久しぶりにブログ更新します。
先日、所用で最近「舟屋」でブームの丹後半島の伊根を訪れました。
雨の平日で傘を持った外国の方が多く散策されていて様変わりだったのですが、その帰り、綾部市の大本教本部である大本神苑を訪れました。ご本殿に当たる長生殿で大本の作法に則り、世界平和をお祈りさせていただき、開祖と聖師のお墓がある天王平奥津城にもお参りしました。
帰宅後知ったのですが、天王平は植芝先生が開墾された場所で、植芝先生の墓所もあるとのことです。それを教えてくれたのは「合気道と大本」というタイトルの下のYoutube番組です。
この番組で、知ってはいても、さほど詳しくはなかった植芝先生と大本教の教組、出口王仁三郎師の関係を知ることも出来ました。
さて、その綾部訪問からの帰宅後のことです。毎朝の習慣で拝読している五井先生の会の会報、「白光」を開いたページに五井先生の巻頭言「植芝盛平翁の昇天」が掲載されていました。植芝先生がお亡くなりになったのは昭和44年4月26日、上の白光誌は同年の6月号です。また6月号には植芝先生口述の「武産合気」を聞き書きされた高橋英雄さんの「思い出の記」も掲載されていました。
これを読んだのは綾部からの帰宅後すぐのことで、シンクロニシティ―を感じたので、今日はその五井先生の巻頭言と高橋さんの「思い出の記」をご紹介したいと思いました。
この五井先生の巻頭言と高橋さんの「思い出の記」を読み、素人にとっては不思議な武術としか思えない合気道の本質、またその開祖である植芝先生がどのような方であったかを伺い知ることができる思いました。
またそこで紹介されているご生前の植芝先生のお言葉からは五井先生がどのようなお方であったかも知ることができます。私は拝読して、胸がいっぱいになりました。そして特に合気道をなさっている方には是非お読みになって頂きたいと思い、今日のブログを書くことにしました。
合気道はニュートン力学でなく量子力学
その五井先生と高橋さんが植芝先生に捧げられた文章をご紹介する前に「まえおき」です。
私には合気道について素人ほどの知識しかありませんが、不思議な武術である合気道を科学的に説明しようとすると方々が「力学」や「心理学」で論じられているのをこれまで多く見聞きしてきました。
そこには一定の説得力はあるものの、植芝先生やご高弟の演武の映像を見ると、正直なところその説明に「なるほど」とは頷けません。
例えばまったく力を入れずお座りになっている植芝先生を何人もの大男が押し倒そうとしても微動だにしない、そのうち大男たちがまるで自分で倒れるようにコロコロと転がされてしまう映像があります。
これを「力を使わず相手と合わせることを重視し、力学的な原理を応用して相手の力を無効化し体勢を崩しているから」という説明ではとても納得できないのです。
それどころか合気道をなさっている方の中に「大先生が実に科学的な合気道に宗教的要素を加えてしまい、複雑にしてしまった」というような意見すらネット上にはありました。
今日紹介する五井先生と高橋さんの植芝先生を追悼するお話も、そんな方には理解できないでしょうが、私は合気道こそが真に科学的武道であると思いました。それは植芝先生が説かれた「合気の道」は同じ力学と言っても、ニュートン力学を超えた量子力学に基づいた武術である、と思うからです。
非実在性・非局所性・光と波の二重性
そこで量子力学とは何か、です。
哲学者で大阪大学の教授でいらっしゃる森田邦久さんが面白い本を書かれています。それが下の「量子力学の哲学」です。
この本の表紙には量子力学の対象である物質の大元の素粒子がどういったものかを説明する言葉が書かれています。それが非実在性、非局所性、粒子と波の二重性です。
それぞれ簡単に説明すると、「非実在性」とは素粒子(=物質)は人が観測するまで存在しない。見た時にしか見えないものである、ということです。踏み込んで言えば「想念が実体を与えている」ということです。実際に、ノーベル物理賞を受賞した物理学者は「物質に実体を与えているのは私たちの意識だ」ということを述べています。
つづく「非局所性」とはある出来事が遠く離れた別のできごとに瞬間的に影響を与える、ということです。これは素粒子の世界では、時空が存在しないことを示す概念で、アインシュタインの特殊相対性理論をも超えた時空観を意味し、極論すれば時空とは幻想だ、ということです。そして、これによって様々な不思議な現象も説明できます。
三つ目の粒子と波の二重性とは、存在の大元である素粒子は、光という粒子的特性と波という波動的特性の二つ持っている、ということです。
量子力学はこの三つの特性が私たちの存在している世界の実際の姿であるということを証明しました。
しかし、それは我々が、日々目にし、体験している世界の在り方とは全く違うものです。よってアインシュタインは量子論を否定したのですが、のちに有名な「アインシュタインvsボーア論争」において量子論の正しさが完全証明されました。
聖書が示す量子論の世界
以下はヨハネの福音書の冒頭の有名な言葉です。
「はじめに言(ことば)ありき。言は神と共にあり、言は神であった。言は神と共にあった。万物は言によって成り、言によらず成ったものはひとつもなかった。言の内に命があり、命は人を照らす光であった。」
最初の「はじめに言(ことば)あり」の「言」とは「言霊」のことで、要は「ひびき」=波動です。そしてつづく「言の内に命があり、命は人を照らす光であった」というのは量子力学の説く、物質の実体である素粒子のもつ「光と波の二重性」を示すものです。
この聖書の有名な一節は、私たち自身も含めた「目に見えている世界」の実体は波であり、光でもあるという量子論が証明した世界観を表現しています。
これもシンクロニシティでしょうか、このブログを書きはじめた昨日です。これも毎朝の習慣で拝読している五井先生のお言葉を高橋さんが編集し、暦に配された「日々のいのり」のページに以下の言葉がありました。
人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波となり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。生命である人間は神界においても働き、またずっと粗い波動体として肉体界にも働いているのであり、生死を超えた永遠の生命なのであります。この人間生命は種々様々な階層に神のみ心を出そうとして働いているのであり、皆さんが肉体界で意識しようとしないとにかかわりなく、皆さんの本心本体は神界霊界幽界肉体界を通して、生命波動、光の波動としての働きをつづけているのです。
ここで五井先生がお話になっていることも量子論的な世界観です。冒頭にある「人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波となり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。」というのは量子論が解明した世界を分かり易く説明されるものでしょう。
また後段にある「神界、霊界、幽界、肉体界」とは肉体界が目に見えない波動領域(多次元)に包み込まれた世界であるということを示すものです。量子力学は多重次元、パラレルワールドなどの存在を示唆しますが、実際この世界は高次元世界の波と光によって作り出され、映し出されている世界なのです。
植芝先生や五井先生は創造の源である高次の光や波動を自らの肉体を通じてそのまま地上に降ろすことが出来る方でした。普通の人はそんなことができません。霊界、幽界次元の穢れ(けがれ)、汚れが高次の光を妨げるからです。その穢れを祓うのが植芝先生の合気道であり、五井先生の「消えてゆく姿で世界平和の祈り」なのです。
以上、「まえおき」が長くなりましたが、五井先生と高橋さんが植芝先生に送られたお言葉を紹介します。まず五井先生の巻頭言です。
植芝盛平翁の昇天 五井昌久
合気道創始者植芝盛平翁が、去る四月二十六日昇天された。翁は私とは非常に親しい仲で、肉体的にはそう度々お会いすることはできなかったが、霊的には常に交流しあっていて、私の会の人たちが伺うと、心から懐しがられ、私と一緒に写した写真をみせては、「五井先生はいつも私と一緒にいらっしゃる」と例の鋭い眼が、にこやかな柔和そのものの眼になってしまわれる、という話であった。
昇天の日が近づかれた頃は、体のご不自由なのもいとわず「五井先生のところへ案内してくれ、今から市川へ伺う」と会の人の顔をみると、子供のようにせがまれたそうである。
植芝先生は、武道修業の極致から、霊覚を得られた方で、天地の理法をはっきり知っておられ、人の心を見透すことは勿論、その人の霊位までも見極められる方であって、私との初対面から「五井先生は祈りの御本尊であり、中心の神の現われである」といわれ、私が植芝先生を上座に据えるのを、自ら下座に坐わられ、若輩の私に上座をすすめられたりされたものであった。真理に徹しておられぬとなかなかそういうことができるものではない。
植芝先生の肉体というのは、普通人の肉体ではなく、神霊そのものの体であって、宇宙の根源に統一できる体であった。だから、八方から槍で囲んで、同時に打ってかかっても、打ってかかったほうが、まるでわざと倒れるような格好で、一度に倒れてしまい、当の植芝先生は、小ゆるぎもみえぬそのままの状態で立っておられる。その状態はもう技というのではなくて、翁の肉体が透明になり切り、宇宙大に拡がってしまっている状態なのである。
そういう翁の真の姿を知っているのは私だけかも知れない。いつも、「私のことを真実に知っているのは五井先生だけだ」と高橋君などによく話されていたという。私が「神人植芝盛平翁を讃う」という詩を大きな額にしてお贈りしたら、それが嬉しくてたまらぬらしく、来る人ごとに私の話をしてきかせていたようである。
昇天一ヶ月位前に、昌美と一緒にお見舞に伺ったら、ちょうど病院から帰って来られた直後で、昌美が掌を背中に当ててお祈りすると「魂の立派なお嬢様だ、光がよー通る。よー通る」と大変喜ばれ、大分体の痛みが和らいだようであったが、天寿はいたし方なく、神界に昇ってゆかれてしまった。
昇天された日に新聞の写真を通して、私の体にうつって来られたが、その姿は猿田彦命そのままでもあり、天叢雲九鬼(あめのむらくもくき)さむはら竜王と常に翁がいわれていた竜王の姿でもあったが、神楽舞を舞われつつ、私の印の中に融けこんでゆかれた。その時、「祈りによる平和運動に全面的に参加する」というひびきを伝えてゆかれたのであったが、今この原稿を書いている私の体の中で、にこやかな笑顔をむけられているのである。
この世に再び現われるとも思われぬ、不世出の武人霊覚者は、この世とあの世の人々を、宇宙法則のひびきに乗せるため、救世の大光明波動の中で、大いなる働きをつづけてゆかれるのである。
翁が開かれた合気の道は、全く世界平和の道であって、真の武とは、戈(ほこ)を止めるという文字の示す通り、戦争や争いを止める道なのである。
植芝先生こそ、正に世界において、はじめて武の奥義に達した人というべく、昇天して私と共に平和運動に働かれることも、すでに神界において定められた道であったのだろう。植芝盛平先生の神界における今後の活躍に期待すること大なるものがある。
「大いなる合気の神の加わりて 平和の祈り光いや増す 」
最後のお歌は五井先生が植芝先生にささげられたものです。
植芝先生が「五井先生はいつも私と一緒にいらっしゃる」と五井先生の会の方にお見せになったた写真もこの会報に掲載されていました。お亡くなりになる1年前のお写真です。
続いて高橋英雄さんの「思い出の記」です。
植芝先生の思い出 高橋英雄
(一)
先生についての思い出は、いろいろとあってつきることがない。先生の武産合気(たけむすあいき)の精神道話を、白光誌に何年間かにわたって連載したこともある。市川と茨城の岩間との間を、月に一度は必ず往復したことも、なつかしい思い出である。
植芝先生は、私にとって「なつかしいお人」である。それは先生が昇天されたからではない。ご在世中から、その気持があったのである。きっと、前生からの深い因縁があったからだと思う。自分で言うのもどうかと思が、私は植芝先生に愛されていた、と思っている。幾度か、内弟子になって、一緒に修行していこう、どこそこへ行かないか、と誘っていただいたものである。
茨城県岩間町の合気修練道場に、昭和三十五年の春、五井先生はじめ会員有志百名余がお訪ねしたことがある。大勢の訪問者を迎えて、大ニコニコだった植芝先生のおヒゲのお顔を思い出す。
(二)
私が植芝先生のすばらしさを初めてきいたのは、五井先生のお口からだった。小説新潮に火野葦平が書いた「王者の座」という小説の中に、植芝先生のことが出ていたのである。
相撲の天竜が主人公であったが、大兵の天竜が、坐っている植芝先生をいくら押しても動かない、しまいに毬(まり)のように、天井高く何回も放り投げられた、ということや、蒙古遍歴中、モーゼル拳銃を賊にむけられたが、相手の引金をひく前に、一瞬早く相手の手許にとびこみ投げとばしていた、ということ。それが本当かどうか軍人たちの間で話題になり、試してみようと将校たちにピストルをかまえさせた。いざ発射という時、十メートルぐらいの間隔があるのに、いつの間にか植芝先生が手許にとびこんできていて、アットいう間に数人の将校が倒れていたという話。
引金をひこうとする前に、相手の想念 気の動きが小さな玉になって自分にぶつかったと意識して、一瞬早く相手の手許にとびこんだのだ、という植芝先生の述懐ものっていた小説だった。これを読まれて、植芝先生にお会いしたいと五井先生は思われたのだった。
更に五井先生は、合気道(光和堂刊) という本もごらんになり、その中にあった植芝生の悟りをお読みになって そのお気持が一層つよくなった。
その先生の悟りをご紹介するとー
「たしか大正十四年の春だったと思う。私一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間私は『武道の根源は、神の愛 (万有愛護の精神)である』と悟り得て、法悦の涙がとめどなく流れた。その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や名誉や財宝は勿論強くなろうという執着も一切なくなった。武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産みまもり、育てる神の愛の力を、わが心身の内で鍛錬することである、と私は悟った。」ということである。
五井先生がみずからお会いしたい、と思われる人物は滅多にない。私の知る範囲では、今迄に植芝先生だけだったと思う。すると不思議に会員の中から植芝先生と親しい林夫人が現われて、両先生は神田神保町区民館で対面されたのであった。
植芝先生はその時二時間ぐらい歓談されていたが、五井先生に「私は先生と会う日を待っていたのです。私のあとを完成してくれる人が必ずいる筈だ、とさがしていたのです。私は神の道をひらく役目で、その後は先生にやっていただくのですから、よろしく頼みます」とおっしゃっていた。これは斉藤秀雄さん、金子一子さんもきいたことである。
それから植芝先生と私たちとは縁が結ばれて、五井先生が植芝先生を「神の化身」とご講話に、著書にしばしば称されたので、会員一同は、武道家とみるより、神の化身、霊覚者と、植芝先生を慕っていったのである。
(三)
いつも私がおたずねすると、植芝先生は「わしの正体を見破ったのは、五井先生お一人じゃ」と武道家的表現方法を使ったり、「わしをほんとうにわかってくれたのは五井先生だけじゃ」と、うれそうに話して下さるのだった。
「そうですよ、五井先生はいつも植芝先生の素晴しさをみんなに話しておられます」とお答えするとまた、子供のように喜んで下さるのだった。そして、いつも「何かお土産をさしあげたいんじゃ、何もなくての」と申訳なさそうにおっしゃるのだった。
(四)
昭和四十二年の十一月だった。植芝先生をお訪ねした。合気道本部道場完成お祝いに、五井先生が植芝先生を讃えた詩「神の化身」を額に書き、表装してお贈りする、ということをお知らせするためだった。植芝先生は事務所にふとんをしいてお休みになっておられたが、私を中に招じ入れて下さった。
「五井先生はお元気ですか」と最初に先生に挨拶をされてしまい、また先手をとられたと思った。
「ハイお元気です。 くれぐれもよろしくとのことでした」と申上げると「高橋さん。子供さんは三人になったかいな?」といきなりきかれた。「いいえ二人目です」「お二人か、もう一人いてもいいの、三人ぐらいはの…」といわれる。
こんどは私が先生にお体の工合をおききすると先頃まで工合が悪かったとおっしゃる。
道場のお祝いを述べ「額」のことをお話すると「それは有難う」と喜んでおられた。
詩はこれです、と持参した詩集「いのり」をお見せした。活字が小さいので、眉をしかめてごらんになっていた。
「五井先生は一つも自分のことを考えないで、よいと思った人に誠を尽される方だ。こういう方はなかなかいませんよ。わしは、どこの宗教にも属していないが、ほうぼうからいってくる。みなわしを中へ入れようとする。しかし五井先生はそうされない。五井先生は本当によいお人じゃ、有難いことです。」とおっしゃって、詩集「いのり」を見ながら、「いのりが一番です。信仰にはいのりがなかったらダメじゃ。これはいいご本だ、他のにも見せてあげよう」と押しいただくようにして、しまわれた。
「ちょっとおしっこにいきます」とことわられて、道場の端にある便所にいかれたお帰りがおそく、道場で先生のお声がするので窓ごしにヒョッとみると、先生は若い者に「これはこうやるんじゃ」と技の指導を熱心にしていらっしゃる。つい今しがた、工合が悪いといっておられた先生とは、まるで違ったお姿である。
「先日の、住友軽金属の田中季雄さんが見えての、五井先生のことをほめておったので、わしも大変うれしかったよ」とおっしゃる。
そして「わしもいろいろの人を五井先生の所に紹介しているよ」ともおっしゃっていた。
「高橋さん、また遊びにいらっしゃい。また新しいことをお話しましょう。雑誌のはしにでものせなされ」
「ハイありがとうございます。よせていただきます。植芝先生は私にとってなつかしい人なんです。」
先生はニコニコしてきいておられた。
「わしは今も稽古するんでえ」何事も永久に修行というからと思っておききしてみると「合気道の稽古をな」とおっしゃる。「稽古をすることが一番楽しいし、らくなんじゃ。ごぜんを食べなさい、といわれ食べることのほうがつらい。今は食べたくないから」というお言葉にグッと胸を打たれ、なんの言葉も返すことができなかった。涙が出そうだった。
(五)
植芝先生が尋ねてくる人に 「わしはいつも五井先生と一緒じゃよ」と見せておられた写真というのは、昨年六月、合気会本部道場にお見舞いにいかれた五井先生と、稽古着をつけて道場にお二人で立っていらっしゃるもの(前述)であろうと推察している。
この時、植芝生はお体の調子が悪く、自分で「もう神様のお召しか」と思った、とおっしゃったほどだった。
植芝先生はなんのおもてなしもできないから、合気の演武をごらんにいれよう、とおっしゃった。 五井先生がお見えになるまで、ふとんに寝ていらっしゃったのに、そうおっしゃる。
五井先生が「マァマァ」といってお止めになるかと思っていたら「そうですか、折角ですからお願いします」とおっしゃった。どういうことだろうと思ったが、それは後程のご説明でわかった。
先生は袴をおつけになるのに、ヨヨロとされて、なかなか足が入らない。お弟子さんに支えられて、やっと道場に出られたというご様子だった。道場に立って、合気道についてお話なさっておられるけれど、声が弱々しく、それにかすれていてききとりにくかった。
が、いざ演武となると、まるで違った。若い者はコロコロころがる。指一本に押えられて動かない。坐っている先生をいくら押しても動かない。首を一ふりされて、バタバタと倒れてしまうしまう。全く素晴しい。息をハアハアはずませては勿論いない。
あとで五井先生は「演武することが、植芝先生の体にかえっていいと思ったから、していただいたんだよ。道場にたつと、道場一杯の光になってしまわれる。だから誰が何をしでもダメなんだよ。宇宙一杯にひろがっている光体の先生を、けし粒ほどの肉体人間がどうして動かせるかね。すばらしいね」とおっしゃった。それで私の先程の疑問もとけたのである。
稽古をつけてもらった内弟子の人に「植芝先生と合気をけいこされて、どう感じますか?」ときいてみた。
「大先生に何か力を吸いとられてしまうよで、力がなくなっちゃうのです。それに何かすごく大きくて、どうしようもありませんね」と答えていた。
(六)
今年三月十六日、植芝先生のお体の工合が悪い、という知らせを受け、五井先生ご名代としてお見舞いに東京若松町の道場に伺った。 植芝先生は大変お喜びになって、「昨日は少したまっていた書を書いての。少しつかれた。わしは二時間ねればいいんじゃ。きのうはちょっと痛んで、一時間ぐらいしかねむれなかった。それではじめて稽古を休んだよ。」とおっしゃった。 ご病気なのに、昨日まで稽古をされていた、とお聞きしてびっくりしてしまった。
「体が痛いといっても、わしはなんともないんじゃ、ちょっと想いをそこからはなせばいいんじゃからな…。五井先生は立派な方じゃ。お礼に伺わなければ・・・・・・有難うございますと、くれぐれもお伝えして下さいよ。」
植芝先生を慕って、合気道こそ武の極致、先生こそわが目標という人がいますと、お話したら、ニコニコ笑っておられた。そのお顔、目はいつものお元気の頃の先生にかわりはない。私はだまってお顔をみつめていた。
いかに体は病んでいても、心は病んでない境地をあらわしていらっしゃる。
「まだまだ、これからが修行じゃよ、これからが本当の合気道じゃよ」とおっしゃっていた。
あまり長居をして、お体にさわるといけないと思い、先生のいやさかを祈って退出した。それから十日程たって、慶応病院に入院された植芝先生を、五井先生は昌美お嬢さんを伴って、お見舞いされたのである。
(七)
「まだまだ修行が足らん」私を評しての植芝先生のお言葉もなつかしく、有難い。
今、植芝先生は神界におわす。五井先生とともにおわす。いや五井先生の中にいらっしゃる。この表現方法は、霊のことを知らない人にはわからないかもしれないが・・・・・・だから五井先生とお会いする時、私は植芝先生にもお会いしているつもりでいる。神そのものとなられて、現に、五井先生のお体をかりて、私をご指導下さっている。「汝、胆あれど気短かし、気を長くして胆を練れ」と。
たかだか八十年ぐらいであろう肉体の私の生涯において、私は不世出の、それも二人の霊覚者にご縁を深く与えられたことは、全く幸せ者だと思っている。前生の因縁によって与えられたこの尊い縁(えにし)を今後も大切にしたいと思っている。
紙数の関係もあって、書きたいことはまだまだあるが、思い出の記はこれくらいにしよう。
以上が高橋さんの「思い出の記」です。
また下は先の写真と共に紹介されていた高橋さんの「思い出の写真」です。
長くなりましたので、最後に上で触れられていた五井先生が植芝先生を讃え、額装して贈られたという詩、「神の化身」を紹介し、本稿を閉じます。
神の化身 ―植芝盛平翁を讃う―
其の人は確に神の化身だ
其の人は肉体そのま宇宙になりきり
自己に対する相手をもたぬ
宇宙と一体の自分に敵はない
其の人は当然のようにそう云い放つ
五尺の小身
八十路に近い肉体
だがその人は宇宙一杯にひろがっている自分をはつきり知っている
如何なる大兵の敵も
どのような多数の相手も
そのまゝ空になりきっている
其の人を倒す事は出来ない
空はそのまゝ天御中主(あめのみなかぬし)
天御中主に融けきったところから
その人は守護神そのまゝの力を出だす
この人の力はすでにすべての武を超えた
大愛の大気のはたらき
鋭い眼光と慈悲のまなざし
その二つのはたらきが一つに調和し
その人の人格となって人々の胸を打つ
その人は正に神の化身
大愛絶対者のみ使人(つかい)
私はその人の偉大さを心に沁みて知っている
もし、植芝先生と五井先生のことをさらにお知りになられたい方がいらっしゃれば以下もお読みください。
今日のブログが読者の皆さんのお役に立つものであれば幸いです。
世界人類が平和でありますように





