東京の端っこ在住。
22才の船員兼通信制大学生長女を筆頭に、専門学校生、高校生(2025年現在)3人の娘を育てるアラフィフ女子。
特筆すべき点もないありふれた日常を、独断と偏見でぶった斬る???娘たち曰く「見た目はオバさん、心はオジさん。世の中の常識が通用しない、サバイバル系不死身の過激派」らしいです。お暇なときにちらりと覗きに来ていただければ幸いです。
こんにちは。
清々しいほどに、いつも大好きな韓流アイドル・テギョン君を追っている侍ままんです。
我が家ではこれまでに、子どもたちが「大人になりたくない〜このまま子どもでいたい
」と発言することが、度々ありました。
それは周囲の大人たちを見るにつけ、毎日会社に行って働いて、税金を納めて、ローンを返して、子どもの世話をしてと、やらなければならないことが多すぎるっそう感じるからだと言います。
その度にうちの旦那様は「そうか?オレは大人になってからの方が圧倒的に面白いけどね。何なら今が1番楽しいぜ」こう返すのです。
これに対する子どもたちの意見は「彼の実家は、鼻くそもほじれないような厳格な家だったわけだからそう思うだけで、何の参考にもならん。しかも今の彼は、自分がやりたいことだけをやって生きているのだし、楽しいのは当たり前で、周りにいる我々がこうむっている迷惑についても、少しは考えを巡らせた方が良いと思う。」随分と辛口な意見をお持ちのようです。
ただね。
子ども時代を最高に自由に過ごした私としても、実は「大人になりたくなかった」とは、微塵も思っていないのが真実です。
どんなに一生懸命に働いても、生きてるだけでどんどん税金を取られたり、子育てが大変だったりもしますが、それでも圧倒的に大人になってからの方が、毎日の生活は楽しいと思っています。
なぜか
それはやっぱり、子どもの時よりも頭が良いからではないでしょうか
もう少し分かりやすく説明をすると、自分が生きている「世界の広さ」というのは、自分の知識量に比例していると思うのです。
子どもの頃の「世界」といえば、家の近所だったり、どんなに広くても学区内くらいがせいぜいで、「知っている人」も学校の中で会う先生方や、自分と関わりのある友人、親戚などを入れて100人いればかなり多い方だったと思います。その中で「仲が良い人」という条件を付けたなら、該当するのは5人くらいしか残らないのではないでしょうか
それが子どもです。
その狭い狭い限定的な世界の中で、自分の居場所を見つけなければならないのですから、今振り返れば「無理ゲー」に近いと言わざるを得ません。
ところが大人になったら、行動範囲の広さは子どもの比ではありません。どこへ行っても良いのです。腑に落ちない環境にいる場合には、場所を変えることも出来ます。ムカつくヤツには今後一切会わなくて良いのです。
そしてそれが出来るのは、間違いなく【知識】があるからです。世界が広いことを知っていなければ、自分が置かれた場所が狭いことにも気付けないのですからね。
こういうことを、とても分かりやすく説明している動画を見つけました。
面白いでしょう
「おいピーターパン
オメエ損してねえか」
(野沢雅子風で)
非常に良い視点だと思いました。
【大人になるのを拒んでいる人たちへ】
実は大人の方が楽しいと思うんだけど、きっと君たちは、世界がもっとずっと広いことを知らないだけなんだと思う。知っている人は人生をめちゃくちゃ楽しんでいるよ。大切なことは真実を知ろうとする勇気なんじゃないだろうか
ピーターパンに対する新しい解釈。
大人になってから昔の作品を見ると、子どもの頃とは全く違う視点を持っていることに気付かされるものです。
私もアラジンが大好きでしたが、大人になると「やっぱり基本教育って大事よな」それしか感じませんでした