ご無沙汰です。

最初に、この夏の異常気象で、亡くなられた方々の御冥福をお祈り致します。

当方も東日本大震災で被災に遭い、未だ復旧半ばというところですが、同じように被害に遭われた方々のニュース等を見ますと、胸が痛みます。

ただ、これからは幾分涼しくなると思いますゆえ、過ごしやすくなるかと。健康にご留意頂ければと願っております。

 *   *   *

輸送流通の当方の仕事も、夏場の繁忙期を抜けて、ようやく落ち着きを取り戻しつつあり、少しホッとしています。

夏場の身体を回復させるのは、もう少し時間がいるかな、と思います。

「ラボラトリー」という名称があるのに、重い文面では申し訳ないので、今回は、この時期に聴きたくなる楽曲を数曲、当方なりの独断と偏見の意見での講釈になります。失礼な表現もあると思いますが、ご容赦下さい。

あくまでライトで、私的な感覚での紹介ですので、大ファンの方々の厳しい意見は、多分にご容赦頂ければと思います。

先ず、今回の文面の題名になりました、「夏の終わり」です。

これは、森山直太朗さんの楽曲ですが、やはり、失礼ながら「カエルの子はカエル」の凄さを感じました。

直太朗さんは、あの森山良子さんの息子さんであり、そして、母・良子さんには、「さとうきび畑」という名曲があります。

曲の詳細はここでは語りませんが、「戦争反対の鎮魂歌」としての想いがあることは周知の事実です。

ここまで語れば、勘のいい方ならお分かりかと思います。

あの名曲「夏の終わり」は、この「さとうきび畑」の延長線上にある気はしますが、ある意味で、母が出した曲に対しての、息子なりの「アンサーソング」だったのかも知れない、と。

あの「夏の~」は、女歌だと思います。

例えば、80代近い女性の方が、8月15日の終戦の日、旅立った夫を偲んでいる心情であったり、例えば、航空機事故で亡くなられた遺族の方が、やはり犠牲者の方々を悼む心情であったり、何か、この世から旅立った方々を想う気持ちが込められている楽曲として聴くと、かなり気持ちが揺さぶられる想いに駆られます。

当方は戦争を経験してはいません。しかし、東日本大震災という、戦争にも匹敵する状況を体験し、たくさんの方々が犠牲になりました。そして、その傷は今も癒えていません。

この曲を聴いて、時に涙が出るのは、そんな想いが溢れるからかも知れません。

続きます。
ご無沙汰です。

前回から1ヶ月、状況はあまり変わっていません。

前回は、勢いも手伝いまして、あのような文面になってしまったのですが、自分のチカラだけでは、「カイゼン」は難しいです。

社内に、解決に際しての最大公約数的な方向性を持つ、学習グループを立ち上げ、役割分担を明確化し、組合に認知を貰い、問題点を洗い直す形にしないと、「カイゼン」は難しいと思います。

「そこまで分かってて、じゃあ、貴方がやればいいのに」と思う方の意見があると思います。

でも、これは本当に難しいことです。何故って、人によって、役割分担は、向き不向きがあり、向いていない事をやると、大抵は失敗に終わる状況がほとんどです。

リーダーにはリーダーとしての資質が絶対必要です。そして、時にはフォローし、時には戒めるサブリーダーも必要不可欠です。

船頭は1人でいいのです。最終決定をする重要な立場を担い、全員を従わせるだけの信頼感があることこそ、キャプテンの役割があると思うからです。

でも、これは本当に難しいことです。何故って、人によって、役割分担は、向き不向きがあり、向いていない事をやると、大抵は失敗に終わる状況がほとんどです。

自分は、そこにはたどり着けないと思います。サッカーや野球を見ると分かると思いますが、ポジションには、それ相当の難しさがあります。野球の内野手が、外野手にコンバートするのが、どれだけ大変なことか。逆もまた同じです。

自分の持ち分を、組織でどう生かしていくかは、永遠のテーマになると思います。

次回は、そんな話を少しずつ出来ればと。

ではまた。
一年振りです。
かなりご無沙汰になりました。先ずはお詫びを。

当方の輸送流通の職場でも、ドラスティックな展開がかなり続き、気が遠くなりそうな心情があり、文章を書けなくなった遠因になったからかも知れません。

職場の統廃合に伴う、整理のあり方や、新規開拓の新事業に当たっての、人員確保の方法論の無計画。

それに、本当であれば、部署を越えるプロジェクト無しに、大きな事業は成し得ないのは分かる筈なのに、それぞれの部署で、互いの立場を考えない方針と、縄張り争いにも似た主張が、弊害と無理解を生んで…。

方向性の不一致が、ここまで違ってますと、いかんともし難いような…。

続きます。