるようにするから長続きする。自分の運命を変えるのは、したがって想いを変えないかんわけです。想いを変えて、毎日毎日それを強く想っているとそれがだんだん実現していくのです。
だから、どんな人間になりたいかをよく考えて、それを毎日毎日頭の中にうかべて、潜在意識の中にたたきこんでおくと、大きな力になる。これがいちばん大事なことです。
難病になって、苦しい断食したり、生菜食したりしなければならない運命になって、自分を呪ってみたり、両親を恨んでみたりする人が多いけれども、そういう人達も自分が本当にすばらしい修行をさせてもらっているのだということに気づけば、"喜んで"修行させていただくことになるわけです。人間がそれによって出来てきますからね。
一般に慢性のリューマチ、喘息、アトピー性皮膚炎等になるのは、体質から来ていますから体質を変える以外に道はありません。体質を変えることは非常にむつかしいことです。なんでそんな体質になってきたのかということを考えていかねばいけませんからね。
習慣が体質を作る
慢性の疾患は体質を変えていかねばなりませんが、体質とは、多分にその人の性格ともからんできています。こういう体質がどこからくるかというと、その人の癖からきます。習慣ですね。もののとり方、考え方の癖があります。こういうものが、体質に関係しているのです。
癖にも悪い癖、いい癖があります。それが一つの体質になっていく。ものの考え方が性格につながっていく。例えば、コップをわった時、「私が不注意してすみません」とあやまる人と、「だれがこんなところにコップをおいたんや」と責任を他人に転嫁する人。
いろんな悪い癖がある。 甘いものをたくさん食べるとか、アルコールがどうしてもやめられんとか、癖があります。夜食、つまみ食いするとか、食物でも癖があります。朝はいつまでも起きられんとか、そういうものが積もってくると体質になる。そしてまた性格が出来上がっていくのです。こういうのが慢性病になっていく原因です。
体質を変えるには、悪い癖を直さないかんことになりますが、癖は日々の行動から出来てきます。行動の積み重なりが習慣になります。例えば、毎日毎日あなた方は朝ごはん抜いていますね。この朝ごはん抜きという一つの行動が七年たったら習慣になります。これは七年くらいたたないとあきません。水風呂に入って、木の枕して板の上に寝て、七年くらい続けないとあきませんね、もののとり方もそうですね、一つ一つ問題を毎晩反省していきます。
問題がおこった時に自分はどういうとり方したか、どういう反応をしたか。例えば受験勉強に落ちた時、「わたしがやっぱり勉強足りなかったから」と思うか、「うちはやかましい家で、周囲の者がじゃましよったから落ちたんや」ととるか、二通りある。
そういうような、一つ一つもののとり方を反省していかないといかんわけです。これが積み重なって習慣になり、体質になり、性格となりこれが慢性病になったり、また苦しみになって一つの運命になるのです。
そうすると、毎日どんな行いをするか。しかし毎日毎日の行いをするのには、その時の想念が原動力となります。この想念が自分の行いを決定する。今日はひとつ、しっかり温冷浴やって、裸体操やってがんばるぜ、という想念、どんな想いをもっているかという人の想いによって、その日が決る。それが積もり積もって習慣になり、体質になり、性格になっていく。毎日どういう想いをもつか、ここへ来て誓いをたてるのも想いです。朝の誓いと夜寝る前の反省をくり返し、抜かしてはいけないのです。
どんな人間になりたいか強く想いつづける
どんな人間になりたいか。そしてそんな人間になるためには、どうしたらよいかということを考えること。もし皆さんが、本当にこういう人間になりたいと思ったらそれを想いつづけていけばいい。必ずそういう人間になれる。もしあなた方が、本当にまだできない場合はまだ想いが足らんというわけです。
「切に想う心深ければ、必ず方便も出で来たれるようあるべし」
道元禅師の言葉です。 これは名言ですよね。
どんなことがあっても健康になりたい、こんな人間になりたいと想ったら、そのような人間になるためにいろいろな方便を考えだす。もし想い通りにならなかったら、まだ想いが足らんのやということです。本当に健康になりたいと思ったら、どんな苦しみがあってもそれをやり通す、できない場合は想いが足らん。これは名言ですなぁ。どんなことがあっても健康になりたいと想ったら、健康になるためには、どんな犠牲を払ってでもやる。それをやらん場合は、まだ想いが足らん。それほど切実に想ってないのや。
本当にそういう人間になりたかったら、想い続ける、想い続けたら、そういう人間になれる。だから、あなた方が何を考えているか、朝から晩まで何を考えているかと聞いたら、その人が将来何になるかすぐわかります。人にはそれぞれ理想、目標がありますが、こういう人間になりたいと想うと、そういう人間になっていくのですから、その人がどんなことを想っているか聞いたら、どんな人間になっていくかわかります。本当に不思議なものですよ。
だから、目標が正しい目標でなければいかん、まちがった目標をもてば、とんでもない方向にいく。私達は毎日目標に向って精進するわけです。精進するというのは、まっしぐらに進むということです。ところが、この精進がまちがったものなら大変なことになります。精進といっても、目標が正しくなければいかんわけです。
そこで問題になってくるのはその人の価値観です。自分で「これがいちばん幸せになる」と想っているものが、それぞれ皆違います。お金をどっさり儲けたら幸せになると想う人、総理大臣か大会社の社長とか、権力を持つことが幸せと想う人、また芸術家のように、すばらしいまた芸術家のように、すばらしい作品をかいたり作って後世に残していく、これがいちばん自分の成功と想っている人、また自分が修行を積んで、徳を磨いていろんな悩める人たちを救ってあげたいという、お釈迦さんとキリストのように、人生の大きな目標をたてておられる方もあります。
だから、金儲けがいちばん幸せになれると想っている人は、朝から晩まで金儲けのこと考えているわけです。何とかして金儲けすることないものかと考えている人は、人の顔みても金に見える。立派な絵をかきたいと想う人は、きれいな景色をみたら、絵がかきたくなります。人を見てその顔を絵にかきたいと想う人もいるわけです。
だから、あなた方が、本当に健康になりたかったら、いっしょうけんめいそれを想い続けることです。しかしね。健康ということは、人生の本当の目標じゃないのです。健康はすべてではない。
健康になって何をするか、正しい目標をもって精進する
健康になって、何をするかが問題です。もし目標がまちがっていたら、かえって健康にならん方がましな場合がある。ここでいっしょうけんめい断食やって健康になった。そしてしゃばへ出たとたんに人を騙した金儲けや、権力争いなどにいっしょうけんめいになっとるようでは、自分の人生をダメにする。それでは何のために健康になったかわからん。だから健康はすべてではない。しかし、健康でなかったら何もできない。だからまず健康になるわけです。そういうことから、あなた方は、高い目標をもっていなければならん。そうでなかったら、むつかしい食養生はできない。さて高い目標をかかげて、それを達成するためには、やっぱりいい習慣をつくっていかなければいかん。
何をするかというと、悪い習慣をいい習慣に変える。即ち悪い癖を直すことです。考え方、とり方の癖そういう性格を変えていかねばならない。
こういうことで、自分の病気を治し、運命を変えていく。それにはまず自分は一体何をこの世でしたいのか、そこから目標が生まれる。断食やって、単に宿便とって、病気を治すというのではなしに、根本的にはこういうことが大切です。これが正しくできない人は、なんぼ断食やってもダメです。
皆さんは体質を変えるために、いっしょうけんめい食養生やっているわけですが、これを三年続けると大体習慣になって、いつの間にか体質が変わってしまっていることに気づくでしょう。一時的に、なんぼ気張ってもあかん。習慣にならないかんのです。習慣になったら一つも辛いことない。初めは辛い、水風呂でもそうです。こんな冷たい水風呂に毎日入らないかんのかと想うたが、七年続けたら、水風呂に入るのが当り前になる。朝飯抜きでもそうですね、初めは、どうしても皆といっしょに食べたいと思う。ところが、七年たったら朝飯など、なぜ食べるのかと思うように変わってしまう。現在では朝ごはん食べるなど考えられませんわな。なんであんなバカなことやっているのかと思う。
そういう習慣になってしまえば、自分の努力はいらない。これからは、まずよい習慣をつくるように努力して下さい。
私の補足と解説
ここで甲田先生は、強く思うことの重要性を述べられています。京セラの創業者で、JALの再建にも尽くされた名経営者の稲盛和夫さんが座右の銘とし、会社の経営理念としても掲げられた名言があります。中村天風師の「研心抄」にある「新しき計画の成就は只不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきに只想え 気高く強く一筋に」です。
甲田先生がここでお話になったことはこの天風師の名言に通じます。ここで重要なことはこの中に「気高く」の一言が入っていることです。その意味は、「業想念」さらに「我欲」の思いであってはならない、ということです。稲盛さんは目標や計画を掲げる時、「動機善なりや」「私心なかりしか」との自問自答を何か月も繰り返えされました。
甲田先生が最終的に「五井先生によって救われた」とおっしゃったのは、すべての人が「我」の思いを離れ、「気高い」思いを習慣化する理想形として、最後に「世界平和の祈り」にたどり着かれたからです。
「少食が難しい」というのは「我」の思いである「貪欲」を乗り越えるのは至難である、と同じことです。同じことで「世界平和の祈り」を心から祈れるようになるには時間がかかる人もいらっしゃるでしょうが、この祈りを習慣化することで、人生は思いもしないような高みに導かれます。甲田先生がここでおっしゃりたかった真意はここにあると思います。
正しい食生活の習慣化に脱線があるのと同じように、時に「我の願い」を持つのも良いでしょう。それと同時に「世界平和の祈り」を行う習慣を持てば、自然に正しい道に導かれるということも付記したいと思います。
世界人類が平和でありますように