今回は静岡県島田市にある諏訪原城。
徳川と武田軍で取ったり取られたりした攻防戦の最前線であったところだ。

東名高速の島田金谷ICを降りて、車を約10分ほど山道を走らせると諏訪原城にたどり着く。

まず高速を降りると左手に大井川鐵道が見える。SLを走らせたり、機関車トーマス号が実走したりする非常に観光客に人気の路線だ。

ところで機関車トーマスの顔はリアルすぎて子供たちは怖くないのか、とつくづく思う。人面魚ならぬ人面機関車。
自分が子供だったらリアル過ぎて泣いてしまいそうだ、だから僕らの時代は「やえもん」だったかも知れない。あぁ、ボクらの時代の心優しい大人たちに感謝したい。


峠道を走らせる途中で小さな看板が左手に見える「諏訪原城入口」。ずいぶんと小さくすす汚れている。どうやら搦手口らしい。
Googleマップ先生はまだ先を示しているので、ここはスルーし、先を行く。

分かれ道を左の脇道に入って行くと、すぐに諏訪原城の入口にたどり着いた。わかりやすかった、ほんとに℃-uteやJuice=Juiceが武道館にたどり着く、わずか2000万分の1くらいの労力しか使っていないし、彼女らのような努力もドラマもストーリー性もないのにボクは諏訪原城に着いた。彼女らに申し訳ない。

4-5台のアスファルト舗装の駐車場に停め、ビジターセンターなる資料館が目の前にあり、管理している初老の男性と目が合うが、ここはまず城を攻めたいので、一瞥し、城へ向かう。

静岡らしい茶畑の脇を通るとまもなく、順路という看板が目に飛び込む。

決められたレールに従うのはロックではないので決められた順路とは無関係に、先程入口で拝借したガイドブックの縄張り図を見ながら、自分なりに城を攻めることにする。なんとめんどくさいやつ。

諏訪原城は武田氏の築城であるが故、まず大きな三日月堀が歓迎してくれた。堀は草木があるが、深さ、大きさが伝わり申し分ない。
ほぼお隣とも言える丸子城(まりこ城)の三日月堀より一回り大きいだろうか。




東海道に面しているのでここの丸馬出は第1の防衛ラインになるのだろう。
三日月堀の先はこの城の名の由来となった諏訪神社がある。神様に訪城のご挨拶として参拝を行う。


後日また記述するが、万の軍勢に攻められ半日で落城した、ある城を訪れた際に怖い思いをした経験がある。
それ以来、そのお城に社があった場合は必ず安全祈願と見学させて頂く感謝の気持ちを神様に祈るようにしている。

そういう歴史ある城には見学させて頂くと言う謙虚な気持ちと、その時代に生きた人々の気持ちに思いを馳せることも大切にしている。


某中島卓偉先生のお城へ行こう、の中でとあるお城を訪れた際に番組最後にぼそっと「ここは1人で来ない方が良いですね」と呟いた回があり、かのパンクロッカーももしかしたら武者の魂にゲッザファッカウと言えなかった経験があったかもしれない。

話は戻るが、
諏訪神社での参拝を終え、第二郭へと続く土橋の両側にこれまた深い空堀が待ち構える。
ここが第二防衛ラインなのだろう。
ここを抜けた二曲輪と三曲輪は連結曲輪となっており、実に広い。




この連結曲輪は屋敷跡だろう、1段高いところは身分の高い者の屋敷跡だろう、なるほど、こちら側の方が馬出しの二重堀で守られ、裏手が崖で攻められ辛い。

戦国の世は余程のことがない限り、民衆を虐殺したりしない、領主の首を如何に取るかという戦術となる。
何故、相手の領土を欲するかと言うと、その領地の穀や資産が欲しいからである。1500年過ぎると地球レベルで小氷河期に入り、日本のみならず、欧州や北米でも干ばつや飢饉が多発し、内戦や侵略が多発している。
室町の執権争いを発端とする応仁の乱から始まる戦国の世であるが、15-16世紀の気候変動が背景にあることも忘れてはならない。

故にその地の民の反感を買い、士気が下がって生産性が下がり、徴兵や租税が取れなければ意味が無い。
その辺に頭が回ったのが楽市楽座を行った信長公であり、義元に信玄公に北条五代であったのだが、また後述。

さて、3の曲輪から本曲輪へと伸びる犬走りを抜けると家康公が臨んだ島田市金谷の風景が拡がる。
この風景を臨み、家康公は糞まみれで命からがら灰陣を喫した三方ヶ原で武田氏から受けた屈辱を晴らすべく、大井川補給包囲網を完成させたものの高天神城をじっくり落としたかとイマジンする。

この本丸跡には小さな石垣があるのだが、保護指定受ける近年まで茶畑となっていた名残であり、遺構でもないので写真に収めても仕方ないので注意して頂きたい。

ここの見所は武田氏が築いた馬出しが4-5所あり、その前方に深くて大きい空堀があり、この丸馬出しが後の「真田丸」の元となる。
曲輪は曲線を描いた方が死角が減り防衛しやすい。
その遺構を雑草や木を切り、見やすくなっているので実にわかりやすい。

さすが、中島卓偉がゲスト出演した春風亭昇太師匠のラジオでも師匠がおすすめした城である。


帰りにビジターセンターに訪れ、先程の初老の男性から説明を聞く。本丸の茶畑の話はここで聞き、武田氏の築城技術を元に、取り返した徳川氏がさらに防衛ラインを強化した話を聞く。
余談として昇太師匠がお付の者と訪城した際に、「師匠、ここ前も来たじゃないですか。他の城見た方が良いんじゃないですか?」に対し、「良い城ほど、何度も見て再発見があるからな」と仰ってたとのこと。

本当にその通り、空堀にあるカンカン井戸が草木が生い茂り過ぎて堀に降りれなかった。

あぁ、草木が枯れる秋深まる頃にもう一度訪れたい、遠いけどもだけどもう一度、それでももう一度。。。











深沢城

JR御殿場線の御殿場駅より徒歩30分くらい!? 基本徒歩で行くのはお勧めしない。

知らない道を探索する時は楽しいので行く時は時間を感じないが、如何せん何も無いので帰りがツラい。


タクシーを呼ぶのにも知らない土地で呼ぶのは気が引ける。いや、場所を説明するのがめんどうくさいのか? 


道中にファミマやセブンイレブン、ウェルシアなどのお店に出会うが半分の道のりは田舎道である。
実に退屈だ。

車だと東名御殿場インターより15分もあれば着く。ただし、駐車場は無い。
停めるとすれば城の入口と隣の民家のわずかな隙間に停めるのみ。
勿論、3ナンバーの高級車や大型のRV車などで停めるものなら道を塞いでしまう、とんだ迷惑者になるのでそういう車で来ることは避けたい。


そんな細い路地に囲まれ、ひっそりとこの深澤城は存在する。

 




深沢城は今川氏が建てたと言われるが義元が桶狭間で倒れた後、武田信玄が駿河東部に進攻時に占拠。

北条氏、再び武田氏、武田滅亡後は徳川氏が対北条氏の所領となっている。

 

全然世に知られていない城なのに、実に取ったり取られたりを繰り返されている人気者だ。

 

顔がかわいいわけでもなく、目立つ子じゃないのになんとなく愛想が良くて、ちっちゃくて、密かにもてる子ってクラスにひとりくらいいるじゃない。そういう子だ。

今のモーニング娘。で言うとまーちゃんや真莉愛ちゃんとかじゃなく、どちらかと言うとよこやんかも知れない。いや、横山玲奈はかわいいよ。かわいいと思えるが、例えが悪い。これぞ策に溺れるってやつだ、まさに桶狭間の今川義元かも知れない。


(無理に同意は求めない)




 

さて、話はもどるが、現在は三日月堀や丸馬出しが確認出来る。

 

三日月堀の後ろに三の丸があるのだが、この三の丸というと現在民家の敷地となっており、二の丸も私有地。この城の縄張りの半分以上は私有地である。

これは城址あるあるである。

(後日触れるが、韮山城の三の丸は隣接する韮山高校のテニスコートになっている)

 

 

丸馬出を見学に行くには三の丸の脇になる歩道を通るのだが、この歩道に足を踏み入れた途端に民家の飼い犬に吠えたてられる。

この犬は北条氏に仕える風魔の忍者犬の末裔か? 

 

もしも忍者犬ならちくわでもあげておけば大丈夫かもしれない。

(ハットリくんの獅子丸かっつーの)

 

 

吠えられてもここはささっと通過し、見学を続けたい。続けるやつメッチャストロングとかの中島卓偉も歌ってるし、オーディエンスも声が枯れるほど歌わされる、いや、きっとたぶんおそらく自発的に歌っているの間違いだ。

 

 

 

見どころといってもわずかに残る「堀」と「馬出」と入り口にある小さいながら深々と掘られた「三日月堀」だけである。




 

時間はわずか1時間も見てられないだろう、20分程度でささっと見学を終えて、4畳にも満たない小さな駐車スペースに停めた車を移動させるのがマナーであろう。

 

ここからは足柄城や葛山城に長久保城と車で30分ほどのエリアに戦国時代の城址は点在しているので、速やかに次の城へ詰めるのがお勧めだ。

 

 

 

ちなみに御殿場のご当地は「みくりやそば」だったりするのだが、最近はハンバーグのさわやかだったりするが、平日でも3-4時間、夏休みとなると7-8時間待ちとかざらなのでここは避けたい。さわやかならば、長久保城からほど近い長泉店や興国寺城に近い沼津のさわやかのほうが比較的に空いているのでそちらを利用するのが得策だ。

 

個人的にはハンバーグを食べるのに何時間も待つのが理解出来ないので、さわやかなるものに足を踏み入れたことはない。

食べたことのないものを進めるなんてちっともロックじゃないといわれても、さわやかはさわやか五郎だけでおなかいっぱい。

 

 

それがぼくのやりかただから。Yes,MyWAY。


#中島卓偉 #城マニア #深沢城 #モーニング娘

 

 

 

 

 

 

中島卓偉というミュージシャンに出会ったところから私のお城マニアのキャリアはスタートした。

まず、中島卓偉という人物がどういう城マニアなのか説明する必要があると思われる。


中島卓偉とは日本のパンクロックミュージシャン、キン肉マンやシティーハンターやドラゴンボールで友人達が熱く語る小学生時分、中島卓偉は英文科教授を勤める中島顕治先生が父親であるが故か、ビートルズが流れる家庭で育った。幼き頃から兄と父親と車で全国各地を旅して回る中、「お城を見る」ことが兄弟の中で日常のレジャーとなっていった。

そんな中島卓偉が出演する月いちレギュラー番組,TVK「中島卓偉のお城へ行こう せーのキャッスルキャッスル!!」というやたら長いタイトルながら見たこともない人からしたら「ブラタモリ」みたいなお散歩番組か!? と当たらずとも遠からじのような反応しか頂けない、実に謎番組のひとつであろう。


ただこの番組には意外も意外、ぼんやりTVKを見ていたら緩さ故にハマった東京や神奈川住みの視聴者はなかなか多く、極一分に愛されている長寿番組である。

女性アイドルの老舗ハロプロをメインでマネジメントを行っているアップフロントエージェンシーのグループ会社のアップフロントプロモーションに属する中島卓偉が故、非常にハロプロファンに彼の「城マニア」は知られている。

芸能界のお城マニアと言えば春風亭昇太師匠であるが、この中島卓偉もなかなかの筋金入り。

「中島卓偉のお城へ行こう…(略)」で紹介される城はなんといっても半分以上「建物が出てこない」のだ。一般的にお城と言えば、姫路城や名古屋城のような天守閣聳えるものをイメージするが番組内ではほとんどそういうお城は紹介されない。

番組始まって間もなく、小田原に行くのだが、小田原城は5分程度で特に説明なく終了、城の天守閣に登り、そこから見える(いや実際はただの山しか見えない)石垣山一夜城に行ってしまう。番組の半分以上、石垣山一夜城の説明となっている。

この石垣山一夜城は一般人からしたら、ただの山の頂上にある崩れた石垣があるただの小山である。
天守閣や建物すらない。

人工物であるのは「竪堀」「本丸」等書かれた立て札と小田原市教育委員会と観光協会の立てたお城の詳細の大きな看板。

そんなただの山の中を歩き、基本「カメラには中島卓偉の背中と、土と木しか映らない」「スゲー」がセリフの半分くらい占めるおかしな番組。

少し禿げたメガネをかけたひょろ長いスーツ来たおじい様(※誰のことかわかる人にはわかる)が画面に出てきてタラタラ説明しない。

そんなのはちっともロックじゃない。


中島卓偉はロックミュージシャンだから誰にでも分かるように短い言葉でその凄さを伝える、堀の深さも何メートルとか言わない。とりあえず歩く(※これを堀ウォークと言う)

歩いて深さと角度は身体を使って視聴者に伝える。

こりゃすげーと思ったらガラケーで写メを撮って、(※その行為を「炎のガラケー(ショット)と呼ぶ」)思わずカメラに収めたくなるその感動を視聴者に伝える。

番組の最後はご当地グルメで反省会、締めの言葉は「これが仕事だなんて!!」とにやけて笑顔で終わる僅か実質10分程度の番組。(※グルメと言うほどの物は食べない。ラーメン、おやきやまんじゅう、ソフトクリームにお茶やみかんジュースの時もある)


そんな中島卓偉に影響され、私もこりゃ行ってみようと思い立ち、しらべてみると住んでいるところが後北条氏と武田信玄に今川義元が領地を奪い合った地ということもあり、城だらけ。

自分の城のメモを残したいところもあり、今回城マニアのブログを立ち上げようと思いました。

まずはプロローグとして、次は今まで見てきたお城を紹介していきたいと思います。