2025年は、終戦から80周年の年です。
私は2005年の8月に広島を初訪問。
その後、20年と2か月の時を経て・・
暑さがおさまった10月初旬に、再訪問しました。
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ご存じの方も多いと思いますが、
1945年(昭和20年)8月6日の午前8時15分・・
広島上空を飛行していたアメリカ軍のB29爆撃機が
「リトルボーイ」と呼ばれた、ウラン型原子爆弾を投下。
爆弾は地上ではなく、広島市上空約600メートルの地点で爆発し、
その爆発の瞬間、巨大な熱線、爆風、放射線を発生させました。
原爆投下当時、広島市には居住者、軍人、通勤や建物疎開作業への
動員等により周辺町村から入市した人を含め約35万人がいたようです。
爆心地の近くで被災された方は即死、または数日以内に
亡くなられたり、後遺症などで何年も何十年も苦しめられてきました。
1945年末までに亡くなった人は、約14万人と推計されています。
8月9日には、長崎にも原爆が投下されました。
そして8月15日、日本のポツダム宣言の受諾が国民に公表され、
この日が日本の終戦の日となりました。
時は過ぎて2024年12月、
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が
ノーベル平和賞を受賞されました。
しかし、いまだに世界のどこかで戦争が絶えない地球。
「自分の国と国民を守るため」といった言葉を建前に、
核爆弾を保有している国々。
こういったニュースたちをTVなどで観ていて、
改めて自分に「平和について考える」ために、
平和記念公園のエリアを訪れてきました。
今回は「本編」として、JR広島駅到着後から
平和記念公園エリアの散策記録を紹介しています。
皆さんも一緒に散歩していきましょう!
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広島駅・新幹線ホーム
新大阪駅から乗車した新幹線が、無事に広島駅に到着。
ちょうど「広島行き」だったためか、運よく窓側の
席を確保することが出来ました。![]()
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新幹線を降りて、帰りのきっぷを買ったあと、
さらに3分ほど歩いていくと・・![]()
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広島電鉄・広島駅電停
広島電鉄の広島駅電停に到着しました。
2025年8月3日、「駅前大橋ルート」が開業し
路面電車が広島駅ビル2階(ここ)から発着するように
なりました!
写真に写っているのは3900形、愛称:グリーンライナー。
偶然にも、11時11分のゾロ目時刻に撮影出来ました!
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写真撮影のあと、
の折り返し便である
「宮島口」行きに乗車すること約15分で・・
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広島電鉄・原爆ドーム前電停
無事に到着しました!![]()
広電・原爆ドーム前電停のとなりの車道を渡ると
20年前の訪問時と変わらない光景が目の前に・・
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日本人観光客も、外国人観光客も、皆が思わず
言葉をのみこみ、しばし無言で建物をながめます。
次から次へと人が行きかっていて、なかなか
主役だけを撮影出来ません。![]()
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周囲を見渡すと、右手側の少し離れたところに![]()
案内板
周辺地図をしばらく凝視・・![]()
この時、ようやく「広島駅に着いたときに、
原爆ドーム周辺の無料の観光マップをもらうのを
忘れていた」という事に気が付いたのでした![]()
実は私は慣れない土地では道に迷いやすいんで、
現在地と、どっちの方向に行けばいいのか?を
じっくりと脳に書き込みました。![]()
色々と考えた末に最初に向かったのは、すぐ近くの・・![]()
相生(あいおい)橋
少し前に乗っていた広電がこの橋の中心付近を走ってます。
なので、「電車が橋を渡るところを写真に撮りたい
」
って思ってカメラを構えてスタンバってましたが、
電車よりこちら側を車がビュンビュン走ってたり、
街灯の支柱が電車より目立ってたり・・で惨敗![]()
なので、早々に思考を切り替え、次の映え構図探し。
まもなく「そういえば・・
」とひらめいて、
相生橋の上に移動して、そこからパチリ!
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いい感じに撮れました!![]()
ちなみに、後で訪れる平和記念資料館の中の
展示の中で、原爆の投下目標地点は相生橋だった
という事を知りました。
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撮影後に再度、場所移動しまして・・![]()
原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)
相生橋の上空で原爆が爆発したことにより、奨励館も
一瞬にして廃墟になってしまいました。![]()
原爆ドームの案内モニュメント
建物の中に目を向けると、「まだ人がいるんじゃ?」
と思えるような、不思議な空気が感じられました。
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モノクロでも撮ってみました。![]()
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原爆ドームの撮影に区切りをつけて、次の場所に向かいます。
三
元安川(もとやすがわ)と元安橋
橋を渡った向こう側は「平和記念公園」です。![]()
公園内で最初に目に飛び込んできたのが![]()
動員学徒慰霊塔
被爆当日、市内で建物疎開作業を行っていた国民学校高等科以上の
生徒、約6,300人が犠牲となりました。
また市内の各事業所に出ていた多くの学徒も犠牲者となりました。
この慰霊塔は、遺族による募金によって建てられました。
高さ12メートルの5層の塔は有田焼の陶板で覆われ、
一番下には、尾道市出身の彫刻家、円鍔(えんつば )勝三氏が
制作された「平和の女神」像
が飾られています。
案内標識
デジタル化やAI化の波にも負けない、純アナログの
案内標識は、思った以上にたくましいようです!
の奥に少し写っているのが![]()
原爆の子の像
2歳で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子(さだこ)さんの
死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め
平和を築くための像をつくろうという運動が始まりました。
運動は全国的な広がりを見せ、約3年後の1958年5月に像は完成。
頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、
平和な未来へ夢を託しています。![]()
塔の内部には、少年少女たちの気持に感動した
ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による
「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を
模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、
風鈴式に音がでるようになっています。![]()
(この鐘と金色の鶴は、2003年に複製されたものです。)
原爆の子の像の周辺には、折り鶴を捧げられるよう
「折り鶴ブース」が設置されていました。
原爆の子の像を撮影した後に、後ろを振り返ると![]()
平和の灯と平和記念資料館(本館)
思った以上に広くかったので、だいぶ後ろに下がって
場の雰囲気を撮影しました。
撮影後、もう少し向こう側に移動して・・![]()
平和の灯と平和の池、原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
この日も、写真中央に写る「平和の灯」は
力強くメラメラと燃えていました。![]()
の池の向こう側の、慰霊碑の向こう側にまわって・・![]()
平和の灯、平和の池、原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
さらに慰霊碑の花の前に行って・・![]()
手を合わせ黙とう![]()
をささげた後、
撮影させていただきました。![]()
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そして、後ろを振り返り・・![]()
平和記念資料館(本館)
の建物の下に行くと「入口はこちら」と![]()
平和記念資料館(東館)
ネットで事前にチケットを購入できるようです。
私も当日朝にサイトにアクセスしてみたんですが、
カード決済とかが面倒だったので諦めました。
そうした経緯から資料館の入館は無理なのか?
と
思ってましたが
よっぽど満員などの場合を除いて、基本的に当日券も
購入は出来るんですね。![]()
・・で、機械で当日券を購入し入館。
約2時間かけて、展示資料を鑑賞させていただきました。
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本当はもう少しゆっくり見学していたい気分でしたが、
新しく入ってくる情報量に対し、私の脳の処理能力が
追いつかずに「モウムリデース!
」と
言ってきたので、今回の勉強会は終了。
平和記念資料館(本館)
資料館を観覧後に、あらためて本館を見ると・・![]()
戦争で亡くなった方々の魂が静かに眠っている感じがして、
まるで建物が「大きな棺(ひつぎ)」に見えてきました。
(悪い意味ではなくて)![]()
そして資料館から原爆ドームの方を見ると![]()
修学旅行生やら校外学習の小学生やら・・・
観光客がいっぱい!![]()
彼らはこれから資料館に行くみたいです。![]()
この他の場所も、午後からは、どこを見ても
人がいっぱいになっていました。![]()
そして公園内を歩いて![]()
原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)
元安川越しの原爆ドームを・・・![]()
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カラー・バージョン
と、
モノクロ・バージョン![]()
このあと、再び広電・原爆ドーム前電停に戻り、
JR広島駅から新幹線で帰路につきました。
三![]()
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平和公園エリア内も、まだ見れてない所が
たくさんあるんで、また訪れたいなと思いました。
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また、広島訪問日の行きと帰りの様子を
「広島へGO! (鉄道編)」として、そのうち
公開する予定です。(現在制作中)
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おしまい





























