前回続きです。
ここまで連続して甲田先生が主宰された八尾健康会館友の会の会誌「健康の科学」60号、61号に掲載された治病体験発表を転載紹介してきましたが、今日は最後のお一人の発表紹介です。
患者さんの病名は「自律神経失調症」となっていますが、甲田先生は初診で重度の胃下垂、盲腸手術跡の癒着が原因の宿便滞留、幼少時からの過食習慣による過長結腸などが様々な症状を引き起こしていることを初診で見抜かれました。
患者の水野さんは知的で科学的思考の出来る方で大学でも栄養学を選び学んだのですが、既成の医学や栄養学では自らの病気の原因は解明できない、よって自分で研究し、自分で病気を治すしかないと考えて、ヨーガ、東洋医学、食養(マクロビ)、はては憑依霊のお祓いまで様々な療法、方法を巡った結果、最後に甲田療法にたどりついた方です。
水野さんは八歳の時に盲腸を手術しており、その手術跡に腸癒着があったのですが、癒着部の痛みに気づいたのは手術から20年を経過したヨーガ体操をやっている時だったそうです。
水野さんは手術跡の癒着部に宿便が溜まりやすくなって、それが自身の悩ましい様々な症状の原因になっている事をこの痛みからようやく知ったそうです。
そしてこの癒着部を治す療法を探す過程で甲田先生の著作に出会ったのです。
そして、自身の病気を治すにはこの療法しかないと直感した水野さんは甲田先生の診断を仰ぎます。
甲田先生は初診の触診で腸の癒着を指摘され、これに驚いた水野さんは甲田先生の眼力ににすっかり「おまかせ」の心境になったとおっしゃっています。
ちなみに過去紹介しましたが、腸癒着などを触診だけで見つけるこの特殊な能力は森美智代さんに受け継がれていますから、現代医学で見極めのつかない体調不良、病気に悩まれている方は森鍼灸院で診断を受けることをお勧めします。
森鍼灸院⇒
http://www004.upp.so-net.ne.jp/mori-harikyu/eigyou.htm
以下「健康の科学」第61号(1996年3月15日)掲載の水野さんの治病体験発表です。
自律神経失調症 水野義子
私の生い立ち
私は昭和三十五年九月生まれで現在三十歳。ちょうど高度経済成長の波に乗って食物が巷に溢れ始めた頃です。
四千グラム近くの体重があり大変元気で、百パーセントの母乳で育つ幸せな子でした。小学校に上がる頃から中肉中背に変わりましたが健康そのものでした。
しかし、小学四年生の時、家の引っ越しがあり、一時おばの家に預けられてから、食生活が一変し、それが病気の大きな原因となって、長い閧苦しむことになったのです。
でたらめな食生活
生まれ育った石川県の輪島では海の幸、山の幸に恵まれ、新鮮な魚・貝類や海藻類が毎日食卓にのぼり、いまから思えば健康食品をふんだんに食べておりました。
ところが家の引越しのため、預けられた叔母の家はわが家とは全く違った食生活でした。自然食品よりは加工食品が圧倒的に多いのです。
その上、叔母の家は駄菓子屋さんでした。また叔父は大きな菓子屋で働き、ケーキや饅頭を毎日作っておりました。
そのため、アンパンやケーキなどいつも常備してあり、その上コーラやスプライトなど清涼飲料水が一本、二本の単位でなく、一箱、二箱と置いてあるのです。
子供だった私は、忽ちこれらの甘いお菓子類に魅惑され、毎日毎日腹一杯食べておりました。小学校からの帰り道に、叔父の働く菓子工場に立ち寄り、生クリームの入っだシュークリーム、ソフトクリーム、大福餅、キャラメルなどをもらうのが習慣となっておりました。
また冬はホームコタツに入ってアイスクリームをたべるのが楽しみの一つとなってしまいました。
このように、食卓ではハンバーグ、コロッケなどの加工食品、そして甘いおやつの過食といった誤った食生活が続きました。
この悪癖が今度は自分の家へ帰ってからも改まらず、いや、それよりもなお一層エスカレートしてくるのです。
このためでしょうか、既に便秘気味となり子供のくせに三日、四日と便通のない日が出てきたのです。また顔に吹き出ものができて、なかなか治らないのです。
しかし、身体の方はまだ元気で、中学時代バスケット部の選手として活躍しておりました。
体重も現在より二十kg以上あり、先生達からも「元気な子」だとほめられるぐらいでした。
バスケット部に入って運動するのはよいが、食生活がでたらめで益々大食漢になっていくのでした。
大の男が顔負けするくらい、大きな弁当箱を持っていき、その食事が終ってからまだアンパンやビスケットなどを腹一杯食べていたものです。
そして夜食にスナック菓子とアイスクリームが離せませんでした。
この大食癖が高校受験で運動をすっかり止めてからも続くのですから、これでは健康が保たれるはずがありません。
徹夜の勉強をする時など、クッキー、チョコレートビスケットなどを横に置いて食べながら朝まで過ごすことも常習となっておりました。
このような胃腸・肝臓などへの過負担に加えて、受験という精神的ストレスで、私の身体は急速に悪化し、ついに発病という憂き目を見ることになったのです。
いまから思えば、なるべくしてなった病気だと、つくづく反省させられます。
発病後の経過
さて、徹夜で勉強した甲斐もなく、憧れの高校入試には失敗、いままでの意気込みは一気に消沈してしまいました。
そしてあまり行きたくなかった高校に合格しましたが、いつも不平不満の気持ちで登校、その不満の吐け口が食欲でした。
夕食後の夜食にケーキ、チョコレート、大福餅、あんぱんなどを毎晩腹一杯食べ、寝る前にノドが渇いたといっては、ジュースとアイスクリームという日が続いておりました。
そんなある夏の暑い日、アイスクリームを食べた後、水をグイッと飲んだ直後、胃のあたりが突然重苦しくなり、手で触れてみると、みぞおちが大きく凹み、下腹部だけが大きく膨らんでいるではありませんか。
それからが大変です。食事の時間がやってきても、お腹が全く空かなくなり、またノドが渇いて水を飲んでも、胃のあたりでジャブジャブ音がするようになってきました。
食道部から胃にかけて常に重苦しく、またモタレた感じがつきまとい、一食や二食抜いても空腹感が出てこないのです。
そして、食べているのに身体は段々痩せて、ついにカリガリの骨皮筋子のようになってしまいました。
顔色も健康色から青白い色に変わり、血圧も下がり、おまけに大切な髪の毛までも抜け始めたのです。
さあこれから、私の人生が急転回を始めることになるのです。いままでの明るさが失せて、表情に陰りがみえ、活力はなく何をしても楽しみが感じられなくなってしまったのです。
毎日が暗く陰欝な生活に変わってしまったため、友人も遠ざかり、一人ぼっちとなってしまいました。
時に十五歳の私が、その後現在三十歳になるまで十五年間この苦しい症状に悩まされることになろうとは!
自分のこれまでの悪い習慣、誤った生活が、私の運命を暗転させたのはもちろんのことですが、神仏が私を行きつくところまで行きつかせるための計らいだったのだろうと思います。
私という人間は、ここまで打ちのめされないと解らないほど強情で、且つ業(ごう)の深い人間であるからでしょう。
さて、突然の身体に起こった異変から私の病院めぐりが始まるのです。
県立病院、大学病院…それに評判の高い医院等々…です。
しかし、そこで待ちかまえていたのは血液検査、レントゲン検査、検査、検査のくり返しでした。
そして両手に一杯ほどもある薬が手渡されるのです。
病名は胃下垂症兼自律神経失調症兼貧血。
最初の間は薬を服用しておりましたが、症状は一向によくなってきません。
相変わらず胃部の膨満感、全身倦怠感、首肩のひきつれ感などが続くのです。
そのつらさを家の者や医師に訴えても解ってもらえないのです。
体重が少し増えて、ふっくらした顔になった私にはもう病気はないのだと医師も父母も思い込んでおり、つらい症状は受験のことや友人達との対人関係から出ているのだと決めてかかっているのでした。
このように私のつらい症状は精神的なものが原因だと決め込まれ、どれだけそれに反発しても、誰も相手になってくれなくなりました。
私にしてみれば、この病気の原因の大半は、幼少時より続けてきた食生活の誤りであるに違いないと信じて疑いがなかったのです。
後日になってからですが、発病当時の食生活で特に減塩食を続けたことも私の胃腸に悪い影響を及ぼしたのだと解ってきました。
このように、私が病気で苦しむことになった原因には食生活の誤りが必ずあるに違いないと信じている私は、それを医師や父母に何回もくり返し訴えるのですが、誰もそれを理解してくれないのです。
その結果、猛烈な反発心が湧き上がってきたのです。自分の苦しさを理解してもいないのに理解しているかのような振りをしているその態度にです。
こうして、家では毎日のように喧嘩が始まりました。
「お前の病気は気の持ち方を変えるまで治らない」「いや違う」こんな口喧嘩のくり返しでした。
最後には「こんな家なんかつぶれてしまえ」です。
食事療法の研究にのめり込む
このようなケンカで泣き暮らした挙句、ついに家を出る覚悟を決めました。医者も当てにならない。父母も駄目だ。ならば一人でとことん私の病気の原因を突き止め、自分の力で治していくのだ。これが最後の結論でした。
そこで選んだのが栄養学の研究ができる大学、京都府立大学食物学科です。つらい病状に打ち勝って、勉強した甲斐があって、幸運にも合格し、私の「食物」への研究が始まったわけです。
しかし、大学へ入ったものの、病状は相変わらず一進一退で、つらい日が多く、結局また病院巡りが始まりました。京都大学の付属病院、京都府立医大病院等々…です。
しかし、どこへ行っても前に受けた同じ検査のくり返しで、何もプラスになるものは得られませんでした。
結局、自分で研究し、自分で私の病気を治すより道はないのだと胆を決めたのであります。
こうなると、新聞を読んでも健康欄、テレビを見ても「健康講話」、それに民間の健康雑誌の購読、これに没頭しました。
考えることは朝から晩まで食物のことばかりでした。
学費が足りないため、アルバイトをしなければなりませんでしたが、そのアルバイト先も中華料理店、大衆食堂、ケーキ屋、おかず屋、病院給食、お茶屋、高級料亭、魚屋…でした。
こうして廻わるうちにいろいろなことが見え始めました。その舞台裏が解ってきたのです。しかし、病状の方は相変わらずで、おまけにいろいろな余病が加わってきました。即ちアレルギー性鼻炎、ジンマシン、微熱、虫歯の急増等々です。
歯医者には何十万円もするマウスピースを作ってもらい、一年間それを使用していました。
「マウスピースで背骨や腰の歪みが治り、あなたの難症も雲散霧消しますよ」と言われましたが、結局無効に終わっただけでした。
爪も薄くなり、椎間板ヘルニア、膀胱炎と益々病気が増え、まさにこれ満身創痍の状態に陥ってしまいました。
東洋医学に救いを求めて
これではもう私の前途は絶望です。この苦境から逃れる道がどこにあるのか?、考えた末に、いろいろな民間療法を試みることになりました。
鍼灸、漢方、指圧、薬草、占い、家相、宗教、ひょう依霊のお祓い等々…です。
また、種々の健康食品も乱用したものです。
こんな中で私が最も信頼できたのはヨーガでした。特に佐保田鶴治先生が指導しておられるヨーガ禅道で、いろいろと有益な教えを受けることができました。
この時、なぜもう少し早く東洋の英知に触れていなかったかと悔やまれたものです。
この感動があって、私は大学を一年休学し、ヨーガ三昧の日々を送ることになるのです。
一年間の求道で私の病状は確実に好転することを自覚できたのは、何よりも幸せなことでした。
しかし、食道部の頑固なヒキツレと全身に及ぶ硬直感、それに長い閲続いている微熱や首・冐の凝りなどはそう簡単に消え去ってくれませんでした。
食養入門
食品衛生の勉強を大学で行いながらも、私の関心は東洋の食事観に向けられ、食物を科学するそのもとである食哲学を研究したいとの気持がつのり、やがて食養の道に入門することになりました。
特に桜沢如一先生の著書に魅了されたわけです。大学で学ぶ現代栄養学と全く異なった東洋医学的食養は私の心をとらえて離しませんでした。
ヨーガ健康法でも食事は大変重要視されます。食事を正さない者はいくらヨーガをやってもだめだと言われておりました。
節食節食といつも口がすっぱくなるほど聞かされていました。
桜沢先生の食養も同じでした。玄米菜食、それも腹七分の少食を守れと言うのです。
実際に、玄米菜食も試みましたが、私にはあまり効果はありませんでした。
要するに、腹八分、朧七分といっても、本当にどれだけ食べたらよいのか解らないために、折角、質の良いものを食べていながら効果が挙がらなかったというわけです。
このことは後日、甲田光雄先生にお会いして、はじめて解ったことです。「何を、どれだけ食べたらよいのか」という私の疑問は、こうして続き迷っているうちに甲田先生に巡り会って初めて解決しました。
病気の根源に腸の癒着が
ところで、私が自分の病気は幼い頃に盲腸炎(虫垂炎)で手術した後の腸癒着が原因ではないかと思うようになったのはヨーガ体操をやり始めて十年経った一昨年でした。
体操の最中に、昔やった盲腸手術の傷跡付近が痛み出したのです。その後体操をする毎に、同じ痛みが走るのでした。
八歳の時手術したところが癒着し、そのまま二十年間も続いていたのですね。この癒着部で腸管が少し狭くなり、そこへ宿便が溜り易くなっていたのです。そして、ここに溜った宿便が、私にとって悩ましいいろいろな症状を現す原因になっていたということを知るようになりました。
ヨーガ体操で痛む腸の癒着部をどうしたら治すことができるかを研究する中で、ある東洋医学雑誌に、手術後の癒着症について述べておられる漢方医を知ることができました。
早速、その先生の腹診を受けたところ、やはり私の腸(盲腸部)に癒着があることが解りました。しかし、その先生は「癒着は一生とれません。まあ便がそこに溜らないように漢方薬でも飲んでおきなさい」といわれるだけでした。
これにはがっかりしました。やっぱり私の病気はもう治らないのかと諦めかけておりましたところ、偶然にも「腸癒着症は治る」という内容の書物を于に入れることができました。
これが甲田先生の著書であったわけです。
この書物を読んで「これしかほかに私の病気を治す道はない」と直感しました。そこで早速甲田先生に診察を受けることにしたわけです。
初診は平成二年八月。甲田先生が、私の腸の疱着部を触診で見事に指摘されたのには驚きました。私が十数年もかけてやっと解ったことをたった一度の触診で解ってしまう眼力に私は一辺に。「おまかせ」の境地になってしまいました。
こうして、私は甲田先生から指示された養生法を実行することになるのです。
入院・断食で救われる
しかし、自宅での養生法を四ヶ月間続けてゆくうちに、やはり不安と迷いが出てくるのでした。
指示された玄米少食療法は今までの私が食べていた量の半分くらいでしたから、体重が次第に減っていき、四十三kgから三十七kgになってしまったです。
身体の力も抜けてゆくようで不安な気持が強くなってきたものですから、これはやはり一度甲田医院へ入院させていただき、先生のお膝元で養生する方がよいと考えました。
主人の許しを得て、平成二年十一月六日甲田医院に入院し、玄米五分ガユを続けながら寒天断食を二回(二日間、三日間)行い、同年十二月二十九日に退院したのであります。
入院期間は五十五日間でしたが、この間に行った断食と背腹運動及び裸療法が、長年続いていた腸の癒着を引き剥がすのに役立つことをよく理解できたのであります。
断食中、また背腹運動を行っている間に瘢着部が痛み出し、腸の蠕動運動がそれに伴って亢進するのがよく解るのです。
その結果、胃部の膨満感、首肩のヒキツレ、全身倦怠感などの厄介な症状が大変楽になってきました。
そして、長い間、忘れていた空腹感が再び回復してきたのは、大変嬉しいことでした。
いやむしろ、猛烈な空腹感のため、その食欲を抑えるのに困ったほどです。
しかし、この入院中何よりも嬉しかったことは「どれだけ食べたらよいか?」という問題が解決できたことです。
「何をどれだけ食べたらよいか」という疑問を明らかにするため、私はこの十五年間、苦労してきたからです。
自分の病気は食事の誤りから起こってきたのに違いないと確信し、そのどこが間違っていたのかを明らかにすることに全力を注いできたと申しても過言ではないと思います。
そのため、この十五年間、あらゆる努力を重ねて、この問題に取り組んできたわけです。
ところが上には上があるということを、この甲田先生にお会いしてよく解りました。
甲田先生は実に四十年以上、この食物と取り組んでこられたのです。いやこれから死ぬまで食物の研究をしていくのだと言っておられるのです。おそれ入りました。
甲田先生はいままで出会った食物学におけるわが師の中では、最も適確で無駄がなく、解りやすい教えをさし示して下さいました。
私の食物探究十五年の苦労は先生に出会うことでやっと報われたような気がします。今後、この魅惑的であり、且つ悪魔的な一面を持つ食物に敬意の念と恐れの念をいだきつつ、私も生涯魅せられていきそうです。
あまりにも早く治ってしまえば、すぐに有頂天になってしまう自分を恐れ、私はまだ出し切れない頑固な宿便をためたまま退院します。
でもこんな患者を先生を慕って来られる多勢の方々の一人として心の一頁に加えて下さることをお願い致します。
甲田先生のコメント
水野さんを最初診察して解ったことは、大変ひどい胃下垂症であること、そして、盲腸部に手術の跡の癒着があることでした。
この癒着部に宿便が溜り易くなっており、それが水野さんにいろいろと厄介な症状を引き起こしているのだと直観的に理解できたのであります。
幼少時から続いた過食の習慣で、大腸が延びて過長結腸になっていることもよく納得できました。
要するに、過去の誤った生活、特に食事の誤りが積み重なった結果であったわけです。その点では、水野さんの判断は正しかったと言えましょう。
自分の病気は食べ方の誤りから起こったのに違いないと信じて、その解決に努力してこられたのはよかったと思います。
このような病気を単に精神的ストレスが原因だとか、「気のせい」にして正しく理解してやらなかった父母や指導者達は、やはり反省していただきたいものと思います。
世間にはしかし、このような患者さんがたくさんおられるのです。
はっきりとした体の原因から、現れた症状を正しく捉えることができず、「気のせい」にしてしまったのでは、この患者さん達がかわいそうです。
これでは生涯救われることがないでしょう。心身症治療の大きな盲点の一つと言えましょうか。
それにしても、「盲腸の(虫垂炎)の手術ぐらいは」と安易に考えている人達は、このように手術後の癒着という問題をよく知っておくべきです。
以上転載終わり)
冒頭書いたように水野さんは大変知的かつ科学的思考のできる方のようで、自身の症状とその原因をある程度まで自分で解明しておられました。
そしてどうしても自身で解決のつかない問題の解決法を甲田療法に見いだされたわけです。
過去3回にわたって「西式甲田療法による治病体験」を「健康の科学」誌より転載紹介してきましたが、まだまだたくさんの貴重な治病体験発表の記録や甲田先生の講話録が手元にあります。例えば2004年の第93号にも「各病体験発表会」の記録が掲載されています。
そこに紹介されている症例はアトピー性皮膚炎、深刻な胃腸病、潰瘍性大腸炎、肝臓病、ガン(胃がん)、筋ジストロフィー、膠原病、心身症、腎臓病、喘息、糖尿病、腰痛、リュウマチの各治病体験談で、甲田療法の卓越した効果の実証を観ることが出来ます。
そこで次回はこの健康の科学誌第93号からこれらの治病体験を紹介したいと思います。
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