「起きる事象全てに意味がある」


そう信じたい気持ちもあれば、

そうではないと思える気持ちもある。


起きる出来事など、なんら意味はないのではないか?

世界はいつもあるがままなのではないだろうか?


ただその出来事を私たち人間がどのように捉えるかで、

初めてそれらの出来事は意味を持つ。


単なるなぐさめの妄想や想像というわけではなく、

人が捉え方を変え、意味を持たせることで、

その人の中で何かが変わる。


そしてその変化はやがて世界に影響を及ぼし、

世界もその在り方を変えていくのではないだろうか?



出来事そのものに意味があるにしても、

捉え方で初めて意味あるものになるにしても、

とにかく意味のある世の中であってほしいと思う。

これは安否不明の方のお話。

奇跡が起こることを祈っています。




今回の津波に呑まれたある町で、

多くの人々を自らの声ですくった人物がいる。


皆もご存じではあると思うが、津波警報を

最後の最後まで放送し続けたある女性の話である。


彼女は自らが津波に呑まれるその寸前まで自らの使命を

全うした。


放送のおかげで逃げることができた人々はこのように

言っていたという。

「冷静で、聞き取りやすい声だった。あの放送のおかげで

ちゃんと逃げることができた。」と。


彼女が自らの危険を省みず、最後まで懸命に放送し続けた

からこそ多くの人々が救われたのは紛れもない事実だ。

英雄と呼んでも差し支えないのではないだろうか?



しかし、私はこう思う。

彼女には逃げて欲しかった。

そして生きて欲しかった。


確かに大勢の人間を救ったその行為は素晴らしい。


しかし、彼女の人生はどうなるのか?

彼女が今後歩むはずであった、苦難と幸福に満ち満ちた

その人生は他の誰でもない彼女の物語であったはずだ。

誰もその代わりにはならない…。


彼女は今年の9月に結婚式の披露宴を行うはずだった。

テレビでは婚姻届を嬉しそうに持ちながら、満面の笑みで

幸せそうにしている彼女の写真が紹介されていた。

本当に、本当に幸せそうだった。

しかし彼女の笑みはもう見られない…。




自己犠牲とは、果たして本当に美徳だろうか?

時と場合にはよるのかもしれないが、

自分の人生を精いっぱい生き抜くこと、

泥まみれになりながらも、時には誰かに憎まれながらも、

自らの人生を精いっぱいに生き抜くこと。


これも自己犠牲に匹敵する、いやもしかしたら

それ以上の美徳ではないだろうか?



私も気持ちの整理がついていないので、

彼女の取った行動が正しかったのか、それとも否かは

判断が付かない。そもそも賛否両論の問題だと思う。


しかし、私は彼女に生きていて欲しかった。

生きて、ともに愛する人と手をつなぎ、

苦難と幸福の人生を、その命尽きる最後の時まで

全うしてほしかった。



彼女の人生を返してやってほしい。



安否不明の彼女が、なんらかの奇跡で

助かってくれていることを祈っている。



※私は彼女の知人ではありません。

しかし、何か感情移入してしまうものがあったので

私個人の感情を含めながら書かせていただきました。

ご家族やご友人の方々が不快に思われる表現などが

ございましたら削除いたします。

その際はご一報ください。

今回、多くの人々が地震の影響でさまざまな別れを余儀なくされた。


短期的な別れ、長期的な別れ、生涯の別れ…。


それぞれの別れにそれぞれの悲しみがあることだろう。



私もまだまだ短いこの人生において様々な別れを経験してきた。

生涯の別れも少なくはない。

占いはあまり信じないのだが、その類の先生に

「あなたは別れや、喪失によって人生から何かを学ぶ人」

と言われたことがある。


それが本当だとすればあまり嬉しくはない…。


しかし、別れや喪失から何かを得るというのはすべての人に

言えることだとも思う。もちろん、それらの出来事をどのように

捉えられるかで得られるものは大きく違ってくるだろうが。


しかし、得られるものがあるとは言っても、やはり別れと言うものは

いつも悲しみをおびている。悲しみのない別れなど

存在するのだろうか?


今、私自身もある別れによってとても心を痛めている。

おそらく生涯の別れとなるだろう。その人に会えることは

もはや永久(とわ)にない。


辛い。とても辛い…。


しかし、それでも私はこう思うのだ。

この出来事にも必ず意味がある。意味に満ちている!

起きる事象全てには必ず意味がある。


人は出会い、別れ、そしてまた出会い、また別れる。

そのすべての出会いと別れには必ず意味がある。

そもそも、出会いというものは別れも含んでいる。

出会いがあるから別れがあり、別れがあるから出会いがある。


出会いという偶然。偶然という必然。

別れもまたしかり。

私はこの別れから何かを学ばなくてはならない。


まだ本音半分、強がり半分ではあるが今は次のように考えている。

「この出会いにありがとう。そしてこの別れにありがとう。」


正直今日の文章を綴っているのは、自分の気持ちの整理が

したかったからだ。見えない心を、文字という見えるものにすることに

よって、自らを落ち着かせようとしている。



最後にある人の言葉を思い出した。

その言葉でこの文章を結びたいと思う。



人は人生において

出会うべき人には必ず出会わされる。

それは

一瞬早くもなく…

一瞬遅くもなく…