こんにちは侍ままんです。
今朝、旦那方のお義父さんが亡くなったという連絡がありました。余命1カ月の宣告を受けてから、3週間目くらいだったと思います。
一昨年肝臓ガンの手術をして、しばらくは落ち着いているようでした。昨年、肺に転移が見つかって治療をしていましたが、今年に入ってからは、打つ手がないということで、自宅療養をしていたようです。
お正月に会った時には、寝たり起きたりという具合でしたが、お寿司を食べたりして元気そうでした。
それが2月の末に、余命宣告。
旦那様を長男とする、3人きょうだいが実家に集合しました。
そこでお義父さんと対面した旦那様は
「あれはもうダメだな。」
そう思ったそうです。
渋るお義母さんを説得して、先週の日曜日には娘たち3人をお義父さんに会わせに行きました。(ちなみに私はワクチンの副反応で寝込んでました。)
その時は、笑顔で写真におさまっていたお義父さん。このときはまだ自分の足で歩いて、お話も出来ていたそう。
そのあと、木曜日に旦那様が会いに行ったときには、もうこちらの問いかけにも僅かな反応を見せるのみで、会話もできなかったと言います。水も飲めなくなり、でも延命措置はしないという本人の意思で、点滴などはしなかったそうです。
そこから数時間後。
金曜日の朝に
お義父さんは旅立ちました。
人間が幕を閉じるというのは、こんなにも急激で、こんなにも突然なのか、と驚くばかりです。
日曜日には歩けていたのに、亡くなったのが金曜日の朝とは。
でもそれは、自然にのっとった幸せな死に方だったろうと思います。
急に亡くなったようにも見えますが、
本当はこの世からの旅支度は、ずっと前から始まっていて、本人や看病をしていたお義母さんは、それを段階的に感じていたのかもしれません。きっと私たちの前では、ずっと元気そうに振る舞っていたのでしょう。
延命措置をしないで死を迎えるということ。
潔く死を受け入れるということ。
お義父さんの死に様は、とても勇気がいることだけど、極めて模範的で、美しく、格好良かったと思います。
コロナが出現したこともあり、病院との関わり方や、人々の死生観というのは徐々に変わってきていることでしょう。
ひとつの死から学ぶことは多かったです。
おじいちゃんありがとう。
メモリアルな3.11にこの世を去ったおじいちゃん。みんなこの日を忘れないよ。
安らかにお眠り下さい。