先週、父が亡くなりました。
91歳でした。
去年母が亡くなってから、食が細くなり、夏からはほどんど食べていなかったんじゃないかな?
体が欲しなくなったのでしょう。
体を保つことが難しくなり、病院に入院と思ったのですが、調べると、どこも悪くない。
貧血もでない。
糖尿でインスリンを打っていたけど、食べてないから打つ必要もなく。
薬は、一つも必要なかった。
ということで医療処置ができずに入院不可。
自力で生活することができなくなっているのに・・・支援を受けるまでかなりの時間を要することが判明し。
父は、今の介護制度への不満たらたらでした・・・
ようやく病院に入院しても、
「他のボケ老人と一緒にするな!!個室にしろ!!」と板書。
もちろん叶うはずがないのですが、
ポータブルトイレも断固拒否!
先生によると、転びながら、這ってでも自分でトイレに行っていたそうです。
その方が逆に迷惑になるのですが。
父としては、下の世話になってまで生き延びたくはない!という人でしたので、
最後、オムツにしなければいけなかった時はどれだけの屈辱だったことかと思います。
それでも、なくなる10分前まで、意思表示をし、またね。と手を振って。。。。
眠るように亡くなったと言います。
私は父が亡くなってから知ることが多くて、、
父の自慢を書いておこうと思います。
父は、戦後、今の国土交通省、国土地理院にて測量士として働いていました。
新田次郎が書いた、「剣岳 点の記」では山形県尾花沢市出身の測量官、柴崎芳太郎がモデルとなっています。
柴崎芳太郎は、山形で第1番目の測量官でした。
父は山形で第5番目の測量官ということになるそうです。
測量官には冠文字があり、父が測量した所は、「均」という冠文字が付いているようです。
私は門外漢なのでわからないのですが、公文書に残る大変名誉なことだと聞いています。
その後山形で測量会社を設立。
今は、次男の兄がその会社を継いでいます。
私が知ってる父は、破天荒、
昔、、病院に検査入院した時、テレビの映りが悪いからと、勝手に電気屋を呼び、その部屋専門のアンテナを上げさせました。
退院したらどうなるの?
と聞いたら
「プレゼントフォー・ユーよ」
それから、入院しているのに、なぜかゴミ箱にビールの缶が・・・
看護師に問い詰められ、
「さっき見舞いに来た客が置いて行ったんだ」としら〜〜〜としていたり。
胃がんの手術直後に
「うなぎ買ってこ〜〜い!」と(買う母も母ですが)
うなぎを食べて傷口がむくみ、大変なことになったり。
ま、いろいろと大変な方でした。
空気なんか読まず、自分の好きなことやりたいことをやり通してきた人生だったんじゃないかな?と思います。
体に悪いことばかりして、ダメといわれてもやって、
がんになってもそのあと20年再発もせず、死ぬまでボケもせず、
自分を貫いた人生だったんじゃないかなぁ・・・
そう考えると、
体にいいとか、悪いとか。
意識次第でひっくり返るものなんだ!
と全身で教えてくれていた気がします。
そんな父が書いていた書
「法律を少しやぶってたのしい人生」
「人間一生酒一升 あるかと思えばもうないよ」
父らしいな・・・