東京の端っこ在住。
20才のフリーター長女を筆頭に、高2、中2(2023年現在)3人の娘を育てるアラフィフ女子。
娘たち曰く「見た目はオバさん、心はオジさん。世の中の常識が通用しない、サバイバル系不死身の過激派」らしいです。
特筆すべき点もないありふれた日常を、独断と偏見でぶった斬る???
お暇なときにちらりと覗き見下さいませ。
こんにちは侍ままんです。
先日こんな記事を目にしました。
こういうのを読んでいつも思うこと。
近ごろ、やたら何でも1個のワードでまとめたがるよね。

それは誰の意志なの
マスコミ


この記事でも、様々な事例をあげて【老害】という言葉でまとめたいみたいですが、中には『それってもはや“老い”関係ねえし。年齢とか権力とかとも関係なくて、ただ個人個人の〈人間性〉の問題なだけじゃないの
』って思うものが多々見受けられます。


みんな騙されちゃいけないよ。

そして更には、人間とは良くも悪くも他人に影響を与えながら社会生活を営んでいく生き物なのですから、それに対して『他人に悪影響を与えるな
』ってそっち側だけを非難している昨今の風潮、それこそが問題であって危険思想に繋がりかねない気がしています。


だって『良いか』『悪いか』なんてのは見る立場によって変わるものなのですから、そこの判断は個人それぞれの自己判断に委ねるべきでしょう

基本的には、絶対悪ってものは存在しないと思っていますので。
それなのに、十把一絡げに『老害禁止法』とでも言わんばかりに『年長者が上からものを言うな
』っていうのは、それこそ『誰の意見なんだよっ
』って言いたくなりますね。


今は知りませんが、10年以上前にうちの娘たちが『
プリキュア
』を見ていた時代には、画面にデッカイ強面の怪物(?)が現れると悪事を働く前から、主人公の女子が『悪者よっっっ
』というセリフを放って先制攻撃をしていました。




これを見たとき
『決めつけ感ハンパねえな〜
』


びっくりしたのを覚えています。
『悪者よっ』ってスゴいセリフだと思いませんか
うちの子たちもこぞってこのセリフを真似していましたけれどもね、、、


え
あなたこの怪物には今会ったばかりで、素性とか全く知らないですよね
何をもって今【悪者】って判断したわけ




当時から相当違和感がありました
(笑)

これと一緒で、何でもかんでも【老害】と言い始めてしまったら、ただ年を取って生きてるだけで【老害】と言われかねません
。あるいは本当に、将来的に社会から老人を抹殺したいと考える人々が意図的に放っている、陰謀の布石なんじゃないかと疑いたくなるくらいです。

個人的にはかつて年長者からいただいたお言葉は、皮肉がこもっていたり、批判めいたものも含めて、全部今の自分の血肉になっている実感があります。
ありがたいと思いますよ。
なんせ私、自分の母親から『あんたは美人じゃないから絶対に誘拐されない
』と言われて、幼少期から喜び勇んでたった独りで方々をほっつき歩いていました。


お陰で今の行動力が培われたと思っています。
あるいは『あんたは顔も良くないしガリガリで絶対に水商売には就けないから、勉強を頑張りなさい
』って言われて、血の涙を流しながら懸命に勉強して大学に入りました。


今思うと、女の子の退路を断つには最も効果的なセリフだったと思います。
最悪水商売でいいや、っていう考えで世の中の辛酸を嘗め尽くした人々が大勢いることを考えれば、綺麗事を並べただけのアドバイスよりもよほど中身のある賢明な教えだったと思うのです。
だがしかし、うちの子たちにこの話をすると「お母さんかわいそう、、、
私なら思春期に絶望してたと思うわ
」っていう反応ですけれどね。



ま、捉え方は人それぞれってことです。
同じ言葉を言われて、潰れる人もいればそれをバネに前進する人もいる。そんなのは言ってみないと分からないっていうのも、また真実だと思うんですけれどね。
だから『そういうこと言ってくる人って、迷惑なんですよね
』って意見だけを【良し】とする今の風潮は、ちょっと違う気がしています。

本当であれば、その人の意見を聞くか聞かないか、受け手側に取捨選択の自由があれば、【言う】こと自体はそんなに問題にならないはずなのよ。それがどうも【言う】方にスポットが当てられて論点が変わってしまっている気がします。
大事なのは受け手側に拒む権利が与えられているかどうか、そこですよね
聞きたくないまたは聞く価値のない意見だったときに、それを拒めるか否か。


日本人が【NO】と言えないのは百も承知ですが、いつまでも『ボクNOって言えないので何も言わないで下さい
』って教育を押し通そうとするのはやめたほうが良いと思います。マジで。



東京都などは、都立高校の入試に英語のリスニングテストに加えてスピーキングテストまで導入し始めました。
そんなに子どもたちを【国際人】に育てたい欲望があるのであれば、日本語でも英語でも良いから、自分と異なる意見に直面したときに【NO】と言える力をつけてあげるべきだと思います。
どんなに英語が喋れたところで、中身が『NOと言えない日本人』のままでは、結局苦労するだけなんじゃないの
って気がしませんか




それで良いのか日本人



結局のところは
『ボクはそうは思いません
』

これが言えれば良いだけの話でしょう
論点をすり替えるな日本人


良い加減『NO
』という呪文を覚えるんだっっっ




『愛している』と言えないのならば『サランヘヨ』と言う。
『違うと思います』が言えないのであれば『I don't think so』と言う。
パンがないのであればケーキを食う。
そういう感じで皆さんも効率よく『NO』を使いこなして快適な人生を送って下さいね



他人からの助言というものは雨と一緒で、多くても困るし、なくても困るものです。
恵みの雨になるのか、災害を引き起こすのか。若者は傘の使い方を知り、年長者はゲリラ豪雨にならないよう配慮したいものですね。