あけましておめでとうございます。
この年末30日から今日まで恒例の森美智代さん主宰の断食合宿(於 名張「あわあわ」)が行われて、私も初日から2日間の講話を担当しました。
その帰宅後のことです。私は企業向けに時々の話題を取り上げた経営レポートを作成しています。それで、帰宅の翌元旦、不在中の溜まった新聞記事などに目を通していたところ、昨年12月27日の日経新聞に掲載されていた下の記事が目に入りました。
この記事の見出しは「乾かさず『湿潤治療』」で、傷の手当の常識が変わったことを報じるものですが、冒頭に以下の記述がありました。転載します。
包丁で指を切ったり、肘をすりむいたり、けがは家庭でも日常茶飯事だ。 対処法はここ10年で大きく変わりつつあり、傷を乾かさない 「湿潤治療」が広まっている。けがの内容に応じて適切な治療を受けたい。子どもが転んで膝をすりむいたとき。赤チン(マーキュロクロム液)などで消毒して表面を乾かし、かさぶたができたら一安心。これは時代遅れの対処法だ。現在のけがの治療は「消毒しない」、そして「傷を乾かさない」のが一般的になりつつある。 (転載おわり)
傷はぜったい消毒するな
どうでしょう。「傷を乾かさない」はともかく「消毒しない」には意外の感を持たれる人もいるでしょう。この記事には夏井睦(なつい・まこと)さんという女医さんの言葉が紹介されているのですが、彼女には著作があって、その本がうちの本棚にもありました。それが下の新書版の書籍で、2009年の初版です。私の手元の本は1年後の9版ですので、わりに売れた本のようです。
本のタイトルは「傷はぜったい消毒するな」です。日経記事には「消毒しない」とありましたが、「しない」どころか「してはならない」「するな」が夏井さんのホンネなのです。この本から一部抜粋し、後段に転載しますが、「してはならない」理由も実に論理的です。
ドラッカーが教えてくれたこと
ちなみに、今回のあわあわの講話でも経営の神様、ピーター・ドラッカーの言葉を紹介しました。「群盲評象」の悪い例として専門家の問題を取り上げた際にです。私は過去のあわあわ講話でもドラッカーをよく紹介していました。その中の一つをここで改めて紹介します。
下はドラッカーが創設した博士課程の第一期生で、弟子にあたる元陸軍少将、その後コンサルタント、大学教授として活躍したウィリアム・A・コーエンさんの著作です。ここに以下のような記述があります。転載します。
「常識」はたいてい間違っている
ドラッカーは、賢いこと、大事なこと、価値のあること、さらにはしゃれたこともたくさん語り、また、書いており、マネジメント分野の思想家として彼以上に引用されている人物はいないのではないかと思われるほどだ。(中略)
だが、ここにひとつ、教室や私的な会話では何度もくり返されたとはっきり覚えているし、私はそれを何冊もの本に書いて説明もしたというのに、ほかの本には取りあげられないし、ドラッカーが書いた本にも登場していない言葉がある。
それが「みんなが知っていることは、たいがいまちがっている」だ。
彼は、よくそう言っていた。そう言いつづけたのは、それが重要なポイントだと確信していたからだろう。そして、ドラッカーは正しかった。
本当はそうじゃないのに「みんなが知っている」から正しいと思い込むことはしばしばある。だから正しい選択の為に、特に検討しなければならないのが、大半の人が「知っている」こと、つまり、なにも考えずに前提条件としている常識の類である。
実際に、昔は常識とされていたが、いまなら笑ってしまうことがたくさんある。
有名どころとしては、「世界は平らである」「地球が宇宙の中心だ」が挙げられる。
こういう「まちがいのない真実」に疑義を唱えると、牢屋に入れられたり、魔女として火あぶりにされたりする時代もあった。
大昔のギリシャでは、すべての物質は土、空気、火、水の4元素でできていると信じられていた。それは違うと言っても牢屋に入れられたり殺されたりはしなかったと思うが、バカなやつだとは思われたはずだ。
ただし「常識」を鵜呑みにして、なにも考えず仮定を事実と思ってしまうと、悲惨な決断をすることになる。(転載おわり)
「西式健康法」を学ぶ理由
私は西式健康法に出会って、「健康常識」に如何に誤りが多いかを知ることが出来ました。同様にドラッカーは「経営常識」に誤りが多いことを教えてくれます。
誤りが多いのは「常識」だけではありません。常識を超える「最先端」のモノの見方や考え方、「流行りの問題解決法」にこそより深刻な誤りが多くあります。否、むしろそちらの方に誤りが多いのです。例えば、最新、最先端の医療、流行りの経営法などは従来の常識より一層疑わしいのです。
その意味で西式健康法やドラッカーはそれらを見抜く「目」を養ってくれるものと言えます。
今回の講話でもお世話になったオートバックスの創業者、住野敏郎さんの「オートバックス創業の精神、経営の三本柱」を紹介しましたが、その一角に創業者の住野さんが「西式健康法」を据えた理由もそのあたりにありそうです。
さてここからは先の夏井さんの書籍から「傷を乾かしてはならず、消毒してもいけない理由」を記述した個所を紹介します。以下同著、第9章よりの転載です。
標準的熱傷治療の問題点
(……)以上、湿潤治療による詳しい治療法はすでに説明した通りであり、熱傷創面を白色ワセリンを塗布した食品包装用ラップかプラスモイストで覆い、それを一日に1~3三回交換するだけというシンプルなものだが、どの例も驚くほど早くきれいに治り、しかも痛みがないのが特徴である。治療の過程で気が付いたのは、従来の「熱傷治療の常識」がまるで通じないことである(表)。従来の熱傷治療で必ず見られた現象が全く発生しなくなったのだ。
一番異なるのは痛みである。それまで熱傷治療は痛みとの闘いだった。受傷直後、患部を流水などで冷やすと痛みが治まるが、冷却を止めるとすぐに激痛が襲ってくる。その後の毎日の処置(=ガーゼを剥がして消毒する)も拷問級に痛い。医師の方も、痛みに対しては鎮痛剤しか治療手段がないため諦めている。「熱傷が痛むのは当たり前。諦めて我慢するしかない」と患者に言う医師も少なくない。
しかし、創部を食品包装用ラップで覆うだけで痛みはすぐに薄らぎ、ラップにワセリンを塗るとさらに鎮痛効果は劇的なものとなる。実際、湿潤治療で熱傷を治療するようになってから、鎮痛剤の使用量は激減した。さらに、痛みがなくなることでその後の過程が一変したのだ。
例えば、痛みがなければ歩けるようになる。自力で歩けるのなら何もわざわざ入院する必要はなくなり、通院治療が可能になる。さらに、痛みがなければ普通に飲食できる。だから喉が渇けば自分で水が飲める。このため、かなり広い面積の熱傷でも点滴は不要になる。これまでは、熱傷患者が受診するとまず点滴というのが常識だったが、「喉が渇いたので水を飲んできます」という患者にわざわざ点滴を入れる必要はない。
このように考えると、従来の熱傷治療では、痛みが取れなかったために入院が必要となり、痛みがひどくて飲み食いどころではなかったから点滴が必要だったことがわかる。だから、痛みがなくなればその全てが不要になるわけである。
さらに、深い熱傷であっても自然に治るし、湿潤治療で治した方が傷跡もきれいである。おまけに深い熱傷でも運動障害 (瘢痕拘縮はんこうこうしゅく)も起こさずに治る。つまり、これまでは自然に治る熱傷にわざわざ植皮をしてきたことになる。
また、従来の熱傷治療の感染対策も誤っていた。従来の治療では創面を十分に消毒し、創面を乾燥させることで感染を防いでいた。しかしこれは、「傷にばい菌が入ると化膿する」という間違った考えを基にしている。本来は「細菌が増殖できる場があったから化膿しただけ」が正しい知識であり、傷表面の細菌を減らすのではなく細菌が増殖できる場をなくすことが正しい感染予防である。
こう考えると、消毒は痛みを与える効果だけしかなかったのだ。さらに、治療薬である軟膏自体にも問題がある。基剤がクリームだったり吸水性のものが多いため、かえって皮膚再生を妨げたり、痛みの原因になるからである。 先に「熱傷は痛みとの闘い」と書いたが、実はその痛みの何割かは医師が治療に使っている軟膏によるものだったのだ。医師がその軟膏を使わなければ生じなかった痛みである。
さらに、痛みはさらなる合併症を生む。関節拘縮、そして運動障害である。痛みがあれば動きたくないし、動くとさらに痛みが増す。だから熱傷患者はじっとして動かないようになる。また医師も「熱傷は安静が必要」と患者に安静を強いるのが普通だ。その結果、関節が固まってきて関節拘縮が発生し、同時に筋力も落ちてくる。そして何度も皮膚移植術が行われ、そのたびに安静が必要になり、この傾向に拍車がかかる。
その結果、熱傷が治っても動けなくなってしまい、その治療のためにリハビリが始まる。しかし、最初から痛みがなければ患者は自由に動きまわれるし、普通に日常生活を送る
ことができ、手足も自由に動かせる。当然、安静にする必要もないから関節拘縮を起こすこともないし、リハビリも不要になる。(後略 転載おわり)
傷、火傷にはスイマグクリームを
以上が本書に記載の火傷治療のポイントです。中に白色ワセリンを使うのが良いという記述がありますが、私の経験ではスイマグクリームによる傷、火傷の手当てに卓効があります。スイマグクリームは西式健康法でよく使われるもので、森鍼灸院の向いの山田健康センターで購入可能です。なお、スイマグクリームは軟膏ではなく、むしろワセリンに近いものです。
さて、夏井さんの著作からもう一つ紹介します。先のドラッカーの「皆が正しいと思っていることはたいてい間違っている」に通じる記述です。
上と同じ第9章からの転載ですが、そこでは、過去の間違った治療、例えば虫垂炎の痛みを和らげるのにアヘンを使い患者を麻薬中毒にしてしまったり、梅毒に水銀軟膏を使い、水銀中毒で患者を殺したりなどというトンデモ治療の数々を紹介しています。以下、それに続く記述です。(転載)
トンデモ治療はなぜ支持されたのか
このように、医学の歴史においてトンデモ治療は枚挙に暇がないどころか、トンデモ治療しか見つからないような気がしてくる。昔の人はとんでもない治療を受けていたんだなあ、そういう時代に生まれなくて本当に良かったなあ、と安堵の思いがするが、17世紀や18 世紀の医師は、別に無茶苦茶な治療をしているとは思っていないし、むしろ最善の治療をしているつもりでアヘンや水銀軟膏を処方していたのだ。
それにしてもなぜ、こういう治療が生まれ、行われていたのだろうか。理由は簡単だ。病気の原因がわからない状態でも、患者がいて、治療を求めてきたからだ。
とりあえず患者がいたら何とかするしかなかったのだ。要するに、真っ暗闇の巨大な屋敷に明かりもなしに入り込み、手探りで進みながら奥の部屋に隠されているという宝を見つけるようなものである。
部屋の数がいくつあるのか、扉はいくつあるのか、どんな家具があるのか、危険な箇所があるのか、そもそも本当にその屋敷が宝の隠されている屋敷なのか、それすらわからないのである。見取り図らしいものはあるが、それは、暗闇の部屋から脱出に成功した人がわずかな記憶を頼りに書き記したもので、書いた人ごとに内容が異なっていたりするのだ。
例えば現在では、肺炎といえば原因も病態も明らかにされ、原因別の治療法が確立していて、医学部の学生でもよく知っている病気だ。 しかし、それらがわかるまでは肺炎とは「咳が続き、熱が上がり、やがて呼吸が苦しくなる病気」だった。なぜ咳が出るのか、なぜ熱が上がるのかもわからないし、呼吸が苦しくなる理由も不明だ。 病気の原因が悪い空気なのか、土に含まれる物なのか、先祖の祟りなのか、見当がつかなかったのだ。
しかしそれでも、目の前の患者は苦しそうにしているのだから咳止め薬を処方する。すると患者も多少楽になって感謝する。虫垂炎のアヘン療法はこれと同じであり、虫垂炎の痛みはとりあえずアヘンで楽になるのである。
だから、アヘン治療にしても瀉血法にしても根拠となる理論は存在したし、病気の原因についての研究も行われていた。ただ、その根拠となっていた理論そのものが間違っていただけだ。さきほどの例で言えば、部屋の見取り図が間違っていたから、屋敷に入った人が迷ってしまったようなものだ。アヘンも咳止めもとりあえず虫垂炎や肺炎の症状を抑えるという意味では正しかったが、病気の原因に対する根本治療ではないから、結果として病状はさらに悪化し、死に至っただけの話だ。
結局、病気の原因が明らかにされ、病態の研究が進むにつれて、根本的原因を除去する治療が開発され、それに伴ってトンデモ治療は過去のものとなりやがて忘れられていった。
しかしなぜあれほど凄惨な水銀治療の現場を見ているのに、医師は「この治療はおかしい」と考えなかったのだろうか。 ここに問題の本質がある。
なぜ水銀療法を正しい治療だと思ったのだろうか。それは、当時は皆が正しい治療だと信じていたからだ。正しい治療だから皆がしていたのではなく、皆がしているから正しい治療だと思ったのだ。なにやら禅問答のようだが、「皆が正しい治療だと信じていたから、それは正しい治療だった」という論理が実は重要なのだ。これが「パラダイム=ものの見方考え方」の構造そのものなのである。
現代医学の治療は未来永劫正しいか
では、現時点での最先端の治療はいつまで現役治療でいられるのだろうか。10年後はまだ現役治療だろうが、30年後となるとかなり怪しい。まして50年後となったら、生き残っている治療はどれほどあるだろうか。
例えば慢性腎不全(腎臓の機能が低下している状態)の治療として、現在では血圧管理や食事管理などを行って腎不全の進行を遅らせ、それでも駄目な場合は人工透析(血液透析や腹膜透析)、あるいは腎臓移植というのがスタンダードの治療方針である。だがもしも、現在の腎不全治療の常識に全くとらわれない発想から、人工透析も腎臓移植も不要、という治療が開発されたら、おそらく全ての腎不全患者はその新治療を希望し、現在の治療は完全に過去のものになってしまうだろう。
これは糖尿病の治療でも心不全の治療でも腰痛症の治療でも同様だ。現在スタンダードの治療だからといって、今後もスタンダードであり続けるとは言えないのだ。
つまり、現在の最新治療といえども、その治療の正しさは期限付きの正しさであり、いつかは寿命が尽きてしまう。今日は正しい治療であっても、明日には否定されるかもしれない。
賞味期限欄は現在は空欄だが、ある日突然、そこに日時が書き込まれる運命なのだ。
さきほど、「正しい治療だから皆がしていたのではなく、皆がしているから正しい治療だと思ったのだ」と書いたが、その意味はこれでわかったと思う。皆が「これは正しい」と認識しているから正しいと思われているのであって、「これは正しくない」と誰かが言い始め、多数の人間が疑うようになった瞬間、正しさの根拠を失うのだ。(後略 転載おわり)
西式健康法は-(マイナス)の健康法
太字にしましたが、上に「皆が正しい治療だと信じていたから、それは正しい治療だった」という言葉がありました。これは先に紹介したドラッカーの「みんなが知っていることは、たいがいまちがっている」と同じことです。
ちなみに、西式健康法を「-(マイナス」の健康法)と表現することがありますが、それは「減らす」という意味で、少食や断食を指すとともに、頭脳にこびりついた間違った常識(=これも「心の宿便」ですね)を頭から減らしていく、消してゆくということも意味しています。皆さんは、これを機会に過てる常識を頭脳から消す営みとして、西先生、甲田先生、さらに講話で紹介した中村天風師、五井昌久先生の言葉を学ぶ習慣を持ってください。
いつも良いことを思おう
さて、今回の私の講話の結論は「心が現実を創造している。思いが現実を作っている」からこそ「いつも良いことを思おう」ということでした。
講話の最後に述べたように甲田先生ともども私が皆さんにおススメするのは「世界人類が平和でありますように」というシンプルな「祈り言」です。
講話では背腹運動と一緒に行う事をお薦めしましたが、まずは日常の折々、「ヘンなことを思っている自分」に気が付いたら、すぐにこの祈り言葉を思い起こし、世界平和を祈ってください。
それは皆さんの運命を良き方向に導くだけでなく、「個人人類同時成道」で世界人類への貢献にもなります。下は五井先生、ご自筆の祈り言葉です。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が全うされますように
守護霊様、ありがとうございます
守護神様、ありがとうございます
合宿で心身ともにリフレッシュされたと思います。できれば大きな脱線せず、西式甲田療法の基本を続けられますようにお祈りします。 令和8年 1月5日






