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このコーナーは、私が東海道五十三次を
京都から江戸(東京)に向かって、
ちびちびと歩いている記録を、
文と写真でつづっています。
まずは「(徒歩で)日本橋に到達する」を
目標に掲げて、頑張っています!
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私の東海道旅は「広重の浮世絵作品」を
キーワードとしています。
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これまでの旅の記録は、メニューあるいは
こちらの目次 をごらんください!


三 ![]()
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ちょい和・東海道編です!![]()
今回は石薬師宿から四日市宿を歩きます。
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まず移動ルートを確認しましょう!![]()
< 前編のおおまかな流れ >
①石薬師宿・本陣跡
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②石薬師宿・北の入口
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③采女(うねめ)一里塚跡
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④ポケットパークと内部(うつべ)橋
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➄あすなろう鉄道・内部駅
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⑥小許曽(おごそ)神社
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⑦追分(おいわけ)駅
では、本編をどうぞ![]()
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日時:4月26日(木) 天気:
時々![]()
四日市宿へ、いざまいらん!

青と水色の中間のような、清々しい空を見ながら
足を進めていきます。

所々に見かけた歌かるた。
道路の右側に目を向けると・・

民家の塀に、江戸時代の石薬師宿の様子を
垣間見ることが出来ます。
前回訪問した大木神社(奥)

・・を通り過ぎ、

もうそろそろ石薬師宿の端かな?

足を進めていきます。

道路の右側に目を向けると・・

民家の塀に、江戸時代の石薬師宿の様子を
垣間見ることが出来ます。
前回訪問した大木神社(奥)

・・を通り過ぎ、

もうそろそろ石薬師宿の端かな?
またの名を「延命地蔵」
。
出発からの距離は600m、時間は10分。
誰が建てたかは不明、と案内板に。
旅の安全を願い、手を合わせておきます。
さらにすぐとなりに目を向けると、
途中、地下通路を利用して道路の反対側に渡り
さらに10分ほど歩いた所の交差点で、
信号機の横の標識に目をやると


この時点で、出発からの距離はちょうど2km、
歩行時間は29分です。
しか〜し、ここからが長かった・・
ガイド本で事前勉強した時に、この先に
「采女一里塚跡」があるとの情報アリ。
一里塚(いちりづか)とは、江戸幕府が
東海道を整備した際に、道中の目安となるように
東海道を整備した際に、道中の目安となるように
街道沿いに一里(約3.9km)ごとに設置した塚の事です。
見つかりません
周囲の木々が少なくなってきた頃、道路は下り坂にさしかかり
木と木の間から四日市の工場の煙突と街並みが見えてきました!
「四日市コンビナート」と「四日市ぜんそく」について勉強した事を
「采女の杖衝(つえつき)」というモナカが人気だそうです。
ここで衝撃の真実が発覚!

ガイドマップによると
の菊屋さんが見えた時点で、
采女一里塚跡はとっくに通り過ぎており、
血塚社、杖衝坂、うつべ町かど博物館の3つの
チェックポイントも見逃してしまった、という事でした。


とはいえ、先はまだ長いので、気を取り直して
足を前に進めていきます。
橋を渡り、普通の民家の間を歩いていくと
右手側に駐車場と、ミョーに空間が・・
この鉄道は以前、近鉄線でしたが2014年3月に
第三セクター鉄道として四日市市が運営する形で
再始動したそうです。
第三セクター鉄道として四日市市が運営する形で
再始動したそうです。
(逆光になったり)
おかげで、私の様な東海道ウォーカーも
出発からの距離は約6.2km。
写真の左端を見て頂くと分かりますが、
小古曽と小許曽の2種類の表記がある様です。
写真の左端を見て頂くと分かりますが、
小古曽と小許曽の2種類の表記がある様です。
この違いについて、解説をネットで見つける事は
出来ませんでした
この小許曽神社は、「延喜式(えんぎしき)内社」との事。
平安時代、醍醐(だいご)天皇は延喜5年(927年)に
全国の官社を記載した神名(じんめい)帳を
編さんされました。
全国の官社を記載した神名(じんめい)帳を
編さんされました。
その神名帳に名が載っている神社は
「延喜式内社」と呼ばれています。
つまり延喜式内社は、千百年余りの歴史がある、
という事ですね
追分駅がありました。![]()
出発から1時間39分、距離は約7.3kmでした。
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ここで一旦、休憩です。
後編は、この追分駅を出発して、
四日市宿に向かいます![]()
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